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自己紹介

 他人の『自己紹介』の紹介から、始めようと思います。きっと、とてもわかりやすいから。

 敬愛するタレントさんで、「自己紹介お願いします」と言われたら、ホワイトボードに十字路を描いて、「えーとまず車Aがココから直進です。でそしたら対向車線のこの、車Bがね、右折するんですねエエ…」って事故の紹介を始める…本当に愛らしい方がいます。
 彼のユーモア、話術、しなやかさ、知性、その全てが伝わってしまう、自己紹介。
 (この先、彼の『事故紹介』に何処かで立ち会える方がいないとも限りませんので、無きにしも非ずな、いつかのその日のために、お名前は伏せて紹介致します…   )
 

 私は元来天邪鬼で、シンプルな言葉を忌避しがちです。なにかっちゃあ、定型文を避けて歩きたがってしまう。定型文に収めることで、受け取り手を馬鹿にしているような気が、そういう恐れがうっすらといつも何処かにある。…もとはと言えば、昔の自分の行いの悪さのせい、なのですが。

 
 その頃私は、定型文に収まるサイズに縮こまらないと伝わらない受け入れてもらえないという諦めと、伝わらない相手を心の底で馬鹿にして自分を守ろうとする非礼さ、その両方を、憎みながらも抱きしめていました。
 とある一言、恩師がくれた、「お前、こんなもんじゃないだろう」。その言葉は、紛れもなく救いでした。
 私が何と共に生きようとしているか、恩師の眼差しの確かさが見ていてくれた。そしてそのどちらでもない選択肢を、示唆してくれた。『こんなもん』じゃないままの私で、言葉を選ぶ力を棄てずにいさせてくれたのだと、今、これを書きながら、思います。

 定型文には強さがある。遠くまで伝わりやすいという強さが。けれど定型文には収めきれない光がある。その光を拾いあつめて、そう出来る力で生き延びてきたという自負がある私は、定型文の強さに乗っかりながら、そこから溢れ落ちるものをなるべく…そのやわらかさを失わせないままで、何処かに、たぶん今ここでこれを読んでくださってるあなたに、届けたいと願い続けています。

 そしてこの場所は、言うなれば私がその試みを繰り返すための練習場。

 あしてあとれという名前は、カテゴリがなくても居場所が無いような気分にならないで済むようにつけた…架空の名前です。
 ですから、あしてあとれについての説明は上手くできません。
 いつかいい言葉がハマるのかもしれないし、ずっとこういうふわっとした状態なのかもしれない。そしてなにより、それは私が決めることではない、必要があればゆっくりその形になっていくだろう、そういう気がするので…しばらくはそんな感じで、いようと思います。

  代わりに、おそらく私が書く物でよく扱う事になるであろうキーワードを幾つか、整理しておきます。ここからしかきっと、出発できない。

  • 解離

  • 機能不全家族

  • 性虐待

  • サバイバー

  • 戦後トラウマ

  • 場作り

  • 口述歴史(オーラルヒストリー)

 …わぁ、パワーワードですね。
 これらのキーワード無しには語れないこともあるのですが、基本的に、私自身がこれらの文字を見るのにパワーが要ることがあります。なのでタグとしては使用しても本文では違う表現しか使わない、ということも、おそらくよくやります。
 ここからしか始められない、と思いつつ、書く事は生活をまなざすことでもあるので、螺旋のようにこれらの上をぐるぐるしたり、ブランコのように行ったり来たり、そういうイメージになると思います。そうやって、揺れながらゆっくり、他のキーワードが増やせていけたら、良い。そういう想いでいます。


 上にまとめたパワーワードから、若干の痛みのようなものを連想させてしまうかもしれません。 
 私の書く言葉は随分長いこと、自分の精神的な外科手術のために磨き振るってきたメスでした。自分の患部を腑分けできるよう、読み手に伝わってしまう痛みなんか置き去りにして、ただひたすら切り、掻き出し、整理し、より善い流れを探し出すための道具でした。
 けれどもどうやら…そればかりではない。

 この言葉は、やさしいものも作れるようだと、そんなことを最近、信じはじめています。自分の内側にそんなにやさしいものもあったのか、と私は驚きを隠せていません、ええ。驚き続けていますが、エクスクラメーションマークばかりでいては、きっといつか自分自身でも飽きが来る。
 なので、驚きながらも平気を装い、上がりっぱなしの心拍数にどうどうと声をかけながら…私の書いた物の内側に、そこに、やさしさを見出してくださる人々の眼差しの確かさの方を身のうちに取り入れて…今までとは違う形で言葉を並べる訓練を、今、ここに。始めてみようと思います。
 
 自分の書いたものほど自分を抱きしめてくれるものは無いし、自分の書いたものを自分ほど愛してくれるものもいない。言葉を書きながら、それを思います。だからきっとこの自己紹介も、私自身の輪郭がワヤワヤとぼやけてきた時にきっと読む、誰よりも私が一番読み返す。そういう読み物になるでしょう。けれど同時に。
 磨きあげられた言葉たちは、この手から離れてどこかで誰かに届いて、その人の指先をちょっと温めることができる…。そういうことも、ありうるんだと、まぁまぁ大人になった私は幸福な出逢いにそう教えられてもいるのです、だから。

 ここで、磨いています。
 とるにたらないもののまま、けれど例えばいつかの自分自身へ向けて。例えば私によく似た誰かに向けて。
 ここにある、とるにたらないものがもしあなたの瞳に光って映るなら、それこそがあなたの未来を助けてくれるものだと、それだけは。
 とるにたらないものの光を一個一個集めてここまで来た、私の宝として、断言できる数少ないことなので。
 光って見えるとあなたがおっしゃってくださるなら、きっとここにある言葉はちゃんとあなたのために光ると、思います。少なくとも私自身にとってはそうです。誰を裏切っても、自分だけは裏切れない、私にとっては。

 …こんなところでしょうか… とりあえず。
 自己紹介という定型文の力に乗せて、ありきたりな、とるにたらないことを…とるにたらないままに、と、
 願いながら。
 

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