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狩猟免許合宿5日目──矍鑠


道の駅に行く

6時起床。起床は蠅の羽音とともに。

今日も農作業は休みとなった。昨晩、受け入れ農家のNさんから連絡があって「町の祭りがあるから明日明後日は休みでいいよ」とのこと。そしてその次の日と、そのまた次の日は狩猟免許の講座があるので、合わせて5連休ということになる。

さすがにわたしも時間をどう使おうか、ということになってくる。煙草を吸い吸い時間を持て余していると、昼休みに農作業から帰ってきたUくん(大阪から来ている農家志望の学生)が声をかけてくれた。

農家さんに借りた車で近くの道の駅まで行くとのことだったので、同行させてもらった。ふくちゃんも一緒の3人連れである。

車を15分ほど走らせて辿り着いた道の駅は、随分立派な構えである。お金と土地が贅沢に使われているのがわかる。

飲食店コーナー

入ってまずは飲食店コーナーに。乳製品100%のソフトクリームはさすがに濃厚で、舌にまとわりつく甘味に舌鼓を打った。添加物が入っていないためか、食べているとすぐに滴ってくる。

Uくんが食べているのが美味しそうだったので、わたしもコロッケを食べることにした。地元産のじゃがいもを使ったコロッケもまたスパイシーで美味だ。肉もケチっていないので食べ応えがある。

そしてアイスカプチーノ。北海道に来てなぜか調子がおかしいと思っていたが、おそらくカフェインが足りていないせいだと思う。大阪では日に5杯はコーヒーを飲んでいたから、そこからの落差だろう。近くのスーパーでペットボトル入りのコーヒーは買っていたけれど、どうしても味は落ちてしまうもの。久々の「カフェイン」は格別だった。

マグカップ

ちょうど、地元の陶芸会が作ったマグカップが売られていたのでひとつ購入した。

購入したマグカップ。控えめな柄があしらわれている。

宿舎にあるコップ類はどれも微妙に小さく、使い勝手がよくないので、あると便利だと思ったのだった。厚沢部町の土産にもなるだろう。

陶器のマグカップは使用前に水に浸しておくといいということなので、今は水の底に沈めてある。


コンビニ!街の象徴!

帰りにセブンイレブン(街の象徴だ!)に寄ってもらって、タバコとガラナを購入した(ガラナはドクターペッパーに似た甘い炭酸飲料で、 主に北海道で流通している)。買ったタバコはセブンスター。ゴロワーズは15箱持ってきているけれども、この頃の余暇時間の多さがゴロワーズの消費に拍車をかけているので、節約のための購入である。

コンビニにうれしくなるのは都会人の証だろうか。冷房に当たり、見覚えのある商品の配列を前にしてなんとなく安心するのは、資本主義社会の安住者の証だろうか。

宿舎から最寄りのコンビニまでは、40分自転車を漕がないといけないのだが、宿舎近辺に住むひとたちは急にアイスが食べたくなったりしないのだろうか、なんて気になってしまう。

どうしてマダムズは元気なのか

快活に働き続けるマダムズ

さて、暇な日が続くので、一昨日までの農作業を振り返ってみる。マダムズ(Nさんの農場で働いているグリーンさん、プリンセスさん、バトラーさんの3人のマダムを以降はこう呼びたいと思います)はわたしより2回りは年長なのになぜあれほど快活に働けているのか。もちろん慣れの問題はあるだろうが、重い荷物を持ち運んだり、長時間じゃがいもを掘ったりしていても、わたしより効率がよいし、疲れていないのがわかる。どうしてだろう。ヒントは、体の使い方にあると思う。

持ってきている桜井章一さんの本から何箇所か引用しよう。

 疲れを残さない練習をするには、練習方法を考えるより先に、まず「自分の体のコントロール」がしっかりとできていないといけない。
 自分の体をうまくコントロールできるのは、疲れがたまるような体の動きを回避することができる人である。自分の体のコントロールがうまい人は、実際にものを投げたり、蹴ったりする時のコントロールもいい。

桜井章一『金メダリストの条件』(竹書房)

 野茂投手の残した成績を見て感じるのは、周囲の人には「負担のある体の使い方」のように見えても、本人にはまったく負担になっておらず、むしろ持てる力の100%以上の力を引き出してくれる体の使い方になっている場合があるということだ。

(同書)

 何か重いものを片手で持ち上げようとした場合、大抵の人はものを握ろうとするために手や腕に意識が行くだろう。
 だが、私はそういった場合、何もしていない逆の手に意識を置く。そうすることで重いものが重くなくなり、力むことなくすっとものを持ち上げることができるのだ。
 力むことによって筋肉が震えたり、体の芯がブレたりするのはバランスを崩している証拠であり、体は隙だらけとなる。大抵の人は「がんばろう!」「勝とう!」という意識が強すぎるあまり、自ら勝手に崩れていく。これこそが自滅への道である。

(同書)

私は独自の体の動かし方を風や水、大地(土)、木々といった大自然と、そこに暮らす様々な生き物たちからも学んできた。

(同書)

つまり、わたしが言いたいのはこうである。

長年農作業に従事してきたマダムズは、農作業の過程で、自然な体の使い方を体得しているということである。そして、そのような体の動かし方は、彼女たちの本来の力以上の力を引き出している可能性があるということである。

他方のわたしは、一度ぎっくり腰をやっていることもあって、つい腰を庇うような不自然な体の動きをしてしまっている。あるいは、腰を痛めているからこそ、「頑張ろう」と思っているところもあると思う。だから、わたしの動作には無駄な力みがあり、したがって、マダムズたちよりも身体のポテンシャルはあれど、それを活かしきれていないのだ。

都会の振り付けにわたしの身体は慣れてしまっていて、つまり、わたしは都会人として調教されてしまっていて、だからわたしの動きは不-自然である。桜井章一さんは「人間が自然界の動物たちのように動こうとすれば、その究極は“踊り”になると私は考えている」と述べるが、わたしは踊ることができていないわけだ。

下手糞なダンサーはどうしたらいいのか

では、わたしのような自然な動き=踊りができていないひとはどうしたらいいのか。桜井章一さんに倣おう。

①“一口”入れる感覚

 今の社会は情報にしろ、お金にしろ、「たくさん持っている」のがよしとされる世の中だ。世間の人たちは「欲しい、欲しい」とばかりに、いらないものまで抱え込んで生きている。だから常にお腹いっぱいの状態で、俊敏かつ臨機応変に動くことができないのだ。
 そんなお腹いっぱいの状況に、余裕を与えてくれるのが「一口入れる」という感覚である。パンパンの状態の胃袋を「腹八分」の感覚に戻してくれるのが、私のいう“一口”なのだ。

(同書)

②つかもうとしないで触れようとする

 速く泳ごうとするあまり、水をつかもうとするから流れるように泳げない。速く走ろうとするあまり、大地を足でつかもうと力むから滑らかに走れない。力みは人が本来持っているパワーを半減させるだけでなく、その後に多大な疲労をもたらすものでもある。「勝つこと」「一番になること」ばかりに執着していては、一番にはなれないし疲れはたまる一方だ。「勝ちたい、勝ちたい」と思っているから逆に負けが込むことを、そろそろもっと多くの人が気づくべきだろう。

(同書)

③知識や情報に頼らない

みなさんが健康のため、あるいは趣味で行っているスポーツ(運動)も、「この運動はこのように動きなさい」と教科書的に教わってきたものが多いはずだ。だが、そのような知識や情報に頼ってしまうと、人間本来の自然な動きができなくなってしまう。余計なものをすべて省いたところに、人間本来の動きは存在するのだ。

(同書)

④「いい汗」をかこうとする

スポーツをした後などによく「ああ、いい汗をかいた」と言うが、いい汗をかくような運動もその跡に疲れをあまり残さない。
(・・・)
日々、ハードな練習を続けている人たちは、まず自分の心身をコントロールする術を磨きつつ、少しでも「いい汗」をかくようにしていけばいい。そういった日々の積み重ねこそが、その人の実力を効率的に伸ばしていくのだ。

(同書)

「③知識や情報に頼らない」はともかく、他は「感覚」の話ではないか、と言いたくもなるのだが、これは否定しようもなく「感覚」の話なのだ。だから、簡単に身につくものではないし、意識したからといっていつもできるわけではない。また、こうできるようになりたい、と強く思うことは「悪い力み」につながる。必ずしも実行することは易しくないだろうが、自分なりに以上のポイントを咀嚼、それこそ「一口いただく」感覚で嚥下したいと思う。

少し長くなったが、読んでくれてありがとう。暑い日が続きます、どうかお元気で。

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