『空の大怪獣ラドン』公開当時はどう評価されていたのか?
国会図書館で1956年公開当時の文献を調べてきたので紹介したいnote。最初は4Kデジタルリマスター版『空の大怪獣ラドン』の個人的レビューや国会図書館の説明が続くので、興味ない人は飛ばして読んでね。
本稿で取り上げる文献
・『週刊東京』1956年11月3日出版号
・月刊『電波科学』1956年11月出版号
・『キネマ旬報』1956年12月下旬出版号
・月刊『東宝』1956年12月出版号
・『週刊サンケイ』1957年1月6日出版号
・『週刊東京』1957年1月19日出版号
・『キネマ旬報』1957年1月出版号
・『月刊自衛』1957年1月出版号
・月刊『興行界』1957年2月出版号
・書籍『映画の手帖』長嶋書房,1957年
※『空の大怪獣ラドン』公開は1956年12月26日
みんな『空の大怪獣ラドン』は4Kリマスター版で観ないといけない
まずはこの調査をはじめたきっかけから話を聞いてほしい。
先日私は調布シネマフェスティバルで『空の大怪獣ラドン』上映イベントに参加してきた。
このnoteにもレポを上げているが、上映後に三池敏夫氏と清水俊文氏が登壇されたトークイベントがあった。そこでは旧DVD版と4Kリマスター版の比較も紹介され、4Kリマスター版で復元された本編映像の色彩デザインの巧みさに改めて衝撃を受けたのだ。
4Kリマスター版『空の大怪獣ラドン』を観て、色彩デザインで私が感嘆したのは次のようなところ。
・空の大怪獣だけあってブルーのアイテムの配置が非常に巧妙である。炭鉱の事務所や病院など建物の窓枠、阿蘇山で犠牲になるカップルの高級外車、ホテルの手すりなどが同系統のスカイブルー。暗くなりがちな炭鉱パートから開放感のあるラドン出現パートへ観客の意識をつなぐ。
・冒頭、炭鉱のケンカシーン。鉱夫たちが腰から下げている手拭いや弁当箱の包みなど細かなアイテムもスカイブルーで差し色として目を引く。男たちが被るヘルメットの黄色は青と補色の関係にある。ちなみに地下空洞に生えている試験管用ブラシみたいな謎植物も黄色。
・平田昭彦のスーツは濃いブルー。他の登場人物も青系統だが、ヒロインの白川由美のみ鮮やかな花柄の服装で観客の目を引く。
・西海橋ほか群衆シーンの服装。基本的に白のシャツにブルー系のズボンで統一。不自然にならない程度に赤などの服装もいる。
初のカラー怪獣映画なのに、製作陣はどうやってこれだけの色彩デザインのノウハウを得たのかも気になるところ。
『空の大怪獣ラドン』の4Kリマスターは昨年惜しまれながら事業を終了した東京現像所の仕事だ。同社によるリマスター企画は「初号試写の映像の再現」を目指すスタンスで行なわれており、ラドンでは特に色の復元がテーマだったそうだ。
清水氏によると、それが可能になったのは、本編映像を光の三原色RGB(赤緑青)に分解したテクニカラー形式のフィルムが残されていたこと。『空の大怪獣ラドン』は一本のフィルムで色を表現できるイーストマン・カラー形式で撮影・上映された作品なのだが、より早くに普及していたテクニカラー形式の設備をもった海外の劇場向けにこの形式のフィルムも作られたのではないか?とのことだった。
4Kリマスター作業では、RGBのそれぞれのフィルムを参照することで公開当時の新品に限りなく近い映像を復元できたのだ。
これまで私が『空の大怪獣ラドン』に接してきたのは旧DVD版で、それは経年劣化で黄色く褪色したフィルムに大きく影響されたもの。
私も含め、過去のデジタルメディアでしか『空の大怪獣ラドン』に触れる機会のなかった世代の怪獣ファンは、少なくとも色彩に関する要素については、製作陣の仕事を過小評価してきてしまったのではないか。そう思わずにはいられなかった。東宝初のカラー怪獣映画なのに!
4Kリマスター版の意義を知ると、公開当時の評価ががぜん気になってきた。1956年12月26日に封切られた本作を観た当時の観客たちは何を感じたのだろうか?
それを調べるため、私は国立国会図書館へ向かったというわけだ。
国会図書館はデカくてイケてるという点でゴジラに近い
脇道に逸れるが、せっかくなので国会図書館を紹介しておきたい。初めて利用したのであまり詳しくなく恐縮なのだが、すごくいい施設だったので…。
国会図書館は国会議事堂のとなりにある馬鹿デカい図書館で、古今東西あらゆる文献が集められている。国会議員とか政策秘書とか偉めの人が政策の研究とかで調べ物するのにチョー便利!国家もめちゃ安泰!みたいなことで運営されているが、国会議員はパー券売り捌いて本を買いまくれる制度があるので図書館に殺到したりする心配はなく、私のような庶民でもありがたく利用できるという寸法だ。
利用してみて驚いたのだが、国会図書館のアーカイブはすごい。当時の文献がデジタルスキャンされて所蔵されており、館内の端末で「空の大怪獣ラドン」などと検索すれば、古い活字も精度よく認識された謎のOCRテクノロジーで多くの文献が一瞬でヒットする。当時の世の中が手に取るようね。
昔1954年にゴジラが東京に来て国会議事堂をブッ壊したときには居合わせた野次馬から拍手が起きたという。政治家の仕事が雑で民衆に不満が溜まっていたからだ。国会なくなっても青空国会すればいいのでザマミロで済むが、国会図書館なくなると大惨事である。
人々の気持ちを知ってか知らずか議事堂を壊したゴジラだが、図書館とか博物館とか水族館とか清水寺とか、そういう文化的なものを積極的に壊したことはあんまりない(ちょっとはある)。文化的なものを大事にしながら君臨する姿勢ひとつとっても怪獣王の地位に寸分の疑いもないのは明らかだ。
何が言いたいかというと、貴重な資料が庶民でも容易にアクセスできるよう所蔵されている図書館は我が国にとって大きな財産なので、皆さんもぜひ利用してみるといい。
国会図書館デジタルコレクションで読むラドン公開当時の興味ある知見、掘れば掘るほど出てくるぞ
ここから本題に入るので、リアリティー・ラインを元に戻す。
国会図書館デジタルコレクションとして所蔵されている文献のうち、1956年12月前後に出版されたものを対象に「空の大怪獣ラドン」「ラドン」などのワードで検索をかけた。今回閲覧できたのは、雑誌8・書籍1の9の文献。それらのとくに興味深い記述を、法的に引用と認められるための要件を逸脱しない範囲で、可能な限り紹介する。
※文字遣いは原文をそのまま引用している。例えば「っ」の大小などは写植の都合で同じ記事内でも混在しているケースがあるが、原文ママとした。明らかな誤植や補足が必要と判断した部分には(注:)と注釈を入れている。また、引用中の情報は当時のものであり、のちの研究で上書きされた知見が含まれる可能性にご留意いただきたい。
まずは『空の大怪獣ラドン』公開前に映画を紹介しているPR・告知系の記事から見てみよう。
公開前のPR・告知系記事
● 1919年の創刊から今日まで続く映画専門誌の老舗中の老舗『キネマ旬報』。1956年12月下旬出版号には東宝映画の見開き広告ページが掲載されている。『空の大怪獣ラドン』は「1956年と1957年をつなぐ東宝7大作!」のひとつとしてプッシュされている。7大作としてほかには人気剣豪小説の映画化作品『眠狂四郎無頼控』や宝田明・久保明・池部良らが出演したミュージカル『歌う不夜城』などが掲載。
ゴジラの製作陣による特撮シーンがカラーで見られることを最大の訴求ポイントにしているのがわかる。
原稿では「自信をつけた東宝の特殊技術陣」と書かれているのが面白い。『ゴジラ』の時点では本当に世間に評価されるか特撮班の間でも半信半疑の声があったのだろうか。
●11月初頭にひと足早く告知を載せた東京出版社『週刊東京』1956年11月3日出版号では
それほど興味なさそうな扱いではあるが「本当の主演は怪獣ラドン」と書かれているあたり、ドハティのKOMエンドロールのクレジット「Rodan HIMSELF」に通じるバイブスを感じてとてもいい。いつも怪獣に言及するときはこの姿勢でありたいものだ。
●1933年に創刊され、のちに『エレクトロニクスライフ』と改題される『電波科学』は、電子工作が趣味の人に向けた月刊誌。花村禎次郎という筆者による映画「紹介と批評」コーナーがあり、1956年11月出版号で『空の大怪獣ラドン』が取り上げられている。
ものづくり系の趣味の雑誌らしく、撮影の技術に興味をもった書き方だ。そのなかでもやはりカラーであることに関心が寄せられている。合成用の素材の撮影で九州でロケハンが行なわれたことへの言及も興味深い。
●東宝が出版していた月刊誌『東宝』1956年12月出版号の『空の大怪獣ラドン』紹介記事より。封切りとタイミングを見合わせたPR記事である。
スタッフ間の裏話やスーツアクターのインタビューなども載っていて、現在のファンコンテンツの視点から見てもかなり興味深い。
限られた文字数で作品をPRするための記事にもかかわらず、出演俳優やラドンなど訴求しやすい要素だけでなく、スーツアクターのような裏方とされていたスタッフにもスポットライトを当てて文字数を割いている。さらに当時のゴジラファンとスーツアクターの交流も垣間見られるではないか。
(ただ「アンギラスでも名演技をみせた中島春雄君」「ゴジラをやつた手塚勝巳君」などの記述は、今日の認識とは異なっている。これらは現在のほうがよく研究されている資料があるので、両者が助っ人的に演じたことはありそうだが、取材で齟齬があったか記者の取り違えの可能性がある。公開された作品の時系列も若干怪しい)
『空の大怪獣ラドン』公開後のレビュー
『空の大怪獣ラドン』は12月26日に封切りを迎える。封切り後の各媒体でリアルな反応が見てとれる部分を引用していく。
●12月出版号で東宝の広告を載せていた『キネマ旬報』の1957年1月出版号
文中で太鼓判を押しているのは円谷英二であり、キネ旬的には「この種の映画としては」と前置きした上で期待に応えるものと伝えるにとどまっている。媒体との相性もあるのでおすすめしにくいジャンルなのかも知れない。褒めるつもりはないけど東宝さんから広告もらってるし無難に書いとくか…という編集部の立場が垣間見えるリアルな原稿だ。
●一方、映画の集客や興行成績などを発信していた業界誌の月刊『興行界』2月出版号では、ラドン上映に沸く劇場のようすを興行面での高い評価とともに伝えている。
下町の各劇場で2万人超の観客動員があったと伝えている。やはり業界内でも怪獣ものがカラーになった点が集客に寄与していると捉えられていたようだ。強力「トリ」とはNHK紅白のトリなどと同じ語源の業界用語で、ここでは劇場の売り上げを大きく支える強力な収入源になっている作品という意味だ。ラドンのことではない。星四つは閲覧した範囲では最高評価。
●1957年1月6日出版号の『週刊サンケイ』の映画紹介コーナー「今週のスポットライト映画」は、実際に作品を見た記者によるリアルな感想。やや不満点も書きつつ、トータルではほめている。やはり色彩への言及も多い。
「特撮」という単語が普通に使われている点に注目だ。今Wikipediaを見たところ、この単語が使われるようになったのは58年ごろとされているが、1957年1月時点で何の説明もなしに使われるほど定着していたことがわかる。
ラドンの愛嬌とは、間違いなく地下空洞で卵から孵った雛ラドンのかわいらしさを受けてのものだろう。今日人気を博している怪獣人形劇『ゴジばん』の赤ちゃんラドンのモチーフになっているし、孵化を目撃した佐原健二の迫真の演技と併せて後世でも広く愛されている名シーンである。
文脈から『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』と比較されているのがわかるが、真実性を持たせたことが「一歩前進」と評されている。この筆者が何を指して真実性と書いているのか具体的な記述はなく不明瞭だが、お正月の家族向け映画としてかなり高く評価されている。
●これは日本保安時報社が出していた『月刊自衛』の映画コーナー。
自衛官を対象にした硬派な雑誌なのか、怪獣映画は軽んじられている雰囲気がちょっとある。もしかしたら、ヤラレ役として描かれるのに反発もあったかもしれない。が、トータルでは読者にオススメしている書き方だ。
興味深いのがラドンのソニックブームについて「いま流行の衝撃波」と触れているところ。1950年代はジェット戦闘機が本格的に活躍し始めた時代で、55年には航空自衛隊にF-86セイバーが供与され、米国では最先端の試作機が音速を超えて次々と最高速度を塗り替える記録を作っていた。同時期にニュースになっていたのか、防衛や軍事に関連したトピックとしてもホットだったのだろう。超音速とソニックブームの関係に触れているのも航空に詳しい読者がいる媒体ならではで、他のレビューと毛色の違いが見てとれる。他方、特撮のリアルさを評価しているのは他誌とも共通だ。
●1956年11月の発売号で公開前のラドンを紹介していた『週刊東京』は、翌年の1月19日出版号で評論家・双葉十三郎のラドン評を掲載。ヒロインの俳優を河内桃子と書いていたりしてちょっと怪しいものの、実際に観た感想を遠慮なく書いており、当時のリアルな評価として貴重なレビューである。これもトータルではかなりほめている。
「こうすればもっと面白くなった」的なことを書いていたり、うっかり他ジャンルをsageてしまっていたり、いつの時代の人もついつい書きたくなっちゃうんだなぁと映画ファンとしてかなり親近感がもてる。
メガヌロン登場パート、巨大なヤゴがキュピキュピキュピキュピ...バン!ババァ〜ン!!と庭から家に入って炭鉱チームとバトルする件りは、前足?に炭鉱ステッキを持っていたりしてかなりの愛嬌があり、十三郎に完全同意だ。
筆者の双葉十三郎は淀川長治と同世代の著名な評論家である。モルモット吉田・著『映画評論・入門!』(洋泉社)によると、当時から空想科学映画にもよく理解を示し好意的に評価していた数少ない評論家のひとりと紹介されている。このラドン評でも特撮パートを色彩の効果も合わせて高く評価している。
ちなみに『映画評論・入門!』には『ゴジラ』や『七人の侍』公開時の各メディアの評論をまとめた「リアルタイム映画評論REMIX」が収録。雑誌と書籍からの引用にとどまっている本稿とは違い、当時の新聞まで網羅したうえでテーマに沿ってわかりやすく解説されている。ここまで延々ラドンについて書いている私が実はゴジラ教信者だということは国会図書館紹介文でお察しいただいたことと思うが、その私がゴジラ公開当時の文献を調べなかったのは『映画評論・入門!』で満足しているからだ。結局のところ本稿もモルモット吉田氏の手法の模倣にすぎず、この点は氏への敬意を込めて述べておく。
●最後に紹介するのは長嶋書房編集部 編、『映画の手帖』。これは雑誌ではなく1957年に出版された239ページの書籍で、映画の歴史、実際の製作過程、携わるスタッフそれぞれの仕事内容、知っておくと映画をより楽しめる技術的な知識などが解説されている。
そのなかで、53ページから始まる「特殊技術」の紹介では、ジョルジュ・メリエスから始まるトリック撮影の概要をひと通り紹介したあと、公開されたばかりの『空の大怪獣ラドン』を取り上げ、東宝宣伝部への取材をもとにそのメイキングを5ページにわたって写真とともに掲載している。解説されているのは、雛ラドンが卵から孵化するシーン、岩田屋のシーン、西海橋のシーン、ラストの阿蘇山のシーンで、具体的な操演、カメラの回し方、かかった諸費用の金額まで明らかにされており、特撮ファン必見の資料である。ここでの引用は、溶かした鉄を使って撮影されたことで有名なラストの噴火シーンに関する部分にとどめるので、各位、国立国会図書館デジタルコレクションにアクセスして閲覧されたし。
(※当時の情報であり、のちの研究で上書きされた知見が含まれる可能性にご留意ください)
まずこの種の一般向け解説書で『空の大怪獣ラドン』が取り上げられている事実は大きい。『ゴジラ』から始まった東宝の怪獣映画が、特殊撮影の代名詞として掲載されることに誰もが納得する確固たる地位を築いていたことの証左だ。
全体で2億、その内60%が特撮に使われたとされる製作費については、これまでもネットで検索するとヒットしていたが、当時の文献で裏がとれたのは収穫だった。ラストで溶鉄を用いた撮影を実現するのに100万円程度使われたことも判明した。
消費者物価指数で比較すると1956年と2023年で物価は6.42倍になっているから、当時の2億は今の12.8億くらい。溶鉄を流すためだけに640万という費用感だ。『シン・ゴジラ』『ゴジラ-1.0』の製作費は公にされていないが10〜15億と推測されている。ラドンの2億というのはそれと同水準の金額だ。
テレビの一般普及前、映画が娯楽の王様といわれた全盛期の大作と同じ規模で今もゴジラを撮っている東宝はなかなかイケている。
溶鉄を使った噴火シーンの撮影では、特撮班円谷英二の創意工夫の精神がここでもふんだんに発揮されているのがわかる。やはり円谷英二はこうでなくては。ヨシ!スタジオに熔鉱炉もってきて噴火を撮ろう!という発想自体が常軌を逸した特撮神のそれとしてファンの間で語り継がれているが、そこから先の撮影もさらに高い解像度で理解が深まったと思う。
あの溶岩は三人の職人が溶かした4トンのスクラップ。流路にはコークスで速度調整。ここはラドン検定のテストに出るところです。
なおラドン検定ではほかにも次のようなのが出題される。この答えも『映画の手帖』(p56)に載っているので、国会図書館で探して答え合わせしてみてください。
問い
ミニチュアセットでの撮影はラドンの暴風を表現するのに航空機用の(あ)馬力エンジンで風を起こした。騒音で声が通じないため、円谷英二特技監督は(い)を使って「カット!」などの合図を出した。(あ)(い)の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
A.(あ)80(い)ランプ入り表示板
B.(あ)80(い)ピストルの空砲
C.(あ)150(い)ランプ入り表示板
D.(あ)150(い)ピストルの空砲
まとめ
全体的に、カラー作品であることへの言及がやはり多い。公開前にもこの点が力を入れて訴求されており、レビューでも肯定的な評価が多く見られたが、色彩デザインについての具体的な評価は見つけられなかった。
映像面では特撮パートを褒めている評論が多い一方で、ドラマパートへの言及はあらすじを紹介するにとどまっているケースが大半だった。とはいえ、本文から離れた写真で俳優を掲載した媒体も多かった。
着ぐるみで造形された怪獣(メガヌロン含む)を、愛嬌があると好意的に評価した筆者も複数見られた。洋画のクリーチャーとは完全に趣きを異にする本邦の怪獣のルーツには、今日のゆるキャラ文化などにも通底するこういった観客の感性も大きく影響しているに違いない。
製作現場の声やスーツアクターの奮闘を伝える月刊『東宝』や、撮影技術面への興味を促した『電波科学』、メイキングを詳報した長嶋書房編集部・編『映画の手帖』のような媒体もあった。
1950年代半ばにもこういった情報を発信する媒体があった事実を知れたのは大きな収穫である。
現在に通じる怪獣ファンダムの存在と、公式から発信されるコンテンツを含めたファン文化が形成され始めたのは、開田裕治氏や氷川竜介氏らの世代がファンサークルを作って自ら製作サイドに取材を行ない同人誌で発信し始めた、70年代以降というのが私の認識だった。
以前、神保町・ネオ書房アットワンダー店で両氏が対談したトークイベントがあったのだが、そこでは「70年代当時、公式から供給されるコンテンツは、怪獣やヒーローをスターとして扱うブロマイドなどのグッズが多かったが、作品を深く掘り下げる情報は乏しかったため自分たちで取材や研究を重ねるほかなかった」といった趣旨の話題が出ていた。
第一次怪獣ブームを経て怪獣コンテンツのメインターゲットが幼年層に移り変わっていくなかで、情報発信もニーズに合わせてコミックやソノシートといったメディアミックスやブロマイドなど見て楽しめる媒体やグッズに偏重していったのではないか。ジャリ番などと呼ばれ特撮の社会的地位が低下し、裏方がメディアへの露出を敬遠するようになった事情もあるかも知れない。その結果、ラドン後の10余年で製作陣の努力を発信する動機がメディアから失われた可能性がある。この辺りの事情は私には推測するしかない。有識者の見解が待たれる。
『空の大怪獣ラドン』は2年後の2026年に70周年を迎える。この記念すべきタイミングでは、令和版ラドンが12億円くらいかけてリメイクされたり、あらゆる出版社からラドン関連ムックが発売されたり、スピンバーグがラドンに言及してニュースになったり、ハリウッドの地面にラドンの翼型が飾られてドハティがはしゃいだり、新宿のネコチャンがラドンと戯れあったりして大きな話題になると予想されている。ゴジラの陰に隠れてしまいがちなラドンだが、これまで見てきたように特撮の歴史に燦然と輝く作品なのだ。特撮ファンのみんなも70周年に向けて大いにラドンを語っていこうではないか!
◆◆◆
ところで私の怪獣ファン仲間でマブダチのキミコ氏が、ラドン好きの自身をモデルに書いた「ラドンライター」が読める。ラドンを追うことに情熱を燃やす女性ライターが主人公の短編だ。
その設定に全力で乗っかって書いた怪獣専門誌編集部を主役にした長編(キミコ氏と合同でc101で頒布したもの)を、今回、ラドン70周年勝手に盛り上げ企画としてアップしてみた。雑誌編集の現場をガチでやりすぎて「入稿締切日にFTPサーバートラブルで大ピンチ!」とか「特集がラドンじゃ広告が全然入らないぞ!どうするんだ!?」みたいな話が続いてなかなかラドンが出ないため、双葉十三郎には苦言を呈されるに違いないんですけど、そこは原作リスペクトということで…。お仕事小説として読んでください。
十三郎みたいにラドン登場場面から読みたい方はここからどうぞ↓
軽い気持ちで国会図書館を訪問したことから書き始めたこのnote、14000字を突破している。私がラドンライター名乗ってもいいかな…?
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