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【#7】セッション

「労働なんかしないで 映画鑑賞だけで生きたい」のコーナーでは私が行き当たりばったりで視聴した映画について書いた小感記事です。

第7回は2014年にアメリカで製作されたデイミアン・チャゼル監督作品「セッション」について書いていく。

撮影を数十日で行った作品らしいが、演奏シーンでは迫力は素晴らしいものであった。

成功すれば私のおかげ、失敗すれば才能がなかった

偉大なジャズドラマーを目指すアンドリュー青年は通っている音楽院で学院最高の指導者のフレッチャーに出会い、フレッチャーの率いるチームに引き抜かれ物語が始まる。

すごい指導者に出会えたアンドリューは苦労はするだろうが、フレッチャーと二人三脚で仲良く最後は感動が待っていると思っているかもしれない。
この映画でその考えはぬるま湯すぎて、むしろそう思った人がいるなら必死に視聴を止めたいレベルだ。
フレッチャーの要求するレベルは高いもので、納得のいかない音を奏でる者には「パワハラ」という名の凶器でザクザクと切り倒す鬼指導者であった。
鬼っぷりが凄まじ過ぎたので、頭からフレッチャーのパワハラシーンが頭から離れない。
これはフレッチャーの役をしているJ・K・シモンズさんの頭に血管の浮かんだ演技がうますぎるというのもあるから、演じている俳優さんがすごいと感じさせられた。
最後の最後までフレッチャーは健在であった。

自殺したくなるような日々ではあるが、取り憑かれたように練習できるアンドリューはすごいなと思うと同時にアンドリューはどこまで耐えれるかを見たい自分がいたりと、見ているこちらまで頭がおかしくなりそうであった。
むしろこれが制作陣の狙いであるなと思うと同時に、私はこの作品の沼にはまっているのではないかと思った。
取り憑かれたように練習するアンドリュー×悪魔に取り憑かれたように指導するフレッチャーが常に描かれているので、目を離せるシーンが少くないのはこの映画の良い部分だなと思う。
どこまで耐えれるかを見たいと思わせるアンドリュー青年、物語を通しての彼のアクションを見ていると人間味という所でも見ていても面白いと思う。

映画のラストはセッションと言うより、喰うか喰われるかの瀬戸際の死闘を見ている様で熱も去ることながら恐怖すら感じた。
見終わった後は達成感というよりは疲れを感じた。
しかし、その疲れは気持ちよいものであった。

ジャズ、音楽の楽しさはどこへ?
パワハラ、逆恨みを受けてもアンドリューが成長したのは確かだ。
それでもアンドリューがドラマーとして成長できたからOKではない。
自分と他人の考えや思っていることは違う。
導く、導かれたというよりかは何か兵隊ができた感じがする。
逆にこれを見ればこういう指導者にはなりたくないと思えるかもしれないので、人生の学びには活かせるものはあるかと思う。
評価に関して私的には面白い、面白くないで評価すべきではない作品だと思う。

音楽を楽しむとは無縁の魂の音楽映画「セッション」、見る際は見ると思わず、対戦しにいくという気持ちが必要になるのでご注意を。

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