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ひとはなぜ詩を書くのか

わたしにしては珍しくタイトルから書きはじめています。大風呂敷を広げていやがるな、なんてお思いの方もいるかもしれません。詩を書いていたり、詩について一家言あったりするひとならばなおのこと、このnoteを開くか開かないかのうちに、もう画面を消しているかもしれません。でもそれはある意味でこのnoteのよき読者としての態度であると思います。読む前から、このタイトルからある内容を想像し、そして消した。それは立派にこのnoteを読んだ者の反応ではないでしょうか。そして詩とは、そのように読まれるものではないでしょうか。その意味はのちにわかることと思います。

詩を書いていると、「詩とはなんなのか」「なぜ詩を書くのか」と問われることがあります。たいていの場合、わたしの答えはこうです。詩とは、無に向かって書く過程である。詩とは、書くことがないところから始まり、書くことのないところへと向かう運動である。あるいは沈黙のための言葉なのだ、と。でも、こう言われても困ってしまいますよね。現に今お前は書いているじゃないか、沈黙を破っているじゃないか、と。書いている以上はそこに意図や目的があるのではないか、と。もっともなことだと思います。なので、このnoteでは、その意味を解きほぐして伝えることができれば、と考えています。約9,000字です。



詩人は沈黙するために書いている

ところで、詩人は沈黙するために書いているのだ、という主張は、わたしの創意ではありません。多くの詩人が感じ、語ってきたことであり、詩を書いているひとならば、無意識的ではあるかもしれませんが、気づいていることだと思います。ここではまず、石原吉郎の言葉を引用したいと思います。

ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだ。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。

石原吉郎「詩の定義」

詩は「書くまい」とする衝動であり、その衝動が「私」を詩におもむかせていると言っています。もっとも耐えがたいものを語ろうとしたら日常言語では足りない、でもなんとか語ろうとする、そうして生まれるものが詩なのだ、と。「不幸な機能」と言っているのも見逃せません。そして、「言葉」と「ことば」を使い分けている。おそらくは、原初の「ことば」に「不幸な機能」が課されて詩の「言葉」になるということなのでしょう。それからもうひとつ、大事なこととして、詩の全体をささえるのは「失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志」なのだと明言されています。

石原吉郎には、ソ連の強制収容所で過ごした経験があり、通常の想像力では、「もっとも耐えがたいもの」とはそこでの経験のことだろうと思われますが、それを語るには通常の「ことば」では足りなかった。だから石原吉郎は詩を書いた。書くまい、書くまい、としながらも、完全に口を噤みはしなかった。失語の一歩手前でふみとどまろうとした。と、そういうことなのでしょう。


沈黙の一行から始まる詩

もちろん、すべての詩人が極限状態を経験しているわけではありません。「耐えがたいもの」を語ろうとするばかりが詩ではありません。でも、たしかに詩は沈黙におもむく言葉だとわたしには思えます。そこで、沈黙の一行から始まる詩を引きたいと思います。谷川俊太郎さんの「鳥羽」という詩です。

鳥羽

何ひとつ書く事はない
私の肉体は陽にさらされている
私の妻は美しい
私の子供たちは健康だ

本当のことを言おうか
詩人のふりはしてるが
私は詩人ではない

私は造られそしてここに放置されている
岩の間にほら太陽があんなに落ちて
海はかえって昏い

この白昼の静寂のほかに
君に告げたい事はない
たとえ君がその国で血を流していようと
ああこの不変の眩しさ!

谷川俊太郎「鳥羽」

吉増剛造さんの『詩とは何か』でも紹介されている詩ですが、一行目からして「何ひとつ書く事はない」です。そして二連目で「詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない」とまで言っています。何を言っているんだ、「書く事はない」のに書いているじゃないか、谷川俊太郎さんは紛れもなく詩を書いているし、詩人じゃないか、と言いたくなる。そう、だからこれは「現実」の話ではないのです。表面的な意味を超えたところで詩が成立しています。「書く事はない」というそのこと自体が詩になってしまっています。内容がなくても詩は立ち上がるのですね。「造られそしてここに放置されている」ところの私は、まるで「詩人」として主体化させられて、ここに居ざるをえないかのようです。こうも言えるかもしれません。つまり、「わたし」が沈黙しているためには、詩人が語らねばならないのだ、と。書く主体と、文章の中で「私」と宣う主体との二重化。これはあらゆる書くことに通じてもいますが、少なくとも、「わたし」のことを扱う文章では、その覚悟をせねばなりません。

伝えたい「内容」がなくとも、詩は立ち上がってしまうということ。とても重要なことだと思います。書き手にその気がなくとも、詩がありえてしまうわけです。ビジネス文書では、詩的な装飾を削れ、と指導されることがあるといいます。たしかに、あまりに迂遠な比喩は目的と効率の世界にはそぐわないのかもしれません。でも、そこから詩を排除することはできない。アートとデザインが分けられないように。詩とコピーライティングが分けられないように。なんならむしろ、ビジネスにおいては透明な詩が書かれていると言ってもいい。あれは詩でない、のではなく、詩的ではないという詩情を湛えた詩を書いているのです。


明るすぎる街

「今すぐにその端末を裏返せ、そこにぼくらの闇があります」という短歌を鏡文字にしてInstagramに発表したことがあります。含意はいくつかあるのですが、ひとつには、わたしたちが見ているスマートフォンの明るい画面は闇を隠している、いや、一番明るいはずの画面の真裏にこそ、もっとも深く闇が垂れこめているのだ、ということを表現しようとしていました。光と闇が、つるつるぴかぴかの端末を隔てて截然と分けられているという、そのことに、思いをいたしていただきたく思います。

ところで突然ですが、わたしの誕生日は3月20日で、しばしば春分の日という昼夜の長さが一緒になる日と重なります(ちなみに魚座の最終日です)。それが影響しているのかどうかはわかりませんが、わたし自身、昼と夜とのあわいに生きてきたようなところがありますし、どうも夜明けや夕暮れに惹かれてしまうのです。わたしが中学生の頃、「陰キャ」や「陽キャ」といった言葉がキャラ付けに使われていました。そのどちら側のひととも、それなりに仲良くしていましたが、しかしながらその「それなりさ」というのは、どちら側にも馴染みきれないということでもあったように思います。わたしはやはりあわいにいました。どうやら明と暗、光と闇の出会う場所が身に合っているようです。つまりは、影の生まれるところ、表面積の大きなところ、ざらつきの多いところ……。スマートフォンとは逆ですね。光と闇とをともに受け入れるような余白のあるところが心地よいのです。

昨今は、明るさが幅を利かせている時代です。明るさといっても、単に明度が高い状態だけを指しているわけではありません。わからないものをすぐにわかりたがる焦慮というか、なんでも可視化を進めようとする眼の肥大化というか、そういったことも含んでいます。闇を排除しようとすると同時に、光と闇のあいだに生まれる「ハーフトーン」をも一挙に照らし出してしまおうとしているかのようです。

街に目を移しましょう。わたしが住んでいるのは大阪ですが、梅田に近づくにつれ、マジックミラーで覆われた高層ビルが立ち並んでいるのが見えてきます。窓の奥は見えません。その奥を予感さえさせません。光る建物を覗き込もうとしても、そこに映るのはこれまた別の建物です。どこまでも表面ばかりの街。その奥から誰がこちらを見ているかもわかりません。ジェレミー・ベンサムが考案し、ミシェル・フーコーが取り上げた一望監視装置、パノプティコンがそうですが、実際に見られているか見られていないかには関係なく、見られているかもしれないというだけで、見られる客体は、監視の視線を内面化します。こんな街ではくつろぐことができない。立ち止まることが許されない。そう、ここには「窓」が、出口が、ない。

吉増剛造さんはそれを見事に表現しています。少し長くなりますが、いい文章なので引かせていただきます。

 通行人は街の出来事をよくみる、、、、、密集や群衆のなかで立ちどまって凝視する、、、、ことを許されていない。わずかに、商店の店員やあるいは最近は目立って少なくなったが、街の空気を身体で表現しているようなやくざ風の男たちが、盛り場や雑踏の生きた眼のような存在なのだ。
 裏町を歩いていても窓から人の眼がひかるようにこちらを覗きみている気配を感じさせない。それと同じように、盛り場、雑踏でも、焼ききるような熱い視線でみつめられるということはきわめて稀である。たとえ盛り場を歩くのが非常に魅力的な姿の女性であっても、それをみつめてその美しさなり新しさを共有する空間が、とくに日本の都市空間にはないような気がしてならない。
 窓がない。
 身を乗りだして歓声や嬌声が響いてゆく、無数の穴が、口笛の届く範囲でつくられる場のようなものがこの都市にはなくなりつつある。窓は建物のガラスの部分と化していて、この都市の顔は妖しくひかるガラスで出来ているのに気づく。彼女の姿はガラスのむこうからあらわれて、ガラスの影へと消えてゆくかのようだ。
 このような街では女性はどんな風にして、美しく装った姿をみせるのだろう。どの街角で、どの通りの、どのcoffee屋の、どの席で……。街には、そこに立つと人々の眼が集まるような中心点がいくつもあってこそ街といえるし、だからこそそこを街角といえるのだろう。しかし、そんな妖しく淀んだ場所はますますみえなくなってきているように感じられる。
「通り」の肉感性のようなものがいまはみえない。ということは外界との生々とした感情的な交通がますます剥ぎとられつつあるということだ。むしろ小さな商店が密集するマーケットや市場、盛り場から数駅のところにある小盛り場あたりにおもいがけず、生々とした都市の眼が隠されて光を放っているのに気づくことがある。

吉増剛造「どこかの裏町の角にある煙草屋の」(傍点は原文ママ)

この文章が収録されている『太陽の川』が出版されたのが1978年だというのも驚きですが、当時からここに書かれているような傾向はあったのでしょう。失われたもの、あるいは失われつつあるものとして、次のようなものが書かれています。「盛り場や雑踏の生きた眼」、魅力的な姿をしたひとの美しさ新しさを共有する空間、そんなひとたちを中心としたいくつもの「街角」、「通り」の肉感性(=外界との生々とした感情的な交通)。このことは当然今日にもよく当てはまります。思い当たる節はいくつもあるのではないでしょうか。単純に、街を漫然と歩くということの快楽が極めて少ない、立ち止まってぼーっとしたりなにかを見つめたりすることができない。だから、というか因果は逆でもあるのでしょうが、すべてはどこかからどこかへと向かう「道中」でしかなくなっている。止まってくつろぎたかったらカフェに入るしかない。では、そのカフェへの最短経路はどれだろうか……。これはそのまま経済、社会の動きと連動していますよね。目的を定めて、効率的に最短ルートでそこを目指そうとするという動きです。

この文章が書かれた頃と比べると、今日は、なおのことこの傾きを大きくしているように思われます。当時と一番大きく違うのは、スマートフォンが登場していることでしょう。スマートフォンという窓。それは、まるで何にでもアクセスできる端末であるかのように思えますが、アクセスしているものにしかアクセスできないという貧しさでもあります。都市がまたも光を纏いました。「画面」でしかないところの窓を殖やしました。

さて、時代を下って2012年。戸田ツトムさんは次のように言います。

 明るすぎる街では、場面から独立した想像と想定を駆使した目撃は行われなくなります。すみずみまで指示が出され、人々の視覚において風景は、ディスプレイのように現われます。視覚以外のすべての感覚が排除されようとしているのです。大気、湿度、匂い、ノイズ、音……空間の性格を知らせる多くの囁きを、光によって揮発させながら、我々は都市を、そして街を見ようとしているのではないだろうか。見えるがまま、だけの風景……どこかで聞いたことがあります……what you see is what you get……都市が「画面」化される……仮想化された風景……。陰影を失った都市、見られるだけで触られることがなくなった風景は、4章で述べた「背景」に関わる環境と言う感覚を放棄しただけでなく、背景そのものを失うことになります。そして前景と背景をへだてていた〈距離〉を失うのです。恐らく我々の、日常における深刻な〈背景の無視〉と言う深刻な侮辱と過ちのほとんどは経済の問題です。

戸田ツトム『陰影論:デザインの背後について』

わたしたちはどんどん奥行きを失っていき、表面だけを生きざるを得なくなっている。そしてそれは〈背景の無視〉という実際の問題につながってきている。戸田ツトムさんは2度も、「深刻な」という形容をしています。「日常における深刻な〈背景の無視〉」という「深刻な侮辱と過ち」。これはどこかにいる遠い誰かの話ではありません。この「経済」に絡め取られている以上、わたしたちの問題です。街の歴史を無視して再開発しようという動きもそうですし、ひとの生い立ちへの無関心もそうです。これでいいのでしょうか。いいはずがない。

わたしたちは見えているもののその奥を見なければならない。見えているはずのものを、もう一度見直さなければならない。前景と背景のあいだに距離を取り戻さなければならない。

そこで、詩です。詩人・長田弘は「見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ」と言います。詩は、誰もに見えているはずなのに見えていないものを、見えるようにするものである。わたしたちは、窓の奥を見なければならない。としたら、詩はその手がかりにならないでしょうか。詩を通じて、明るすぎて白飛びしてしまっている街に陰影を取り戻すことができるのではないでしょうか。

見えてはいるが見えていないものを見えるようにする、ということは同時に、見えているものを見えなくさせることを伴います。窓の奥を、背景を、見透かすならば、窓はそのとき見えないものに変わっていなければなりません。モーリス・ブランショは「語るとは、本質的に言って、眼に見えるものを見えぬものへ変形することだ」と言います。もうこの言葉の意味はわかるはずです。わたしたちは、今見えていないものを見えるようにさせると同時に、見えているものを見えなくさせる必要があるのです。そして、ものが見えたり見えなかったりする明るさこそ、光と闇の混ざり合う場、薄明であり、薄暮であるのではないでしょうか。わかりやすいだけの文章でも、まったく意味不明の文章でもなく、わかりそうでわからない、わからないんだけれどもなにか感じるものがある、というその「ハーフトーン」を描くものが詩ではないかと思います。詩は、書く者にも読む者にも、その曖昧さに耐えることを求める側面がある。だからひとはもっと詩を読むべきだし、書いてみるべきだと思うのです。


どのように語ればよいのか

ではわたしたちはどのように語ればよいのか。最後にそのことを述べておきたいと思います。石原吉郎は、「失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえる」と言いました。そのことを説明するために、再び戸田ツトムさんの言葉を引用しましょう。

〈情報〉そのものがまだ立ち現れていないとき……我々はその〈情報〉が何であるかが分からない状態からその実態を把握するまでの間にさまざまな想像をします。たとえば、海を見たとき……あの海に入ったならばとても涼しくて気持ちがいいだろうなとか、小さな魚はいるだろうか、と、思いが浮かびます……その想像の量のことを〈情報量〉というのではないでしょうか。
具体例を挙げれば、テレビを点け、コマーシャルが流れ出した瞬間に、我々が受け取る〈情報量〉は極端に下がります。何故ならば、たとえば「お酒のコマーシャルをやっている」ということ以外の定義ができなくなるからです。つまり〈情報量〉は1なのです。一方、「何が放映されるか分からない」ときには、我々は頭の中でさまざまな想像をします。〈野球中継〉か、あるいは何らかの〈コマーシャル〉か……そういった「待機する状態」の密度が高ければ高いほど〈情報量〉が高いと捉えられるかもしれません。

(同前)

画面の点っていないテレビやスマートフォンの画面を前にすると、わたしたちは不安になります。はやく画面をつけたくなってしまいます。それは、その〈情報量〉、想像の量の豊かさに耐えられなくなってきているということかもしれません。あるいは言葉における沈黙。わたしたちは、言葉がないという状態を恐れている。なにか話さなきゃ、なにかこの間を埋めなきゃ、と、矢継ぎ早に言葉を繰り出していく。ファシズムとは発言を禁ずるものではなく、強要するものだとロラン・バルトは言いますが、その見えない権力の言いなりになっているかのようです。この傾向は、大災害が発生したときのSNSのタイムラインにもよく現れています。「ご冥福をお祈りします」と投稿して、本当は早く忘れてしまおうとしているのではないか、なんて思ってしまいます。タイムラインという激流へと、文字通り水に流したがっているように見える投稿も少なくありません。そうではなく、言葉を語りたくなったときに、少し我慢してみるだけでもいいのです。するとそこに濃密な沈黙があることに気づけると思います。「祈り」とは、安易に言葉にしないでいる忍耐、言葉に限りなく近い沈黙ではないでしょうか。この間。余白。あそび。それは先ほども述べた「ハーフトーン」を大切にするということにも通じています。

詩人は黙っていたい生き物です。なぜなら、沈黙の豊かさを知る生き物だからです。沈黙という〈情報量〉が最大の状態をなるべくなら維持していたいと思っているからです。でも、その無限大にも近しい〈情報量〉をひとは処理しきることができない。だから、少しだけ、ほんのちょっとの〈情報〉を口から漏らすのです。最小限の〈情報〉にして、最大の〈情報量〉を。いつも効率的な計算ばかりをしているわけではありませんが、なるべく少ない言葉に多くの含みを持たせたいというのが、詩人の基本的なスタンスであると思います。ある意味ではもっとも計算高いひとたちかもしれません。もっとも与えたくてたまらないひとなのかもしれません。そしてそれゆえになるべく沈黙に近い状態を選ぼうとするひとなのです。

ですから、沈黙に漸近しながら言葉を紡ぐというバランス感が求められることになります。「いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである」という石原吉郎の言葉は、そのように読めると思います。言葉を失うギリギリのところでなんとか持ち堪えようとする意志によって、詩の全体は支えられる。

まず、言葉を口にしたくなったときに、発言を堪えるという沈黙がある。そして、発言するとしても、なるべく最小限に抑えたいという思いがある。だが、失語の状態に戻る一歩手前で踏みとどまろうとする。これが、詩を書くということだと思います。


なぜひとは詩を書くのか

詩について書きながら、随分と多くを語ってしまったように思います。では、このnoteの最初の問いに戻りましょう。

「詩とはなんなのか」「なぜ詩を書くのか」という問いがありました。そしてその問いに対する、わたしの答えはこうでした。詩とは、無に向かって書く過程である。詩とは、書くことがないところから始まり、書くことのないところへと向かう運動である。あるいは沈黙のための言葉なのだ。

ここまで読んでくださった方にはもう、よくわかるのではないでしょうか。詩は、濃密な沈黙、〈情報量〉最大の状態を維持しようとしつつも、そこから少しの言葉を漏らすことによって生まれる。だがその少しの言葉も、結局は沈黙という〈情報量〉が最大の状態を志向している。はじめに沈黙があり、終わりにも沈黙がある。だから冒頭で述べた、このnoteを開いてすぐ閉じたひともこのnoteのよき読者であるという話は、この文章の内容を想像し、そして閉じたという意味において、〈情報量〉の豊かさを知っているひとだということになります。

そして詩には、見えているはずだが、見えてはいないものを見えるようにするという側面と、見えているものを見えなくさせるという側面があるということでした。この、可視と不可視のあわい、「ハーフトーン」の間をこそわたしたちは取り戻さなければならないのであれば、詩はそのよい手助けになる。詩を読むことによって、あるいは書くことによって、そのわからなさに立ち止まろうとすることができる。この、わからないものをわからないまま受けとめようとする態度、能力のことを、ジョン・キーツという詩人はネガティブ・ケイパビリティと呼びました。

詩を書くのはいいことです。ものごとを多層化できるし、ひとや出来事から距離を取ることができます。現実には多くの問題がありますが、それらにも短絡的に反応しないでいることができます。もちろん、ずっと沈黙していなければならないわけではありません。一旦黙ったあと、必要があればそこから語り始めたらよいのです。ひとや出来事との異なる関係、別の距離の取り方を模索するということは、決してひとや出来事に無関心であるということを意味しません。

ぜひとも詩を、読んでみてください。そして願わくば詩を、書いてみてください。

さて、そろそろわたしも沈黙に帰りたいと思います。お読みいただき、ありがとうございました。

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