Z1102 教育原論【設題1】

【設題1】ソクラテスの教育観に注意して彼の教育学的意義について述べよ。
1. ソクラテスの生涯
(1) ソクラテスの生きた時代と彼の生涯
ソクラテスは紀元前469年頃、アナテイという地に、彫刻家ソプロニコスと助産婦のパイナレテの間に生まれたといわれている。青年期はアテネ民主政治の最盛期であり、時の将軍ペリクレスが活躍した時代であった。そのご、アナテイとスパルタの間でペロポネソス戦争が引き起った。ソクラテスも複数回この戦争に出征したといわれている。
 ところがアナテイはスパルタに敗戦後、親スパスタの三十人政権が成立し、恐怖政治が行われた。この三十人政権は短期間で崩壊したが、その後、国の主導権を握った勢力の中には、戦争の原因を招いた原因として、哲学者を糾弾する動きがあった。
 ソクラテスも糾弾対象のひとりとされ、メレトス(詩人の代表)、アニュトス(政治家代表)、リュコン(演説家代表)によって「神々を冒とくした罪」という濡れ衣を着せられ、告発。裁判にかけられることとなる。
 ソクラテスは裁判にかけられるが、まず、有罪か無罪かという陪審員裁判において、501名の陪審員は、僅差で有罪であるとされた。その後、量刑を判断することになるが、原告は死刑を求刑するのに対し、被告であるソクラテスは、「私はアテナイに悪い影響を与えたとは思っていない、むしろアテナイは私に公会堂での食事(アテナイでは名誉顕彰として公会堂での食事を与えるという習慣があった)を与えるべきだ」としたため、陪審員の心象を害し、死刑になることが確定したとされている。
 死刑になる間際、ソクラテスは弟子や親族を集めて、最後のひと時を過ごした。当時の死刑執行は、夕陽が沈んだら行われるものであり、ソクラテスは斜陽の中で、彼らに話したとされる以下の名言が非常に興味深い。
The hour of departure has arrived, and we go our ways – I to die and you to live. Which is the better, only God knows.
日本語訳:出発の時間がきた。そして、私たちはそれぞれの道を行く。私は死ぬ、あなたは生きる。どっちが良いのかは神だけが知っている。

(2) ソクラテスの活動
 ソクラテスの有名な活動は「問答法」であり、町の若者に声をかけては、様々な議論を行ったとされている。例えば、「正義」や「道徳的な正しさ」などその言葉の使用に際して、その言葉の理解を問いただされると、普段、その言葉の意味や使い方を十分に理解していない状態で使っていることがわかる。
 そのような問いかけによって街の若者たちは、自分自身の矛盾を自分自身の言葉から気づかされた。その結果、多くの若者たちが魅了されたと考えられる。
 しかし一方で、時の権力者などからは非常に煙たがられる存在であり、ソクラテスの問いかけに対して非常に恥をかかされたと感じる人もいたのであろう。それゆえ、ソクラテスは前述のとおり裁判にかけられたのである。
また、ソクラテス自身では著作を残さなかったことは有名であり、ソクラテスに関する考え方、問答法、哲学については、弟子のプラトン、クセノポン、アリストテレスなどの著作を通じて広まっていくことになる。
では、なぜ、ソクラテスは著作すなわち文章で自身の哲学を残さなかったのであろうか。
それは、ソクラテスは対話によって議論を行うことに重きを置いたため、著作を作り、後世にその考えを残そうとは考えなかったのではないか、とされている。
それゆえ、やプラトン 『ソクラテスの弁明』、クセノパネス『ソクラテスの思い出』、アリストテレス『形而上学』を見ると、ソクラテスの周りにいた弟子等が、彼について書いた記述から、行動や思想を知ることができ、偉大さや周囲への影響力がうかがわれる。
ソクラテス以前の哲学者が宇宙や自然の原理などを追及した一方で、ソクラテスは問答を通して、日常を生きるために自分自身の問題を探求することによって、人間の内面と向き合うことに努め続けた。

(3) ソクラテスの弟子
 ソクラテスに弟子がいたかどうか、という点においては諸説ある。
弟子がいた、とする説で最も有名な弟子の一人がプラトンである。プラトンは、ソクラテスの問答法、裁判にかけられ、死刑になるまでの日々などをつづった書物を出している(「ソクラテスの弁明」)。
 プラトンの著作の多くは対話をつづったものであるが、「ソクラテスの弁明」は、途中メレトスとのわずかなやり取りがある他は、すべてソクラテスが一人で語っている構成である。
 このほか、アンティステネス、エウクレイデス、アリスティッポスなどの哲学者、アルキビアデス(政治家)、クセノポン(軍人)といった各方面の著名人に弟子がいたとされる。
 しかし、その一方で彼自身が自分の弟子であると思っていた人物はひとりもいなかったとする説もある 。
 ソクラテスは、裁判の中で、「また、諸君が誰かの口から、私が自ら僭称して人を教育すると称し、しかも、これに対して謝礼を要求すると聞かれたならばそれもまた同じく真実ではない。もっとも、人が他を教育する能力を持っているとするならば、謝礼を受けるのは結構なことと自分にも思われる。例えば、レオンティノイ人ゴルギアスやケオス人プロディコスやエリス人ヒッピアスがそれである。 」と発言している。
 つまり、ソクラテスは誰かの教師としてだれかを教育したこともなければ、その対価として金銭を受け取ったことはない(その職業についたこともない。)。としている。また、一方で、教育に対する能力があるのであれば、その対価として謝礼を受け取るべきだ、と主張している。そのうえで、ソクラテス自身には人々に何かを教えるだけの特別な能力や知識を持ち合わせていないとしている。
 裁判でそのような主張をするのであれば、果たしてソクラテスは積極的に弟子を取らなかったのではないかと考えられる。
 しかし、それでもソクラテスの傍らで、常に議論したいという若者が来れば、一人で物思いにふけるのではなく議論が好きなソクラテス本人はそれを拒まなかったのではないだろうか。ソクラテス流にいえば「弟子の定義」とは何かという議論になろう。諸説考えられるが、現代に生きる我々が通常考えるような師弟関係では必ずしもなく、近所に住んだり、定期的に議論をしに来る仲間という柔軟な関係ではなかったのかと推察される。

2. 教育的観点からみたソクラテスの思想
(1) ソクラテスの思想は究極なロジカル・シンキング
 さて、ソクラテスの考え方を学ぶと、現代の私たちの日常生活に通じるところがある。それは、ソクラテスの考え方は究極にロジカル(論理的)であるということである。
 パフォーマンス、名声などを盾に地位にふんぞり返る者たちを、その発言の矛盾をつき、論破していく様子は、どことなく現代の社会でも通じるものがある。
 たとえば、『ソクラテスの弁明』を読んで、ソクラテスの話は、ロジカル・シンキングの基礎技術である「So What?/Why so?」関係に当てはまることがほとんどである。
(2) So What?/Why so?
 まず、So Whatとは、現在持っている情報から導き出せる結論を見つけ出す作業のことである。「~~~(根拠)」だから「***(結論)」という文章の構成のことを指す。そしてWhy soとは「***(結論)」だから「~~~(根拠)」という文章の構成のことである。
 つまり、「根拠・理由」→「結論」が成り立つけれども、「結論」→「根拠・理由」が成り立たない場合、ソクラテスはその矛盾点などを指摘して議論を深めていったのである。
 こういった考え方は私たちの日常生活に大いに役に立っている。例えば、就職試験の面接で「なぜ〇〇になりたいのか」と聞かれたとき、「○○になりたいからです」というのでは答えになっていない。自分の考えや性格などに基づき理由を述べることが求められる。具体的には、なぜその職業なのか。なぜその職場なのかということを話すことで面接官に納得してもらうのである。
(3) 教育的観点からの考察
 2020年に学習指導要領が改訂され、教科学習の内容が大幅に変化していくことになる。それは、従来の知識伝達型から論理的思考力を求められるようになることは周知のとおりである。
 ビジネスで使うロジカル・シンキングのメソッドこそがこの新学習指導要領で求められる一つの重要な要素であり、ソクラテスが市民に対して対話していたことと深い結びつきがあると考えられる。

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