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文化観光、好きですか?

  日光江戸村という観光施設を知っていますか。私はそこで働いたことがあるのですが、そこでは江戸時代当時の生活や服装が村のいたるところで見られます。もちろん、そこにいるのはスマホなど近代のものに埋もれた私などの者ばかりですが。日光江戸村の設立は昭和61年。残念なことですが、江戸時代ではありません。ではどうして、江戸時代の生活を再現できるのか。
それは、文献と遺物です。私はバイトの説明のためにとおされた応接室で、江戸に関する書物を多く見つけました。村に入る関門はとても古いです。いや、これはここ2、30年の経年劣化かもしれません。
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ここで少し話題をかえます。日光江戸村に来るのは、江戸時代の生活を楽しみに来た観光客です。彼らが本当に見たいのは、本当の江戸時代の風景であるはずです。しかし、かれらが見ることができるのは虚構の江戸村。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
江戸時代は近代化によって、終わりを迎えました。明治、大正、昭和では近代化、経済発展の名のもとに、江戸らしきもの、こと、決まりは塗り替えられていきます。それから何百年もたった、昭和61年に日光江戸村が生まれます。近代化によって経済発展が進みそのあとの国際化のよって、江戸時代のもの、こと、きまりの価値の見直しが進んだのです。そして生まれた虚構の江戸。。。。
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ここで思い返してもらいたいのが、近代化によって江戸らしきものは破壊されたことです。近代化によって価値を無くされ壊された江戸時代の生活は、今度はその近代化によって価値をあたえられ復活しました。虚構の江戸という形で。
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 ところで、マサイ族というアフリカにすむ人たちを知っていますか。視力がとても目がいいということで、一時期テレビなどでよく注目されました。彼らの村にヨーロッパから文化の観光ということで人がやってくるそうです。昔からのやり方で、芋を蒸したり、火をつけたり。興味深いことですが、彼らマサイ族はその観光から得られるお金で、スマートフォンを買ったりするそうです。そして、その昔からのやり方は、実際にはもう日常生活では使うことはないといいます。観光客はもう存在しないものを、文化としてありがたがる。どこかおままごとじみている、と個人的には感じます。
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死んだ文化を再構成し、虚構を観光とする、文化観光業界。
私は嫌いです。生きた情報、生きた生活を私は見たい。観光ならせめて、自然公園みたいに自由な中で生きる人々を見せてほしい。
観光業界にそれを求めるのは間違っているのでしょうか。世界を旅する写真家、地域に分け入り映画を作る撮影家、または地域にすむ人からの発信に期待する他ないのでしょうか。。。それとも遺物や本でしょうか、VRのドキュメンタリー動画でしょうか。


何か知っている人がいたら教えてほしいです。お願いします。

※私は、これまでの文章で”文化”という文章をなるべく使わないように書いてきました。文化とはなんとも漠然としていて、決まった形をとらないために、扱いずらいからです。話し方や食べ方を文化という人もいらっしゃいます。題に使った文化は、もの、こと、決まりなどの目に見えるものに限定したものとご理解ください


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