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死生観ワークショップを行いました。そこで感じたこと

17日に1年ぶりに死生観ワークショップを行いました。

8月にデスカフェを再開し2回行ったので、さらにワークを通して死を通してよりよい生き方をと思い開催しました。

参加者はデスカフェに参加された方だったので、デスカフェに参加された後に感じたことを分かち合うことから始めました。

その後、デストリップ 死への旅を行いました。
自分が大切にしているものを選び、死へ向かう過程でそれを吟味していくのですが、自分の大切にしているものが明確になり、自分が持つこだわり、価値観を感じる時間となったようです。

私も出したのですが、参加者の方があげていたのを聞いてビックリしたことがありました。私の選んだ中には「お金」が無かったのです。
なぜでしょう?まだ腑に落ちていませんが、あては感じています。
私の話で脱線してしまいました。

死の旅の感想で出てきた心のこだわりについての話に発展していきました。
私は、死生観ワークショップの内容とずれる話がでても、その人の生き方に繋がると感じたり、出てくる話はその場に必要なことと感じているので、そのまま進めていきます。


心にあるこだわりに悩む
こだわりから離れられない自分を否定する。

でもそのこだわりは、その人を作っているものでもある。
それが支えになって今がある。
感じたことをお伝えしました。

さらに対話を聞いていて、ある聖書の言葉が何度も浮かんできました。
それは、見出しの写真の言葉です。

神のなさることはすべて時に叶って美しい

この言葉は私を支えてくれた聖書の言葉の1つです。
私の解釈なのですが、起きていることはその人の人生に必要なことで、それはすべてベストのタイミングで起きている。
苦しいこともその時はこれがあったからに繋がり、それに気づいた時
「あ~、すべてこの時のために起きたことなんだ」と思う。
それは美しい技

対話の内容から、それはその時に必要でおきたこと
そんな思いもその時に必要だった。
そして今、起きていることも。

このような説明をしていたのですが、家に帰ってこの言葉を検索してみたら、その前に書かれている言葉が意味を伝えていました。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
9 働く者は労苦して何の益を得よう。
10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、
神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

すべてその人の時があって起きている
よく言われる必然ということと同じなのかもしれない。

自分の名前に意味をつける
いつもの死生観の時間では、生まることも分かち合うのですが、
今回は生まれたらつけられる名前を見つめてみました。
命と同じくらい長く付き合う名前
私は、自分の名前が好きではありませんでした。
でも、名前を好きになることは自己肯定の1つになると思い
自分の名前に意味を持たせたら、なんと素敵な名前やんと思えるようになり
好きになったのです。

参加者の方に名前1つ1つに意味をつけてもらいました。
先に死の体験旅行から自分の大切にしているものが理解されたからか
とてもその人にぴったりの意味が作られていました。
色紙に書いて飾りたいと言う方もいました。
その意味を書くたびに呼ばれるたびに思い出して、生を進めていかれたいい生きたかに繋がっていくと思います。

久々の死生観セミナーはとても良い時間となったようで
私も満たされた時間となりました。

参加者のみなさん ありがとうございました。

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