M6701 文学概論(第1設題)

第一設題 『小説神髄』の「小説の変遷」を読み、神話とロマンスの関係、ロマンスとノベルの関係について述べなさい。

1. はじめに
(1)古典文学と近代文学
日本文学史で、近代文学の草分け的存在として取り上げられるのは、言文一致体を確立したという点、また、内容においても斬新であるという点から二葉亭四迷『浮雲』が挙げられる。『浮雲』は江戸時代の戯作では扱っていないものをテーマにしたという点が注目を浴びる原因であった。その『浮雲』の理論編ともとれる存在であるのが『小説神髄』である。二葉亭四迷の師匠にあたるのが坪内逍遥であるため、『浮雲』と『小説神髄』の関係は深いといえよう。
(2)坪内逍遥の生い立ちなど
 本文の理解を深めるために、坪内逍遥の生い立ちなどを確認しておく。
坪内逍遥は安政6年(1859年)、武士の家に侍の子供として生まれた。そのため厳しい家庭教育を受けたとされている。その中には歌舞伎や芸術なども含まれていた。また、明治維新後に旧武士階級であるがゆえに社会的に没落し、世間から冷遇された。このことが社会に対する目線をシビアにさせたといえる。明治9年には上京し、東京開成学校に入学。英文学を学んだ後、明治16年、現在の東京大学を卒業した。その後、早稲田大学の前身である東京専門学校の講師を経て、早稲田大学の教授となった。小説神髄を発表したのは明治18年の頃である。
(2)西洋文学との比較
 江戸時代から昭和初期を生きた坪内逍遥が明治18年に出版した『小説神髄』では、この時代を生きた坪内が小説とはどうあるべきか、という点について、日本の古典文学という縦軸と西洋の小説という横軸をパラレルに比較している。とりわけ「小説の変遷」においては、江戸時代末期の文化を残す明治時代を背景に、神話、ロマンス、ノベルといった一口に作り物語(=小説)といってもそれぞれの関係性とあるべき姿を記している。以下検討する。

2. 神話とロマンスとの関係性
 坪内逍遥は、「小説は仮作物語の一種にして、所謂奇異譚の変体なり。奇異譚とは…英国にてローマンスと名づくるものなり。」としている。また、「小説すなはちノベルに至りては之れ(=ローマンス)と異なり。」ともしている。
(1)ロマンス
 坪内逍遥はロマンスを「趣向を荒唐無稽の事物に取りて、奇怪百出もて篇をなし、尋常世界に見はれたる事物の道理に矛盾するを敢えて顧みざるものぞにある」としている。つまり、根拠がなく、世の中の道理に矛盾しているような内容であるものがロマンスであるとしている。
(2)神話
 その昔の社会の構成は、家長を一族の長としていることが社会通念であり、その家長の経験した困難、功績などを子孫へ語り継いだ。子供が孫へ、またその先に伝聞して語り次ぐと祖先の誇張も含まれ、次第に真実が変わって伝えられる。その結果、成り立つようになったものが神話である。また、神話が成り立つ原因として3つ挙げられる。第1に、その家が非常に大きな力を持っていたとすれば、その家の人々の心は自然に傲慢になり、大したことでなくとも大げさに誇張して伝えたりすることで、他の家に誇ったり自慢したりするものである。このように祖先の過去はわざと大げさに表現した点。第2に、人々は変わった話が好きであるということである。そうであれば、嘘の話であっても一風変わった作り話が聞き手には好まれるという点。第3に、時代が変わり、文明が進化した世の中になれば、自然と人々は祖先や神といったものを信じ敬うようになるため、たとえ(祖先が)身分の低いところから成りあがったとしても、そのことについてわざわざ嘘で誇張された物語を作らなくとも、自然に祖先のことについては伝え聞くうちに美化されるものであるという点である。このように、親から子へ子から孫へと伝え聞くうちに成り立つものが神話である。
(3)神話とロマンスの異同
 前述のとおり、神話とロマンスは伝説であったり、作り物語である点について共通しているが、その用いられ方は全く違うといえる。
 神話は語り部により「唱歌」によって伝えられた。文字を使わない時代から記憶し暗唱できるように簡易な表現に変化してきつつも、世の中の人々の注目を集めるために、また印象に残り覚えやすいように巧妙な表現もまた使ったとされる。
 一方で文化が栄え、文字を使われるようになったとき、ロマンスについては神話のように「唱歌」として伝えられるものではなく、あくまで文字で伝えられたものであるとされる。このように人々の生活の中での用いられ方は大きく異なるものだと坪内は記している。

3.ロマンスとノベルの関係
(1)ロマンス、寓言の書(=ブヘイブル)
 ロマンスが世の中で流行すると、同時期に「寓言の書」(=ブヘイブル)も世の中に流行するようになった。
 寓言の書とは、子どもや女性に対して教え導くような書物のことである。「イソップ物語」はその一例である。このような書物が現れた背景には、当時、世の中の節度が乱れ、道徳が疎かになったりするなど、風紀が乱れたことを救いたいと思って、架空の物語を作ることで世の中を批判する構図をとった。
 これは、外形上はロマンスと非常によく似ているが、内容、本質は異なっている。すなわち、ロマンスは娯楽が目的であるところ、「寓言の書」は遠まわしに世の中の有様について戒めを伝えることを目的としている。また、「寓言の書」は仏様のことばのような深い意味、教訓をもつ。
例えば「猿蟹合戦」「桃太郎」「舌切雀」「かちかち山」はその例である。
しかしながら、これらを子どもたちに聞かせる祖母や母親はほとんど寓意の存在は知らず、一辺倒の作り話として理解していることは何も不思議なことではない。このことから、世代を経るにつれて、「寓言の書」(=ブヘイブル)は次第に衰えて、「寓意小説」(=アレゴリイ)の起こりとなった。
(2)寓意小説(=アレゴリイ)の発展
 「寓意小説」(=アレゴリイ)は、作り物語の一種であり2種類の側面をもっている。第1に物事の表面的な物語である面と、第2に他の物事にかこつけほのめかした表現を表す側面を有している。例えば、「西遊記」はこの最適な例である。一見、内容は架空の人物による物語であり、この点においてはロマンスと同類のようであるが、文章を細かく丁寧に読むと、非常に深い意味、つまり幽玄な仏教の教えについても読み取れる。このように、「寓意小説」は、表面上の文章の意味と、理解を深めることで味わえる一種の教訓のような意味を合わせ持つものである。
(3)ロマンスとノベルの関係
 ロマンスは荒唐無稽の趣向を減らし、世相の真相や人情を描写するようになった。しかしながら、文化発展し、世の中の人々がようやくロマンスの荒唐無稽であることに飽きてきたことにつれて、ロマンスは次第に衰退していった。
 (ロマンスが繁栄した)当初は作家さえも見識が乏しく、ひたすら世の中の流れや流行りを追った作風を求めていた。これを勧懲小説とし、ノベル(=真成の小説)と対極にあるものであり、また全く異なったものであるとし、これは「小説の神髄」とはかけ離れた作風であると指摘した。
つまり、ここでいう「小説の神髄」とは、小説の本来あるべき姿であり、それは時代の流れに任せて流行にかまけたり、世相を意識して作品とするものではなく、ノベル(=真成の小説)とは、作者が取り上げるものを吟味し、それを描き出すという点において、作者の意思や考えがより前に出るものであり、それこそが真成の小説であり、小説のあるべき姿であると記されている。
4.まとめ
 「小説神髄」は、それまでの日本文学のありかたを変える草分け的なものであり、近代日本文学に大きな影響を与えたことはいうまでもない。これまでの江戸時代の終焉を迎え、明治時代に入って濁流のように西洋文化が流れ込む様や政治の変化を見ると混乱の多い世の中であったとが推察される。しかしその中で(今日読み返してみると偏見などが多少なりともあれど)筋の通った、今日の小説に通じる試金石のような役割を持つ作品であると感じるに至った。
以上


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