未来の話をしよう

さて、noteも大分使いこなせるようになってきたのでどんどん記録しようと思う。

タグにもあるとおり、いつも私は未来の話がしたいと思っている。今までの人間関係を振り返ってみて、ほとんど大半の方の心の寛容が海より深く空よりも高いという感じで私がその温かさや居心地のよさに抱きついて甘えているように思う。お金には苦労したし家族関係にも苦労したが他人に対する苦労はした事がなく、とりわけ専門学校時代~現在は身体的に自由がきかず大変な思いはしたけど恵まれていた。

そのせいか、今度は逆に苦しむことが増えていった。虚弱体質で今やっと普通、なんじゃないかなあ程度に世に出て働けるようになったけど、それまで積み上がった負債を清算しなければならないからだ。どうしたってお金はいる。定期的に7万は出ていく生活をして、残りは3万円、そのうち1万円は母に渡しているのでなかなかきつい生活をしているが、ささやかには楽しんだりのんびりしたりできている。これは間違いなく母のおかげだろうと私は思う。苦しいことはたくさんあったし、今もどうしようもない性質に対して悩んでいるけど、私にとって一番の敵は私だし、私の味方はいつも私一人。

過去など振り返るな。

基本、私は人に対して不信感を抱きながら生きている。不信感、とまではいかずとも懐疑心は間違いなくあるだろう。別にこの性質を恨む訳では無いが、たまに信じたり人に囲まれてワイワイしているのを見ると羨望じみた感情は抱く。懐疑心や不信感がなければ、もっと幸せだったろうに、とは。

だが、私は結局今の自分が好きで、幸いなことに私に何らかの感情を持つ方にも出会えたし恵まれた。結局私は私自身が大好きなのだ。難儀な性質は有していても。

自己肯定感なんて必要ない。

Twitterでよく耳にする自己肯定感の上げ方とか色々あるが、真っ直ぐ自分が好きな人は多分いないと思う。ただ、納得するまで努力した結果ついてきただけなのだ。思えば私はあまり自己肯定感が高い方ではないが悲しかったり虚しかったりはしてもその時選んだものを愛しいと思う。泥臭い介護をしたから人の気持ちが分かるようになり、譲歩や肯定から入る術を覚えて、しんどい小売の店員になったからこそ日々の生活の大変さやお金というものの大事さ、学歴の大事さを知ったと思う。

過去なんて振り返っても意味がない。未来の話、そう、嫌いだろうと何だろうと時間は進むから。どうせやるなら納得できる形で終わらせたい、なにごとも。