M6701 文学概論【第2設題】

第二設題 『日本の近代小説』(特に「自然主義の特質と先駆」および「白樺派」などの章)を読み、日本に独特だと言われる「私小説」とはどのような性格のものかについて述べなさい。

 近代小説が展開されるなかで、日本独自の小説概念といわれている。その理由や性格について以下考察を深める。なお、このレポートは主に「日本の近代小説」(中村光夫著・岩波文庫)を参考としたが、このほかにも「アジア文化との比較に見る日本の「私小説」――アジア諸言語、英語との翻訳比較を契機に」(勝又浩(法政大学教授)・2006(平成 18)年度~2007(平成 19)年度科学研究費補助金研究成果報告書(以下、引用部分には「報告書」という。)、また、直接的な引用をしたものではないが、「文壇の崩壊」(講談社・十返肇)を参考にレポートを作成した。

1. 私小説の辞典的意義
 まず、私小説の考察を深めるにあたり、その辞典的意味を確認しておく。
 私小説とは、「小説の一体で、作者自身が自己の生活体験を叙しながら、その間の心境を披露してゆく作品。大正期に全盛。心境小説ともいわれ、多分に日本的な要素をもつ。方丈記・徒然草系統の日本文学の伝統が末期自然主義の中にめざめたものとも考えられる。」としている。また第2の意味として「イッヒ-ロマンの訳語」とされている(広辞苑・岩波書店(第5版)より)。

2. 文学史・歴史的観点から見る私小説の位置づけ
(1)私小説のおこり
私小説の源流は田山花袋の『蒲団』であるとされている 。この著作は「新小説」一九〇七年(明治四〇年)九月号に掲載され世間に知れることになる。なお、前年一九〇六年(明治三九年)には著名な作品でいえば「坊ちゃん」「草枕」(ともに夏目漱石)、「其面影」(二葉亭四迷)、「運命」(国木田独歩)等が発表され、また、翌一九〇八年には「三四郎」(夏目漱石)等が発表されており、自然主義文学論が主張される中で、私小説も栄えていった。
(2)明治末期から大正時代にかけての歴史
なお、作品の背景を知るべく、これら著作が発表された時期の我が国の情勢も確認しておく。
明治時代中頃から大正時代にかけて、わが国は富国強兵の名のもとに戦争を推し進めることになる。一八八九年(明治二二年)に大日本帝国憲法が発布され、また、日清戦争は一八九四年(明治二七年)に宣戦布告し、日本国内に挙国一致的な機運が高まった。その後、一九〇三年(明治三七年)には衆議院は海軍拡張案を可決(通称「六六艦隊」)し、翌、一九〇四年(明治三八年)には日露戦争勃発、一九〇五年(明治三八年)にはポーツマス条約を受諾し日露戦争は終結を迎えた。このような軍国主義、列強主義に国策が走るなかで、自然主義、私小説の文化が発展していった。なお、一九〇九年(明治四二年)新聞紙法が成立・施行され、出版法とあわせて検閲が強化されていくことにも留意しておきたい。
(3)自然主義と私小説の発展
 国木田独歩を代表的な著者とした自然主義の運動は近代小説の形成に大きな役割を果たしてきたといえる。自然主義全盛期は二~五年であるとされ、一見対立したとされる白樺派(一九一〇年(明治四三年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ)や耽美派(道徳功利性を除し、美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮であるに影響をうけた思潮。代表すべき著者として谷崎潤一郎などがいる)にも大きな影響を与えたといわれている。
 前述のような歴史を背景に、自然主義の運動が高まるにはいくつかの理由があった。以下記述する。
第一に、西欧文学の影響を受けただけでなく、それによって作られた文学であり、少なくともそれに携わった作者たちの自負はそこにあったこと。第二に、前代の文学(写実主義やロマン主義)との間には、単なる流派の差別を超えた断絶と革新があり、少なくとも作家の意識はそれを強調していた。第三に、一方で実質においては前代からのロマン派運動の完成、あるいは特殊な定型化であり、作家の個性の解放を通じて人間一般の解放を目指す理想主義を根底にもっていた。第四に科学思想の影響による「権威」「幻像」などに対する否定、反抗精神を強く持っており、「破壊運動」が小説という文字形式にまで及んだこと。第五に、第三、第四の理由から、作家的個我のもっとも直接な表現、「事実」にもっとも近い小説の形式として私小説が主要な文学形式となり、発展していったこと。第六に、小説の芸術性を否定し、あるいはそれを最小限にとどめようとする精神からの文体革新が行われた。その結果、言文一致を招き、以後口語文による小説になった。第七に、このような文学運動の性格から、作家は一方において同時代の世界の「思潮」に自由に歩調を合わせると同時に、文壇という特殊な社会を結成し、次第にその中で少数の読者を相手についにはお互い同士を読者に想定して制作するようになったこと。などが挙げられる。これらの理由についは、それぞれ要素として矛盾している部分もあるが、相互に融和し、この時代の文学界を築き上げていくことになる。

3. 私小説が日本に独特である理由とその性格
 私小説が日本独特である理由を以下に記述する。
元来、私小説はフランス自然主義と共通する点としては自然主義が前述の第4等の理由に述べた科学思想の影響による「権威」「幻像」などに対する否定、反抗精神であると指摘できるが、結果として文体革新まで行われるのは諸外国には見られないことであり、日本独特の発展であると考えられる。
一方、私小説が成立するきっかけとなったのは、西洋の自然主義文学が日本に入ってきたからであり、西洋の自然主義文学は自然科学と実証主義に基づいて、現実を客観的に表現する、というものである。ところが、明治以降、模索を続けていた我が国の文学の多くは、その手法を模倣するのみに終始し、私生活に基づいた小説となったため、小林秀雄は「私小説論」でこれを指摘した。
とはいえ、私小説は読んで字のごとく「わたくし」の日常や内面的な考え、内に秘める想い、精神状態について文章にまとめあげて社会に発信していく点において、また、今日の様々な小説につながる点では海外の文学分類にはなく我が国独自の発展であると考えてよいのだろう。

4. 海外(中国、韓国)から見た私小説
 ここで今日、海外、とりわけアジア諸国から「私小説」がどのようなとらえ方をされているか概観する。中国・韓国においては多くの方々が日本を訪れ、わが国の文化が吸収されていると感じる点は少なくない。我が国の小説も中国語、韓国語に翻訳されて学生らの間には広く読まれている。しかしながら、明治・大正時代に我が国が西洋の自然主義文学を取り入れて独自に発展させたような潮流までには至っていないようである。その理由として「報告書」では以下のように記されている。
「私小説」は〈書かれない〉とする意見としては、中国での〈自分の日常生活より、この社会または世界のことがずっと大事。また、自分の生活を書くのは恥ずかしいことである〉という意見が象徴的である。中国、韓国ともに、私生活の曝露は恥ずかしいという意識と、何より文学は社会的問題を扱うものであるという文学観の相違の問題が大きかった。
 このように、中国・韓国の学生に対するアンケートの結果をみると、やはり文学は社会に対するものであって、「私」のプライベートを世の中に配信することについて抵抗感があるのではないかと推察される。

5. まとめと所感
 今日、インターネットがこれほどまでに発展し、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であるブログ、フェイスブック、ツイッター、インスタグラム等で個人のプライベートを友人をはじめ、その設定如何では全世界に発信できることとなった。明治~大正時代に起こった私小説の発展は文学史的にいえば我が国独特の発展である一方で、「私個人の考え、生活のありさま、プライベートで起こったことに対する思いや感想」を記したものが私小説である点をより幅広く捉えられるのであれば、私小説は従来の紙媒体ではなく、インターネット上でさらに発展しているともとらえられる。それは何も日本独自に限ったことではなく、諸外国で「新たな私小説のかたち」がいつでも流行する可能性を秘めていると期待できる。
以上


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