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GIDの診断書を拾った

 あまりにもあっけなかった。ずっと行くのが嫌で渋っていた外性器の検査の結果が書いてある封筒を開けたクリニックの医師は、「今日もう診断書持って帰りますか?」とわたしに聞いてきた。

診断書??

診断、終わったんですか?と聞くと、医師は「そうですね。性同一性障害という診断が確定しました」と応えた。まるで、とっくの昔にあなたが自分で知っていたことでしょう、わざわざ言う必要なんてありますか、という感じの口調だった。

1.診断書を拾う

こうしてわたしはGIDの診断書を拾った。

わたしは、自分がGIDという病気であることを発見してもらったとは思っていない。まるで身体の中のがん細胞をお医者さんが発見するように、医師がわたしのなかにGIDという病気を見つけたわけではない。わたしは診断の前からずっとある病気を、見つけてもらったわけではない。

わたしは、自分にGIDという宣告がされたとも思っていない。がん細胞のように探して見つかるものではないとはいえ、ともかく「あなたは今日からGIDですよ」というクラス分けの宣言をお医者さんに下された。わたしはそうとも思っていない。GIDという病名は、最後は医師が判断して宣言する分類なのだろう。でも、わたしはそれが自分に宣告されたとは思っていない。診断によって新しく自分が「GID」組の人間になったとは、わたしは思っていない。

わたしは、GIDの診断書を拾ったのだ。それは、ちょっと便利なカードみたいなもの。桃太郎電鉄、というテレビゲームを昔友人の家でやっていた。サイコロを振って、物件を買ったりしながら目的地を目指す。青いマスに停まると、お金がもらえる。赤いマスに停まると、お金が減る。そして、黄色いマスに停まるとカードがもらえる。次のターンに振っていいサイコロの数が増えたり、目的地まで近道できたりする、便利なカードだ。

わたしにとって、GIDの診断書はそういうもの。それがあると、声の手術に保険がきくかもしれない。それがあると、職場の健康診断で「男性」の日を外してもらえるかもしれない。それがあると、比較的安全に女性ホルモンにアクセスできるかもしれない。それがあると、次に就職活動をするときに履歴書の性別欄でそんなにもめないで済むかもしれない。そんな、ちょっとした「便利な裏技」を可能にしてくれるもの、それが診断書だ。

わたしは、GIDと診断されたわけではない。自分ではそう思っている。わたしは、診断書を拾ったのだ。今までさんざんつまづいてばかりの、赤いマスを踏んでばっかりの人生だったから、ちょっと黄色いマスで便利なカードを拾ったって、ばちは当たらないはずだ。わたしは、今週そのカードを拾った。「GID」という、ちょっとだけ便利なカードを。

2.話を聞いてほしかった

かれこれ10カ月くらい、ジェンダークリニックには通った。コロナで中断したり、夏前からめちゃくちゃ体調が悪くなったりして、あいだが空いたりもしたが、だいたい月に1~2回行って、最初から数えて12回は通った。

正直言って、わたしはGIDの診療ガイドラインに沿った診療を受けるのは無意味だと感じていた。だって、何度読み直したってそのガイドラインは男女の二元論を前提としていて、たとえば「反対側の性別に対する強く持続的な自己同一化」などが診断基準に入っていたりする。残念ながらわたしはAジェンダーだ。自己同一化している性別(ジェンダー・アイデンティティ)がない。GIDという病理概念は、本当はわたしには丸っきり縁のないものだ。

でも、わたしはジェンダークリニックの門を叩いたし、その後もとても真面目に通い続けた。門を叩いたのは、もう自分一人では自分の性別に関することがどうしようもなくなってしまったから。たとえAジェンダーとしての確固とした自己認識を持っていたとしても、男性として生きるふりを続けられなくなったことの絶望感とか、とはいえ自分は女性ではないという、女性的な身体の動かし方や服装を身にまとうことに踏み切れないつまづきで、精神状態が本当に最悪だった。クリニックの医師は、その点で助けになった。自分史を書くのに最初は抵抗していたけど、最終的にはわたしは自分の人生の歴史を以前よりは自分の人生としてきちんと統合できるようになったし、現在のように女性的な見た目で生活することにも、自分をとりあえず納得させられている。

それだけでなく、長い診療を振り返って思うのは、わたしは誰かに話を聞いてほしかったということ。

過去の記憶を掘り返すのは本当に辛いことだった。でも、そうやって掘り返して、わたしは誰にも言えなかった気持ちを生まれて初めて全部言うことができた。

性別をやらされるのが辛い。

たったそれだけのことを、わたしは誰にも言えずに生きてきた。

ジェンダークリニックでは、自分史を書く。幼少期、小学生、中学生、高校生、大学生のころ、そして就職後のこと。その人生のなかで、色々なときに感じていた違和感や、辛かった気持ち。誰にも口に出せなかったことを、わたしは洗いざらいクリニックで吐き出すことができた。それは、生まれて初めてのことだった。「性別をやらされるのが辛い」。それを口に出すという、それだけのことだけど。

幼少期、性別なんてどうでもいい分類だと信じていた。小学校、性別の区分が理解できずに空気が読めず、首をかしげながら言われたとおりの分類に従って、おとなしくしていた。性別がないせいで虐められた中学校。男子を演じるしかない、と泣きながら決めた。完璧に男子を演じながら、学生服の集団の中で孤立感を抱いていた高校時代。いちばん高校時代に仲が良かった友人。その子も母が精神病で、父が暴力的で、不倫していて、共通点があるからすぐに親しくなった。でも、いつのまにか「男女の仲」であることを求められてしまい、大切にしたかったその人との関係はとりかえしのつかない仕方で終わった。いつだってわたしは性別をやらされるのが辛かった。でも、その辛さは人類に共通のものかもしれない、わざわざ自分の悩みとして考えるに値しないことかもしれない、みんな辛いんだから。大学に入ってからは、そう思っていたりしていた時期もある。

そんなことはない。性別をやらされるのが辛いのは、普通じゃない。多くの人は、ふつうに自分の性別を生きているんだ。

わたしは性別をやらされるのが辛かった。ずっと、辛かった。

クリニックでやっとそれを言えた。わたしには、それを言える場所が必要だった。匿名のツイッターやブログでは書けないような綿密な個人情報で埋め尽くされた、わたしの辛かった過去を誰かに言いたかった。辛かった、という事実をいまきちんと整理して、過去の自分に「辛かったね」って言うための場所がわたしには必要だった。

ジェンダークリニックに通って、良かったと思っている。医師にも、感謝している。優等生的な患者ではなかったかもしれないけれど、ずっとAジェンダーだったわたしの存在を硬いアスファルトの下から救い出し、辛い記憶を弔う手助けとなってくれた。

3.Aジェンダーなのに

クリニックに行った最初の日から、わたしは自分がAジェンダーであることをはっきり告げた。わたしは反対側の性別にアイデンティファイ(自己同一化)していません。反対側の性別にトランスしたいとも思っていません。身体には違和感もありますが、それは「どうしてあっちの性別の身体じゃないんだ」というタイプの違和感ではありません。わたしはきちんと伝えた。

でも、クリニックの医師はGIDの診療ガイドラインに沿って診断を進めた。他の人と同じように自分史を書くように求め、染色体やホルモン値の検査をして、外性器の検査まで、本当に最後の最後までガイドライン通りだった。

さっきも書いた。今のガイドラインは完全に男女のはっきりと分かれた性別二元論に依拠している。わたしは何回も聞いた。「今のガイドラインはわたしみたいな人間を想定していませんよね。わたしは絶対にこれだとGIDじゃないです」。
でも、医師はそのたび「ICD-11もDSM-5も、あなたのような存在を念頭に置いて書かれている。日本のガイドラインもそれに合わせて改訂中だし、現在のガイドライン(4版)の文字通りに、杓子定規にこだわる必要はない」と応えた。

そうして医師は、さらっとGIDの診断をくだした。現在のガイドラインでは全く想定されていないような、文字通り「想定外」のAジェンダーであるわたしに対して、わたしがAジェンダーであることを完全に理解したうえで、医師は診断を下した。ガイドラインでは、「身体的性別とジェンダーアイデンティティが一致しないこと」が明らかであれば性同一性障害であるとされている。わたしには、ジェンダーアイデンティティがない。

これが、わたしが今週GIDの診断書を拾うまでの経緯。

4.取り返しがつかない

でも、よく考えたら、どれだけ「想定外」の患者だろうと、医師にはGIDの診断を下す以外の選択肢なんてなかったのかもしれない。

第一、わたしが広い意味での性別違和を訴えてクリニックに来ている以上、医師はガイドラインに沿って診療を行う以外ないだろうし、たとえわたしがAジェンダーなんだ、ジェンダーアイデンティティがないんだ、といったところで、社会生活上の装いに関してはすでに性別を移行してしまっている(ように多くの人には見えると思う)。もう、この”患者”がもとの割り振り通りの性別を生きられないことは火を見るよりも明らかなのだから、だとしたら、本人が望んでいる外科手術やホルモンに安全にアクセスする道を作るしかないと、そういう風に医師は判断したのかもしれない。

わたしは何度も「わたしはガイドラインで言えばGIDではない」と言っていたけど、本当にそう思っているならジェンダークリニックに行かなければいいだけだ。でも、わたしはクリニックに通った。メディカルな意味で自分に必要だと思ったし、その判断はたぶん間違ってなかったと思う。だから、「GIDではない」といくら言おうと、わたしがクリニックに来る以上、医師にはわたしにGIDの診断を下して遇する以外の選択肢はなかったのかもしれない。もう、取り返しのつかないフェーズにいるわたしの利益を考えて、医師はガイドラインの文言の大幅な拡張・逸脱的な解釈を敢えて試みてくれたのかもしれない。

ただ、申し訳ないけれど、わたしは自分がGIDだとは思っていない。わたしは拾ったのだ。GIDという診断書を。今週、拾った。

5.無性として死にたい

冒頭の診断書のやり取りのあと、これからどうしていくかを相談した。わたしは、これから身体をどうしたいのか、どうやって生活したいのか、現実にどれくらい可能で、でも理想的にはどうやって生きていきたいのかを説明した。正確に言うと、以前に書いたワードファイルを渡して読んでもらった。

そのなかで書いた。

もう男性として生きられない。それは絶対に無理。男性のまま死にたくない。自分はもともと無性。ジェンダーについても、セクシュアリティについても。もう、社会に合わせて我慢することに疲れた。無性に戻り、無性として生き、無性として死にたい。

わたしには性別がない。ずっと、性別をやらされるのが辛かった。世界のすべての人が「異性」に見える。まるでわたしはエイリアンだ。

わたしは医師に言った。男性のまま死にたくない。無性として死にたい。今はそれだけです、と。

医師は、「生きていきたいと思える未来を作りましょうね」と応えてくれたけれど、性別がこれだけ大きな意味をもつこの世界の中で、わたしが生きていきたいと思えるような場所なんて存在するはずがない。

わたしは、診断書を拾った。黄色いマスに停まったから。そのカードを使って、わたしは自分が納得できる姿で死ねるまでの、いくつかの近道をする。

わたしにとって「GID」はそれだけのものでしかない。わたしはGIDという病気であることを発見されたわけでも、今日からGIDです、と宣言を受けたわけでもない。

わたしは、診断書を拾ったのだ。ずっと赤いマスに停まってばかりの人生だったから、黄色いマスに停まって、少しくらい便利なカードを使ったって、いいはずだ。