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全く行かなかった図書館のススメ

最近、図書館で本を借りましたか?ハイと答えた方はこの文章を読む必要はありません。しかし僕のように学生時代を最後に数十年単位で図書館で本を借りていないという方には、是非最後まで読んで欲しい。

きっかけは「群像」という雑誌が読みたかったからだ。この「群像」は講談社発行の格式高い月刊文芸雑誌であり、恐らくそんなに一般向けではない。コンビニに置いていないし、小さい書店では扱いがない。ならばいつものようにamazonでポチっといきたいところだが、なにせ僕はこの雑誌の中の1つの連載だけ読みたかった。僅か数ページに1550円は高すぎる。ということで図書館へ行き借りることにした。しかし本はすぐに手に入らなかった。近所の図書館に行くも扱っておらずスタッフに聞くと、市の中央図書館ならあるとのこと。取り寄せますか?と聞かれたが断った。何十年ぶりの図書館なので会員カードを持ってない。会員カードなしで取り寄せは出来ないだろうと予想した。中央図書館は自宅から車で30分かかるが職場からなら車で5分の距離だ。だったら中央図書館でカードを作り、借りれば良いと思った。数日後、仕事の合間で中央図書館へ行く。受付で本の場所を聞き雑誌コーナーへ。7月号と8月号を借りようと思ったが8月号は誰かに借りられてるらしく無い。しかたなく7月号だけを持って貸し出しカウンターへ行く。そこで会員カードを作る。ふとカウンター横のパソコンに目が行く。所蔵の書籍を検索するものかな?と思ったが「インターネットで予約」の文字が目に入る。貸し出しをしてくれたスタッフに尋ねると、今の会員カードに追加で、そのパソコンでネット会員になるとネットで予約ができるようになるとのこと。僕は8月号を予約したいのでやり方を聞きネット会員になった。登録が終わり帰ろうとすると初老の男性スタッフから声をかけられる。ネット会員になると色んなサービスが受けられるので説明するという。ちょっと面倒臭いなと思ったが一応聞くことにした。すると、何十年ぶりの図書館の進化に驚いた。

まずはそのネット予約だ。図書館での予約は来館して予約するものだと思っていたが、今やネットで予約が完了する。予約した本は市内のどの図書館(分館)でも受け取れる。僕の近所にある自転車で5分の小さい図書館でも借りれるし返せるのだ。予約した本が近くの図書館に届くと、メール・電話などで通知もしてくれる。数十年の月日は図書館をここまで進化させていた。また図書館を利用して気づいたことだが、amazonにない古い書籍も意外とあったりする。しかもこれが全て無料で利用出来る。こんな素晴らしい施設になったんだと感動した。この感動を伝えたいのはあるが、僕が本当に訴えたいのは、図書館を無料で利用するにつれて色々なことを考えさせられたことだ。

もし仮に図書館が有料サービスだったら全く考えないことも、無料だから考えてしまう事がある。まずスタッフについて考えてしまう。これはおじいちゃんスタッフに多いのだが過度に親切である。前述の僕がネット会員になる時にもこんなやり取りだった。


僕:「あのパソコンでネット会員の登録出来るんですか?」

おじいちゃんスタッフ:「あ、ネット会員はですね。そちらの機械もしくはインターネットに接続してもらって図書館のホームページからカードのIDを入力していただくと仮のIDが発行されますので、その仮のIDをウンヌンカンヌン・・・」

これが有料のサービスであればこうはならないだろう。恐らく簡潔なマニュアルが用意され、マニュアル以上のことは言わない。それが図書館の場合、競争の激しい市場原理に囚われていない運営方針がこのような良くも悪くも余裕のある対応をスタッフにさせるのか、過度に親切である。こんな過度な親切も無料だと思うと許せる。そして、こういう接客もたまには必要な気がしてくる。なぜなら、そういう余裕のある対応に接することでこちらの心に余裕がないことに気付かされるからだ。

こんな事も考える。借りたい本をネット予約をしようとする時、既に誰か借りてる人がいる。もちろんその人が返さない限り借りる事が出来ない。すると、「あー 、今借りてるこの人、実は延長したいのに僕が予約しちゃったから返さないといけないと思わせちゃったかなぁ」なんて考える。これがもし有料のサービスだったらどうだろう。ちょっと古いが例えだがTUTAYAなどのレンタル店では借りられているソフトは予約出来ない。お金を払って借りている人が優先される。例え無断で延長しても延滞金さえ払えば良いのだ。だから借りている人の事など何も考えない。

また図書館では、自分の借りている本が誰かの予約が入ってしまうと延長が出来なくなるのだが、そんな時も「あ、僕と同じくこの本が読みたい人がいるんだな。まだ読み終わってなんだけどなぁ。でもしかたないな。申し訳ないけど、また次に予約入れさせてもらおう」なんてことも考える。このように、無料で利用できる図書館では、お金を媒介にした取引関係やお金による優先権を主張できない。そんな平等性が、(見えない)他人のことを考える切っ掛けになっているように感じる。

だがすでにお気づきだと思うが、厳密に言えば図書館は無料じゃない。無料じゃないが有料のサービスでもない。つまり僕たちの税金で運営されている公共サービスだ。僕の市は市民100万弱の市なのだが、毎年約10億という巨額な予算が図書館に使われている(※)。そう考えると、とても無料といってはいられない。税金の使い道として正しいか正しくないか?を考えてしまう。ただ今はそのことは脇に置いておきたい。この誰もが無料で使える公共サービスによる心の変化に注目してほしい。そこで同じ無料で使える公共財・公共サービスと図書館を比べてみたい。公共サービスがすべて図書館のように他人のことを考えてしまうだろうか?どうやらそうでもない。

個人的な感想になるのだが、例えば学校は?通ってる時のみ愛着はあるものの、卒業してしまえば自分のものとも思わないし次に通う人の事も一顧だにしない。救急車・消防車は色んな人が利用するが、自分が使う時は自分の事で頭がいっぱいで他人の事を考える余裕がない。道路は?他の利用者の事を考えやすいのだが、生まれた時からあるために自分から選んで利用している感覚がない。つまり、他の公共サービスが受動的もしくは能動的だが他の選択肢が無いサービスなのに対し、図書館は能動的かつ利用の選択の自由があるサービスだ。能動的で選択的あることが、他の公共サービスに比べ図書館を地域に住む住民について自ら思いを巡らせる事の出来る特別なサービスにしていると考える。なぜなら人間は、自分の意志で物事に関わる時以外に本気で関わることができないからだ。

図書館は自分の地域の他人を気にする事ができ、能動的かつ選択的に公共に関わる。この事が僕の心に変化を及ぼした。正直、僕は地域行政について積極的に考えてこなかった。情けない話だが、図書館を利用するようになり、はじめて地域行政について真剣に考えだした気さえする。図書館には、そんな効果があるんじゃないかと感じている。だからぜひ皆さんにおススメしたい。たまには図書館に足を運び本を借りてみてはいかがだろうか?


<参考資料>
※令和 3 年度予算及び事業計画
https://www.library.city.chiba.jp/consultation/pdf/r3_0323keikaku.pdf


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