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GIDでもトランスジェンダーでもなく(1) I Am (w)Here:浅沼智也さんのドキュメンタリー映画を観て

 こんばんは。夜のそらです。この記事は、「GIDでもトランスジェンダーでもなく」という記事の前半(1)です。

 最近、たて続けに日本のGID・トランスについての歴史を知る機会があり、いったい自分は誰なんだろう、どこにいるんだろう、という気持ちが強くなりました。その機会の1つは、吉野靫さんの本『誰かの理想を生きられはしない:とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読んだことでした。これについては後半(2)で感想を書きたいと思います。
 前半(1)では、浅沼智也さんの映画「I Am Here — 私たちはともに生きている —」を観た感想を書きます。ちなみに、こちらが映画の公式サイトです。わたしは東京上映を観に行きました。

1.映画の紹介

 この映画はドキュメンタリー映画で、トランス/GIDの人たちが次々と出てきては、自分の思いを語っていきます。大きなストーリーが用意されているわけではなく、それぞれの人が、トランスジェンダー・GIDを巡る法律や生活、健康のことについてご自身の考えを語っていきます。とはいえ、やはり登場人物たちの人物配置のようなものは、描くことができます。それは「GID」と「トランスジェンダー」という対比?で作られるような、人物配置です。
 皆さんもよく知っているように、日本にはGID特例法という法律があり、性別を変更することについての手続きが定められています。この特例法ができたのは2003年なので、もう17年ほど前ですが、この映画に出てくる人たち(特にそのなかの一定の年齢以上の人たち)のなかでは、その特例法に対するスタンスが様々に違っていて、そのスタンスによって何となくの人物配置をすることができます。
 分かる人に向けて一言で言ってしまえば、この映画は「畑野とまとさんで始まり、山本蘭さんで終わる映画」です。この一言で「あー、なるほど」となっている方は少ないと思うので補足しておくと、山本蘭さんはいわゆる「GID」的な病理概念を積極的に使うことによって当事者たちの生活をよくしようと活動してきた方で、当然GID特例法を(トランス/)GIDの人たちにとっての重要な法律だと考えています。畑野とまとさんは、「GID」という病理の概念を使って自分たち(トランス)のことを言い表すことに批判的なスタンスをとっており、特例法がトランス(/GID)の人生を大きく規定してしまう現状についても批判的です。映画の中では、どちらかと言えば山本蘭さんに近い立場の方として、FtMの超有名人である虎井まさ衛さんが出てくるほか、特例法制定時に反対に回った方として三橋順子さんが出てきます。(そうした紙の上でしか名前を見たことのない有名人の映像を見られるというだけでも、この映画にはアーカイブ的な価値があると思います。)

2.願いはひとつ?

 とはいえ、このように書くと、まるで2つの陣営が戦ってきたかのようです。確かに、実際に2003年ごろ大きな対立がトランス/GIDの人たちを引き裂いていたのは事実のようです。そもそも特例法ができるということ自体が急なことだったうえに、出された法律原案に示された5要件を巡って、「こんな法律を作っては救われない人がいる」と考える人たちと、「ひとまずこの法律を通すべきだ」という人たちで、トランス/GIDのコミュニティは分断されてしまった―――そうした整理を、映画の登場人物の方たちも認識として持っていたようでした。特に、性別変更5要件に含まれた「現に子がいないこと」という要件は、子どもをもつトランス/GIDの人を切り捨てることになるため、賛否が強く分かれることになったようです。
 ここに見られる対立は、その後日本に確立した「GID」概念の普及にともなって、少し別の仕方ですが、今でも観測できることがあるように思います。病理概念である「GID」を、自分の状態をあらわす単語として適切だと感じ、それを大切に思う人がいて、そうした方たちは、LGBTなんて一括りにしないでほしい、自分たちに必要なのは病気の治療である、という風に考える傾向にあるようです。そうしたGIDな人たちは、ときどき「自分たちはああいうのとは違うんだ」という風にして、教科書的なGIDでない人たちと距離をとろうとします。そこでは例えば、既婚者、子持ちのひと、同性愛者、”パス度”の低いひと、ホルモンをしてない人、”正規医療”にアクセスしない人たちなどが、距離をとる対象になります。
 そうした「GID」な方たちに対して、トランスという状態・人生の移り行き・生のありかたを病気としては捉えないという方も多くいます。そうした「トランスジェンダー」な方たちにとっては、お医者さんの管理をきちんと受け入れて、波風を立てずに法律や医学の敷いたルートに乗って自分の生存をよくしていこうとする優等生である「GID」な方たちは、しばしば批判の対象になってきたようです。
 おそらくは特例法の影響で、「GID」という名称が日本では極めて広くいきわたって使用されているため、マスコミなどが「トランスジェンダー(性同一性障害)」といったような誤った表記をしてしまうことが現在でもありますが、当事者自身のあいだではむしろ、上で見たように、「GIDとトランスジェンダーは違う」といった対立のイメージが強調される機会もこれまで少なくなかったのではないかと思います。
 しかし、この映画が興味深いと思ったのは、2020年の今から見て、そうした”対立”の奥にある活動家たちの共通の願いを示そうとしているように感じたからです。山本蘭さん、虎井まさ衛さん、畑野とまとさん、三橋順子さん。こうして並べると、まったく違うスタンスの2対2を思い浮かべてしまいますが、映画に出てくる皆さんは、過去の対立などを振り返りながら、それでも同じことを言っているようにわたしには見えました。

どうか、死なないで生きてほしい。自分のあてがわれた性別を生きられないと感じているあなたに、死なないでほしい。

この思いを、わたしは監督の浅沼さんが全体を通して表現しているようにわたしは感じました。割り当てられて命令された性別を生きられない。割り当てられた性別とは異なる性別を生きようとする。それはとても大変で、コストのかかることで、命がけのこと。だから、自分たちのあとに続くトランス/GIDの当事者たちには、少しでも苦労しないで生きてほしい。身体のことや家族のことなど、移行に伴って避けがたくつきまとうコスト以外の部分で減らせるコストがあるなら、少しでもコストの少ない、生きやすい社会を残してあげたい。そんな思いが全ての出演者に共通のものとして、描かれているように見えました。

3.わたしはどこにいる?

 わたし(夜のそら)は、日本で生まれて育ちました。日本以外の国で暮らしたことはありません。でも、わたしは自分のことをトランス系(非シスジェンダー)として認識するまでに、本当に長い時間がかかってしまいました。その一番の理由は、家が貧しかったことだと自分では今は整理しています。性についての悩みなんて、貧困を前にしてはあまりにも優先順位の低いことで、とにかくいかに問題を少なくしながら生きていくか、ということを常に考えてきました。割り当てられた性別を生きなくていいんだ、ということを知った後も、自分の性を探求する余裕はなく、めちゃくちゃバイトをしてお金を稼いで、ときには居候を繰り返したり映画館のロビーで夜を明かしたりもしながら、大学生活を食いつないでいました。
 結局、わたしが自分のジェンダーについてきちんと考えられるようになったのは就職してからで、しかもそれは英語圏のクィア系Youtubeコミュニティの文化に触れたからでした。わたしは自分のAセク・Aジェンダーとしてのアイデンティティを完全に英語圏のコミュニティのなかで作りました。
 わたしはだから、奇妙な立ち位置にいます。わたしは、日本語でトランスのことや性同一性障害のことを調べたことはありませんでした。とつぜんLGBTQ的にかかわる英語の情報に触れて、自分をAジェンダーとして認識したので、「トランスジェンダー」か「性同一性障害」か、というさっきみた対立は、わたしにとっては無関係のものでした。だって、わたしは性同一性障害(病気)であるはずはないし、とはいえカタカナの「トランスジェンダー」でもなく、trans* や transgender, nonbinary(ノンバイナリー)として自分のことを認識していたからです。
 同じ理由から、日本語のツイッターや匿名掲示板のトランス/GID界隈にはまったく触れずに過ごしてきました。むしろ、独特の閉鎖感というか、パス度的なマウントとか、シニカルな雰囲気とかが苦手で、Aジェンダーを自認したあとも積極的にそういうメディアは遠ざけてきました。ある時期は本当にピリピリしながらそういう情報が目に入らないようにしていました。明らかにそれは、わたしの精神にとってよくないものに感じられました。
 それでも、わたしはしょせん日本に住んでいる日本人にすぎません。男性として生きるふりをすることがいよいよできなくなって、性別の悩みが爆発して、何とかやりくりしていた日常をもうやりくりできなくなって、わたしはジェンダークリニックを頼ることになりました。持病との関係もあって、”正規の”医療ルートの力を借りることになります。(来週にはわたしには「性同一性障害」の診断がくだっているかもしれない)
 そうして初めて、性同一性障害(GID)という言葉に触れなければならなくなって、改めて「いったい自分はどこにいるんだ」ということを考えざるを得なくなりました。USやUKのクィアな人たちと触れて、英語で自分のアイデンティティを作っていったり、性の認識をクリアにしていったにもかかわらず、結局わたしは「わたしはGIDなのか?」という極めて日本的な問いを考えざるを得なくなったのです。
 自分はいったい誰なのだろう?わたしは病気なのか?わたしはGIDなか?わたしは病気の治療をするためにホルモンを摂取するのか?わたしはトランジェンダーなのか?考えざるを得なくなりました。でも、その問いをリアルな問いとして考えることが、やっぱりわたしにはできません。だって、性同一性障害(GID)という言葉に込められた日本の当事者たちのイメージを、わたしは全く共有していないし、カタカナの「トランスジェンダー」につきまとう、反対側の性別へと活き活きと越境していく、その朗らかさやエネルギーの感じが、わたしには全く存在していないからです。
 わたしはいったいどこにいるんだろう。ずっと考えています。ほとんど完璧にシスジェンダーを装って生きていた過去。英語圏のクィアコミュニティに救われた自分。わたしを「患者」として扱う「性同一性障害ガイドライン」。女性として見なされるようないで立ちで生活している現在の自分。すべてがちぐはぐです。――――わたしはどこにいる?そのように問うための前提すら、わたしには欠けています。何を考えれば自分の居場所が理解できるようになるのか、そのこと自体がよく分からないからです。

4.GIDでもトランジェンダーでもなく

 浅沼智也さんの映画「I Am Here」は、様々な登場人物の口を通して、ひとつの同じメッセージを伝えようとしているように見える。そのように書きました。それでも、とはいえやっぱり、登場人物の人たちが語る「トランス/GID」の経験はあまりにも多様で、そしてしばしば対立しています。
 先ほど言及した山本蘭さんは、とても強固な病理概念の支持者で、ご自身のブログなどでは「自分の病気の治療のために身体を変更せざるを得なかったGIDの人たちが可愛そうだから、特例法は戸籍変更というかたちで身体変更後のGIDを救ってくれている」という認識を示していて、だから「性別を変えるためにという理由で、特例法の要求に合わせて手術をするような人は、医療者を騙しているし、立法理念に反している」といったような発言をしています。控えめに言って、かなり最悪だと思います。特例法の手術要件についてこうしたスタンスであることから分かるように、基本的にシスの人たちの常識にあわせてGID者はひっそり生きていくべきだ、あくまでも求めていくべきは病気の治療だけ、という強い考えを持っているようです。
 それに対して、GIDという病理概念を積極的に使うことに批判的な「トランジェンダー」の代表のようにして、三橋順子さんが映画には登場します。三橋さんは言います。トランジェンダーとは性別越境者である、トランジェンダーは病気ではない、トランスの生き方は自己決定で貫かれていなければならないのだ、と。
 かたや、GID(性同一性障害)という病気として自分の状態を認識し、病者としての医療アクセスを自分たちのニーズの最優先事項としてとらえている人たちがいます。かたや、トランスは病気ではなく自己決定である、性別の壁を超える自由な生き方こそがトランスである、と考える人たちもいます。(もちろんこの場合の「自己決定」というのは、性(ジェンダー)はお医者さんに管理されるものではなく、尊重されるべきアイデンティティなので、私たちを病理化する医療のあり方こそが反省されなければならない。ということが主軸で、いわゆる「性自認(gender identity)」を気軽に決めたりやめたりすることを言っているわけではないと思います。)
 もし、これが「GID トランスジェンダー」の対立なのだとしたら、わたしはやっぱりGIDでもなければトランスジェンダーでもないな、と映画を観ていて改めて感じました。
 さっきも書きましたが、わたしは「トランスジェンダー」という言葉がちょっと苦手です。反対の性別にトランスする、その軽やかな越境のイメージに、わたしは自分を重ねることができません。自己決定という名の躍動感が「トランスジェンダー」という言葉には伴っているように感じられますが、わたし自身の経験はそうした軽やかな跳躍とは真逆の、化膿した傷口から体液が漏れ出るような、ずるずるとした逸脱の日々でした。割り当てられた性別の部屋に収まりきらない心身。もうシスジェンダーを生きていけないという気づき。絶望感。そして「今まで本当に長かった」という、困惑させるような安堵。そこには生のままならなさはあっても、自由な越境や跳躍なんてありませんでした。できることなら普通のシスとして人生を終えたかった、もっと他の悩みごとに自分のリソースを回したかった、と思います。わたしは、越境=跳躍=自己決定としての「トランスジェンダー」になることはできません。
 その一方で、わたしは自分をGID(性同一性障害)者としても認識できません。そもそもGIDという概念自体がわたしのホームであるクィアコミュニティで使われていませんし、何より、わたしは自分を「病気」としては認識していません。確かに、生まれたときにふつうに割り当てられた性別を生きようとしないなんて、現在の社会では尋常でないことです。わざわざ生殖腺を切って、ホルモンを代わりに補うために(これまでとは違う)性ホルモンを人工的に摂取するなんて、どうかしているかもしれません。それでも、わたしは自分が病気だとは思っていません。わたしにとってみれば、問題をほんとうに抱えているのは、人間を全員男性と女性に分けて生まれてから死ぬまでずっと扱おうとする社会の側であり、わたしはその分割通りにきちんとシスを生きられない中間地点にたまたま自分がいて、その分割線によって心身を切り刻まれているだけだ、と考えています。こういう言い方は本当はよくないけれど、病気をかかえているのは、隅々までジェンダー化された社会の方だと思っています。
 こうして、わたしは同じところに帰ってきてしまいます。わたしは、GIDにもなれないし、トランスジェンダーにもなれません。いったいじゃあ、わたしはどこにいるのでしょう。

5.I am here, but where am I?

 浅沼さんの映画のタイトルは「I Am Here」です。「We are here」ではありません。それぞれのトランス/GIDである「私=I」が、それぞれの場所にいる。もしかしたら、そこに「私たち=We」と言えるまとまりはないのかもしれない。でも、色々な場所にいる「私=I」を繋いでいって見せていくことで、浅沼さんはうっすらと「私たち(We)」を立ち上げようとしているように、わたしには感じられました。
 特例法を巡る対立。病理概念を巡る対立。そんな(日本に顕著な)対立の記憶を、決して過去のものとして忘れ去ることなく、それでも、2020年の現在から、対立を乗り越えていくような新しい時代を作っていきたい、そういう気持ちをわたしは映画を観て感じました。そしてこれは、現在のトランス/GIDの人たちのリアルなのかもしれません。ツイッターなどを見ていても、GIDはトランスジェンダーの下部概念だから、GIDとトランスジェンダーを切り離すような言説は間違っている、といった整理をよく見るようになりました(少なくとも半年前くらいまでは)。
  2022年には、病理概念としての「GID」は国際的に消滅します。日本の特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)も、最低でも名称を変更しなければならないし、GIDの診療ガイドラインも(名称だけでなく内容も)大幅に変わることでしょう。
 わたしはここにいます。来週も病院に2回行って、ジェンダークリニックにもいく予定です。職場にも1回行きます。わたしはここにいます。でも、わたしはGIDとしてもトランスジェンダーとしても自分を認識できていません。いつまでもずるずる「非シスジェンダー」を名乗っています。
 わたしはここにいます。でも、ここはどこなのでしょう?わたしには自分の人生のモデルになるような人が誰もいません。トランス/GID系の知り合いの人は殆どまったくいないし、そもそもAジェンダーで、同じような生(性)を生きている人が見当たらないからです。GIDにもなれず、トランジェンダーにもなれず、自分の足元を見ては、地面の底が抜けそうなぎりぎりの薄い氷の上を一歩ずつ歩いています。
 浅沼さんの映画「I Am Here」を観ることができて、本当によかったと思います。でも、わたしは映画を観る前よりももっともっと、分からなくなってしまいました。わたしはここにいます。でも、ここはどこなのでしょう。I am here, but Where am I ?  わたしの立っている「ここ」が、どこかに通じている道の途中なのかすら、わたしには分かりません。わたしの立っている「ここ」に、わずかでも手すりがあれば、といつも思います。道路標識でも立っていれば、と思います。でも、そんなものはありません。わたしは、いつもひとりで自分の足元を見ながら、一歩一歩、割れそうな氷の上を歩いています。