カラフル

 寒さも引き、春の息吹がそこかしこで感じることのできるようになった時期、我が学部恒例の文学ディベートがやってきた。もちろん文学部に所属している私にも参加の義務があり、私は研究室の端の方に腰を下ろしては時計の長針を眺めては指をいじって時間を持て余していた。
 「それでは開始します」幹事長の言葉をきっかけにミーティングは始まった。春休みの間に与えられたテーマについて予習をし、今回のディベートに挑んでいる他生徒。スラスラと意見は交わされる。
 今回のテーマは「戦前文学と戦後文学の比較、文学変遷」といった分かったような分からない議題である。それぞれが好みの作家を中心にして戦争が文学に与えた影響を論じていく。私の番が回ってくると、今回の監修を務めている教授が私を一瞥した。
 「不謹慎ながらも大胆な発言をするのなら、戦争を体験していない僕達若者は不幸とも言えるでしょう」
 我々のディベートには嫌われ役と通称される役目がいる。誰もが一辺倒な発言をして会議に大した結論が産まれないことを避けるために敢えて少数の意見、あるいは反抗的な意見を言う人間だ。今回その役目がを与えられたのが私だった。事前にその知らせが来るのはディベートの前日だ。この役割の存在を知らないものもいる。というより、大多数が知らない。この役目は大抵私が毎回こなすからであり、私がそうした仕事に準じていることを知っているのは幹事長と監修の教授と、そして私くらいだろう。
 私はそもそも文学が大がつくほど嫌いで、このような文学ディベートなどという言葉には吐き気すら覚える。二十歳に達したかどうかの若者がしたり顔でよく分からない小難しい言葉をのべつ幕なしにがなりたてる姿は鳥肌立つ。だからこうした活動の際にはいつもふざけている。教授もそんな私に快く対応してくれて、だからこそ嫌われ役はおおむね私の特権となり得る。私は皮肉を込めて、キザっぽく話を続ける。
 「だから、僕たちは概念上でしか戦後を語れない。『戦後でない2005』というリリックがあるように2023年を生きている僕達なんていうのはもはや戦争は神話の領域と言っても過言ではなく、せいぜいがメタファーとして引用するくらいしか出来ないでしょう。アプレゲールの若者とは程遠い。吉行淳之介の言葉を借りるなら、僕達にとって戦後はゴーロワ的なもの、まさにガルガンチュアの大笑いといったところでしょうか。」誰もがポカーンとしている。当り前だ。発言した当の私にだって全く意味がわからないのだから。吉行淳之介なんて人物はこの世にいないし、ましてや「アプレゲール」「ゴーロワ的」「ガルガンチュアの大笑い」なんて言葉も勝手に頭に浮かんだカタカナをテキトーに並べただけの造語だ。私は足を組んで、両手を祈る形に握りしめ、その上に顎を置いた。鼻をフフンとならして、積極的に発言していた数人の生徒を眺めた。私とよく行動する友達はげらげら笑い、演技臭い私の喋り方の訳を知っている教授も口元を隠すように肩を揺らした。仲の良い生徒同士で耳打ちをして私の陰口を言うのを見る。さらに続ける。
 「文学だとか哲学だとか、不毛ですよ。強いて言うならそれを書くのは良いですが、評論なんてもってのほか。クワを持って畑を耕し夜這いで作った嫁さんに子供をポコポコ産ませているジイさんの方がよっぽど尊いですね」
 「真面目にやってください」一番張り切っていた女生徒が私に噛み付いた。私は彼女を一目見て、無視をした。
 「それでは次の方どうぞ」と幹事長は場を進める。その後、会議は滞り無く進んでいった。

 このディベートの途中でうんこを漏らしたアホ男子がいる。私の発言から数十分後だ。冷や汗をかき、どこか落ち着かない様子の彼は発言の場を与えられても黙りこみ、幹事長が促しても、あーえーとしか言わずに、「何も考えて来ませんでした」と蚊の鳴くような声で俯いていた。そんな彼が突然穴の空いた風船のように口から息を絞りだすと、研究室に目の染みる激臭が襲い、彼がその臭いのもとであることに気づくのに時間は全くかからなかった。監修の教授が呆れたように「トイレに行ってきなさい」と告げ、教室を出る彼の股間はもっこりと不自然に膨らんでいる。彼についていくように臭いは動きまわり、扉が閉まると残った臭気は天井に登り窓の外へ去っていった。
 「なんでよりによってあんな量を漏らすのかね」私の隣にいた、いかにも将来火事場の先頭で野次馬をしているおばさんになりそうな女子が言った。
 「そりゃあ、あれだけ貯まるほど我慢していたからでしょ。少量だったら我慢するまでもないし、漏らすまでに我慢した時間と、量の多さは比例するんじゃない?」と私は誰かに軽蔑しながら言った。
 その後なんか、その女は車に轢かれてましたわ。

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