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静かに授業を待てない4歳児と47歳児

まず最初に断っておきたいのですが、ここに書かれていることは、【あくまで個人の感想】です。

今年の4月から、娘を七田式教室に行かせた。七田式教室とは、幼児教育の教室のひとつで、全国に約200教室、世界18の国と地域にあるそうだ。レッスンは、0歳から小学生の年代のレッスンを中心にしている。誤解をおそれず超簡単に言えば、幼児の塾だ。娘はまだ4歳。我が家では小学校受験など全く考えていない。それにもかかわらず4歳の娘を塾に行かせた経緯は、以下のようなことだった。当時、妻は娘があまりに言うことを聞かないことに悩んでいた。塾に行けば、少しは言うことを聞くようになるんじゃないかと考えていた。私が見ても確かに娘は言うことを聞かなかった。毎朝、幼稚園のために決まった時間に起こしても起きない。ご飯中は肘をつかないでと何度言っても肘を付く。幼稚園のバスに遅れそうな時、着替えは◯時〇〇分までに着替えてね、と言っても一向に急ぐ様子もなくのんびり準備して約束の時間を過ぎてしまう。お風呂の時も、寝る時も言うことを聞かない。つまり、基本的に一日中ずっと言うことを聞かない。だから妻の塾行きの提案は、ある程度理解できた。だが私は、本人が行きたいという意思を表明するまで塾なんて必要無いと思っていたし、子供は本来言うことを聞かないものじゃないか、という思いもあったので最初は反対した。しかし結局私も最終的に賛成することになった。理由は、妻の方が私より子育てしている時間は圧倒的に長いし、一日中娘が言うことを聞かないことが、妻にとって大きなストレスになっているように思えたからだ。そして何よりこれが賛成した最大の理由なのだが、娘が言うことを聞かないことでストレスが溜まった妻は、その不満や怒りを私にぶつけていた。まるで車の玉突き事故のような形で私にあてられたストレスで、私も非常にまいっていた。ちなみに妻は、カカア天下にからっ風で有名な群馬県出身で、まさに群馬の女を地で行っている。私にあたる時はかなりキツイ。だから私も自分の理念を曲げ、自分のストレスの軽減の方を選択した。かくして娘は塾に行くことになった。

娘は塾に行き始めると、色んなことを覚えた。平仮名で自分の名前を書けるようになり、100まで数えられるようになり、平仮名を全部覚え、曜日を覚え、カタカナを覚え、足し算を覚え、引き算まで覚えた。そして、親の言うことは、相変わらず聞かなかった。まさに思ったとおりの結末。脳が発達し、親の言うことの理解度が進んだとしても、言うことを聞くようにはならなかった。塾に行けば娘が言うこと聞くだろうと期待していた妻は、すっかりモチベーションが落ちた。土曜の塾の送り迎えに行く気力も無くなり、送り迎えを私に任せるようになった。この塾への送り迎えという行為は、単に塾へ車で送って行き、帰りに車に乗せて帰ってくるだけではない。15分程度、塾の狭いエントランスで授業開始を娘と一緒に待つことが含まれている。この待ち時間、エントランスは授業の終わった親子と授業開始を待つ親子でごった返す。なんでもこのコロナ禍で教室を毎回除菌するため、以前より待ち時間が長くなったそうだ。この15分が私には嫌だった。幼児達にとって15分はとても長い。じっと待っていられず、騒ぎ出す。走り出す子、紅蓮華を歌い出す子、親におんぶしようとする子、床に寝そべって背泳ぎする子など、カオスでやかましい光景が繰り広げられる。私はもちろん娘に注意する。時には厳しく静かにしなさいと怒っても、まったく言うことを聞かない。こんな地獄のような状況が毎回続いた。このストレスフルな時間に、私は他の親の子供に対する反応を見ることになった。その光景は、私には衝撃だった。他の親は、全然怒っていなかったのだ。ダメよ、ぐらいは言うが、私に比べると遥かに優しい言い方だ。その後も私は、何度も他の親を見るにつけ、自分があまりに娘に怒りすぎていることに気づいたのだった。なぜ今まで、自分が怒りすぎていることに気づけなかったのか?スーパーだろうが、駅などの公共交通機関でだろうが、他の親が自分の子供に対する接し方はさんざん見てきた。しかし私自身を振り返ったり、勉強にはならなかった。人のフリ見て我がフリが直せなかった。これは自分の仮説なのだが、人は同じ条件、もしくはすごく似た条件下じゃないと、他人の行動を自分の参考にできない。つまり、スーパーで他の子供が親に諭されているのを見ても、前後関係や詳細が分からないので他人事になってしまうだと思う。それに対し塾のエントランスでの出来事は、他の親も皆同じ条件のために、他人の行動が自分にストレートに参考になった。

そういえば、似た現象を目の当たりにしたことがある。私の会社の営業部で、研修の一環で行っている新規交渉のロープレだ。そのロープレのやり方を変えたことで、結果が劇的に変化したことがあった。初期のロープレは、役職者が台本を作り、交渉相手の役になり1人づつロープレをやっていた。このやり方は、そこまで大きな効果は感じられなかった。しかし、二人一組でお互いが過去に経験した交渉相手を真似て、互いの交渉相手役を演じるロープレにしたところ、大きな効果が見られるようになった。交渉が格段に上手くなったのだ。自分が味わった場面を他人がどう乗り切るのかを見ることが、大きな成長を生んだようだった。人は、人のフリ見て我がフリを直せないが、同じ条件下での人のフリを見ると、我がフリを直せるもんだと思った。

話を戻そう。私は、同じ状況下で他の親が全然怒らないことを何度も、様々なパターンで見せられ、自分が怒りすぎていた事を激しく反省した。そして娘をなるべく怒らないように気をつけるようになった。本当に単純に、なるべく怒らないように意識した。いきなり全く怒らないようにはできなかったし、今もできていないが、それでも徐々に我慢が効くようになっていった。怒らずに娘の気を逸したり、何度も根気強く優しい言い方で諭すよう努力した。その結果、娘に変化が起きた。ちょっとづつだが言うことを聞くようになってきた。気のせいかもしれない位ちょっとづつだが。そして、私の心にも変化が起きた。娘から妻、妻から自分へのストレスの玉突き事故だと思ってきたのが間違いだったことに気づいた。つまり、私が妻に受けていたストレスは、私の娘に対する厳しさに転嫁され、娘はストレスを感じ、言うことを聞かなくなり、それによって妻がストレスを感じ、私にあたる、妻にあたられてストレスを感じた私が娘に厳しくあたる。いわばストレスの負の連鎖、ストレスのメビウスの輪になっていたのだ。私がその連鎖を断ち切ることが、結果自分のストレスを軽減させたのだ。私は塾に行くことで怒らないことを学ぶことができた。塾に行くべきは、娘じゃなく自分だったのだ。今年の4月に娘が塾に行きだし、今はもう12月。最近は、妻へも送り迎えの効能を伝え、交代で行ってもらえるようにもなった。我が家が長い苦労の末たどり着いたほんのちょっとだが嬉しい改善。まだまだ言うことを聞かない娘と、まだ怒ってしまう親との塾通いは続きそうだ。

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