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ただ、両想いなだけだった。


 猫の日に、犬を拾った。仕事帰りの通勤路で。

 その背に触れた、ただその一瞬で、棄てられたのではと想像させる犬だった。

 脂で固くなった体毛、ムーンストーンのように白く光る瞳。首輪はない。けれど首輪のあったあとを示すように、首回りだけは毛が短い。
 ケアが足りていない容貌。けれど雑草や泥などの汚れは一切ないその様子から…長く放浪してきたわけではないことが察せられた。そして、歩きながらよろめく後脚、音にも光にも匂いにも鈍い反応…これから長い放浪も不可能だろうという事も、予想できる。
 自分の後方そして前方に、恐ろしい台数の車を滞留させていることに気づきもせずに、犬は二車線の車道の中央をひたすら前進する。

 夕暮れが迫る小さな、けれど車通りの多い路地で。
 
 黙々と彼はただ、行く宛などもう何処にもなくてけれど道のある限りは歩く、とだけ、決めているように見えた。




 どうして彼を連れて帰る気になったのか、誰よりも私が私に訊きたかった。

 最後にお風呂に入ったのはいつなのか、後部座席から強烈な獣の匂いがする。

 夕食を食べに立ち寄る予定だった定食屋を素通りし、代わりに、ペットフードの品揃えに信頼のあるホームセンターへ入る。あの犬の胃袋がどれくらい空いているのか不明なまま、効いていないと察せられるあの嗅覚の様子だとおそらく大したものは食べていないだろう、と予想する。

 抱き上げたとき、驚かせたせいで一度だけ彼はこの手に噛み付いた。けれどそこには歯すらもなくて、ずいぶんと優しい犬だという印象を強化するばかりだった。優しく、衰えていて、けれど歩みだけは絶対に止めない、頑固な犬。

 歯がなくても大丈夫そうなもの。ウェットの缶フードだけでは破産してしまう。柔らかげなドライフードもカートに入れる。それから、病み上がりの白い顔で8時間勤務を無事勤め上げた自分のために、とにかく野菜、それから豚肉。



『本当に血が足りてない顔してるから今夜はしっかりお風呂であったまってよ。米食わんでも良いから肉は食いな、野菜もね。手っ取り早いのは豚汁だよ』
 退勤前のスタッフルームにて。
『噛むの疲れそうだったらさ…大根、すりおろして入れると美味しいよ。鬼おろしとか使うと良い。ちょっとだけぷちぷち歯触りが残って楽しいからさ。』と、自炊スキル3の私に言い含めるように告げてくれた、優しいバイトさんの顔を思い浮かべる。
 本当にあの子の料理への造詣の深さには畏れ入る。私に、食べるという事がこの歳になっても課題であり続けている私に、(それ食べたい)、って思わせるなんて。 
 訥々と、ただ真面目に言われたのが嬉しかった。こんなに労ってもらえるような私だったか、と思いながら、ちょっと目眩がする頭のままでニヤッと笑って礼を言った。
 この人とちゃんと一緒に笑って一緒に怒ってきて、良かった。その距離感が、温かかった。

 …どうしてあんなに、三日も寝込むほど病気が体を占拠したのか、私はまだ納得していない。あれもやりたいこれも作りたいと、走り出したい心だけが暴れていて、「できることを、一個づつだよ」と毎日自分に言い聞かせているのに。そうしてやっと、日常生活に戻れると踏んだ矢先だったのに。


 …どうして、新しい荷物を抱えようとする。
 


 思いながらレジへ行く。重い買い物袋をぶら下げて車に戻る。
 獣の匂いに慣れないまま、やっとこさ歩く努力を止めて座ったらしい犬に、心ばかりの声をかけて車を出した。

 家へ向かう。私の猫が待つ家へ。

 …そう、我が家には猫がいる。7匹の猫。既に充分な数の扶養家族を抱えている。ケアを与える対象には、事欠いていないのに。

⚪︎

 セルフバックラッシュ。私はこれをそう呼んでいる。

 何か新しいことができそうに浮き足立つと、バランスを取るように何かしらの課題を自分に与えてしまう。
 まるで自身に重石を乗せようとするように。上手く行かない方が都合が良い、とでも言うみたいに。そしてそれは大抵、絶対に私自身が拒否できない形でもたらされる。猫とか、猫とか、猫とか。

 今、私は人生初くらいに浮き足立っていて、このnoteアカウントを始めたりしているのもそのひとつ。新しい色々が煌めいて見えていて、なんでも良いからやってみなと自分に言えるようになってきた。
 そうして、ならばとでも言うように。自分の事を知り尽くしているこの自分自身は、ちゃんと新しいスタイルで負荷をかけるらしい。

 …犬業界にまで手を出したらさ、お前…。

 自分で自分に毒づきながら、私は迷い犬掲示板のサイトをひらく。あの白く濁った眼に、勝手にメロドラマを読んでんじゃねえぞ。違うストーリーだって、あるはずだ。
 飼い主その人に遺棄されたのではという最悪の想定を振り払い、縋るように書き込む情報。本当にありがたいことに、たくさんの人たちがそれを読み、シェアしてくれる。生き物のことを好きな人はこれだけいて、けれど彼の飼い主には、当然ながらすぐには辿り着けない。
 
 抱えようとするものが無尽蔵に、整理されないまま増えていきそうなのが怖くて、私はこのセルフ・バックラッシュについて考えてみる。ここぞという時に自分自身が一枚岩にならず、あらゆる可能性の全部に向かってバラバラに走り出そうと、しやがる…この、行動パターンの『癖』について。

⚪︎

 「解離性障害」で検索すると多重人格的なキーワードに辿り着きやすい。
 けれど私が自分に起こっていることの説明として使う「解離」についてはそんな劇的な事ではなく、離人感(周りが遠くにある感じやガラス越しのように世界を感じる)などの、身体的感覚が一般的なそれとは少し異なっている時がある、という程度の、もの凄くざっくりとした認識でいていただいたほうが良いと思う。

 多重人格だという意識も事実もない。常にどれもが『私』だと思って、いる。
 と同時に、そのどれもがバラバラで、統一感はない。同時進行のカメラが3台くらいある。私の状況を説明するならそんな感じ。
 そしてその状態こそが私の『セルフイメージ』だ。場面の数だけ『私』はいる。真実なんてものを探すのに二十代のほとんどを費やした、だから今、私はどっちだって良いと思ってる。

 実際、私に言わせれば、健康的な人の多くにも統一感はない。そしてたぶん、そんなものは存在しない。彼らは…(私も含めて)当たり前の生活を送る多くの人が、場面と状況に応じて顔を変える。思考の序列を変える。
 私に無くて彼らに有るものがあるとしたら、「自分は一人の人間だ」という盲目的な確信、ただそれだけだと思う。バラバラで、統一感は微塵もなくて、それでも「このどれもが自分」と思える、曖昧で絶対な自分の輪郭。それが私には無い。

 ただ、ひとつ、未だにわからないなと思うことがある。
 これは病理だろうか。

 例えば、ああいう大きな決定的な体験…つまり、私にとってそれは実父からの性的略取だったのだけど…それが無かったなら違っただろうか?

 あんなことがなくても私は、自他の境界線が溶けやすい子だったように、個人的には思う。
 ありとあらゆる想像は、ほとんど現実と同じくらい鮮やかで、質量と手触りを持っていた。現実に対して感じる感情と想像の世界に向けて感じる感情には全く差が無かった。
 それは今もほとんど変わらない。だから、きっとあんなことがなくても、私はこうだった。

 ただ、あの夜徹底的に変わってしまったもの…壊されたものがあるとしたら、とめどなく膨らんでゆく想像と、体と共にある現実との間をちゃんと繋いでおくための蝶番…「基礎の自分」みたいなものだっただろうと思う。あの体験を通して『死』に触れてしまったこと。もう蝶番としてのテイをなさなくなっても仕方ない、と、現実の方が私に囁いたこと。

 私の体に降ってきた現実はそんな感じだった。

 だからここには蝶番のバネがない。手と足がバラバラに動くみたいに、片方が願うのと同じパワーでもう片方が別方向に動こうとする。そのどちらも自分なので、そうですか、じゃあ今日のタイムスケジュールとしては。一番理性的な部分の『私』が間をとりもって、一日はうまくいったり、完全に破綻したりする。

 ここにいる、すべての『私』の共通認識は、「我々はただの生き残り」という認識だ。
 あの日、あの夜。ここを統べるべき「私」は死んでしまった。だから我々はその後を生きる、生きることを託されてしまった生き残り。
 我々を今、バラバラになり過ぎないように、ひとところに置いておくのに力を発揮する共通項はそんなふうになる。言葉にしようとすれば。

 とはいえいつも自問自答ばかりしているわけではない。おかげさまでそうせずにいられる程度に回復している。
 凪いでいる時の私の精神状態は、ホテルの廊下みたいだ。
 似たようなドアがずらり並ぶホテルの廊下。『私』は基本的に廊下にいて、必要に応じてドアを開けて部屋に入る。これらの部屋は多分、求められたなら幾らでも増やせる。仕事だったり、隣近所だったり、姉Aだったり姉Bだったり、向かいあう相手によって部屋は変わる。場所にも依存する。
 それぞれの部屋は出入りする私の意志でしか繋がっていないから、何かコネクションを繋ぐためには一回ドアを出て該当の部屋へ移ってまた戻って、みたいな手間をかける必要があったりする。
 それで日々は続けてゆけるのだけど…だからこそ、「解離」傾向にあるとはいえ、現在の自分を「解離性障害」とは言えずにいるのだけど…いちいち出たり入ったりするのが不便は不便だし、時々本当に混乱する。例えば、唐突に、道がわからなくなったりする時に。
 自分の座標軸が何処だったか…どの部屋に戻るべきだったか辿れなくなってしまうのだ。電波の悪いところでGPSの赤い矢印がグルングルンになる、あの矢印のきもちが良く分かる。座標軸を取り戻し、道を思い出してから、自分が感知している世界の脆さが恐ろしくて震える。…そんなことが時々、ある。
 日々がルーティンになっていることはだから、私の精神的安定にはとても大事だ。いちいち自分同士で相談する必要なく、どの部屋を出てどの部屋へ入るのか考えずとも日々が続いてゆくことは、なんて素晴らしいことだろう。

⚪︎

 …そんな感じなので。
 こういうイレギュラーは本当に困る。
 困りながら、日常のタスクリストの優先事項に犬の事を割りこませる。「別に新しい部屋は要らない、毎日に少しアレンジを加えるだけ。」ドキドキしつづける自分にそう言って見通しを立ててやる。
 …そうやって。なるほど、犬が庭にいるとこんな匂いがするらしい、犬は毎日これだけの量を食べるらしい、寒いと鳴くらしい、嬉しいと死ぬほど頭を擦りつけてくるらしい…。といった様々なことが日常のひだに折り込まれはじめたあたりで、向こうでも探してくれていた犬の主と繋がることが、できた。

 連絡のついた飼い主とのやりとりその佇まいに…随分と安心して、一応ギリギリまで危惧しつづけた最悪なシナリオ、『飼い主のケアが行き届かない環境での飼育』というメロドラマが、再会を果たした犬の振る舞いによって真っ向から破り捨てられるのを、私はホッと見守った。
 御年配である飼い主さんはうっすら涙目になりながら、出入りの業者が彼を逃してしまったこと、相当の老犬である彼が単独では2日も生き延びられないであろうと想像していたことなどをこぼしてくださる。私に向けては控えめに物分かり良くしていた犬が、見えていない視界をモノともせずに家の中を走り回るのを、同居犬と主のお孫さんという幼い少女との再会を全身で歓ぶのを、まったく知らなかった世界に触れる想いで見た。

 …驚くべき、セルフ・バックラッシュ。
 新しい課題は新しい風景へと私を連れ去ってゆく。

 どうしてなのだろう、私はもう血も涙もない世界をちゃんと想定できるのに、どうしてそれが可能なくらい成熟した段になって、こうも優しいものばかり見せてくれるのだろう?どうして。
 真夜中の車道、家にいるのが怖くて眠れずに、車通りの絶えた道のど真ん中に寝っ転がって夜空と自由を抱きしめた、幼い私にこれを見せてやりたかった。

 …まあ、私はあそこを無事に通り抜けて生き延びた。だから良いんですけど。良いっていうか、今からでも認識を更新できて本当に嬉しいよありがとう神様。

⚪︎

 犬はそうやって、帰るべき家を見つけた。
 そうして私は、改めて、考える。

 私はどうしてあの犬を連れて帰るという判断をしたのだろう。あり得る可能性のなかで百点満点の結末に着地できたけれど。



 夕闇の中を、一本道の向こう側果てまで行ってまた何の脈絡もなく戻ってくるヨレヨレの動線。体に触れる私のことになんか目もくれず、ただ何処かへとひたすらに歩いていたあの背中。ギトつく毛並、濁った瞳。

 …愛されることを諦めながら、愛することは止めていない者の目だと思った、のだ。あの瞳を。
 二度と帰れないと、もう知っていて、けれど、そこしか目指さない。そうと決めている者の目だと、思った。

 だから私は教えてもらいたくなったんだと思う。どうしたら、そうしていられるのか。
(愛なんて言葉を使うの、ちょっと大仰な感じがするけれど、犬猫のそれは「愛」と呼んで差し支えないと、私は考えているので…なのでその感覚のままに、愛と呼んでおきます)



 愛されないと解ったなら離れなければならない。それが今の私を支えているスタンスだ。
 『その想いは私を自由にするか?そうでないなら距離を取らなくてはならない。』それが私の、ここまでの人生で育ててきた物差しだ。

 だから、戻れないと解ったなら、愛されないと解ったならもう次のことを考えて動かなければならない。

 部屋は幾つ作ったって良い。
 苦しいなら二度とその部屋には戻らなくて良い。
 何処までも続くホテルの長い長い廊下、私を形作るのはこの部屋全てで、自分のためのものだ思えない部屋があるなら永遠に鍵をかけドアに戸板を打ちつけて、けして戻ることのないようにすれば良い。
 何処までもこの廊下が続くとしても、どの部屋に入るかを選ぶ限りは私は私のままだ、そしてもう二度と、
 …もう二度と、誰に脅迫され命を脅かされるとしても、もう二度と。
 あの夜のように、泣き叫ぶ自分自身を切り裂いて、ドアの開け閉めを他人に委ねる、そんなことには。そんな場所には。戻ってはいけないのだから。
 そう、全身全霊で思っているのに。

 途方に暮れる時がある。
 そうして、この手には…何か残るだろうか?
 それがわからない。それがわからなくなる程度に、私の身のまわりの出来事は私の心を固くしてばかりいる。
 

 『自己犠牲』という、名前ばかりが美しい、けれどいつも弱い方へ弱い方へ皺寄せを遺すやり方。それでしか繋がり合えない人々の中に、居て。
 もうこの部屋には入らない。とか。この部屋に入るためにその後二日は療養期間をおかなくちゃな、とか。二時間が限界だからタイマーかけとかないとね、とか。
 そういうサバイバルスキルマインドだけが磨き抜かれてゆく。
 そんなプライベートだから、犬に訊きたかった。

 帰りたい場所があるって、帰れないと知っていても帰るために歩き続けるって、どんな感じ?

 

 …こんな感じ、かぁ。

 犬が辿り着いた家。立派ではなくて、けれど縛られもせず、不自由もなく、帰りを待っていてくれる人のいる。
 帰りたい場所があるというのはつまり。愛されることを諦めながら愛することは諦めないというのは、つまり。

 タネもしかけも何にもいらない、ただ両想いの相手がいる、ということだった。愛されるかどうかはもう関係ない、ただ愛情のままに生きる、とでも言えば良いだろうか。
 つまりただ…帰りを待っていてくれる人がいる、ということだった。

 白く濁った瞳、けれどムーンストーンみたいに綺麗な瞳のあなた。

 あなたを保護してみて、良かった。

 頭が幾つもある怪獣みたいな、私でも。唐突に手酷いバックラッシュを自分に課してしまう臆病な、私でも。そう悪くないものかもしれない。こんな出逢いを掴まえられるなら。

 そんなことを考えながら、何事も起きない、いつもの通勤路を帰る。


 私の猫たちが、愛しい猫たちが、ただ。
 そこにいて。私の帰りを待ってくれている…私の家へ。

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