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花の名


 花の名前のなかに、あのひとをみる。

 雨あがり、鈍色に光る車道脇、白く光るあれは。
「ぁ、車輪梅がきれい」
 呟いてから、気づく。
 今の一言はいつか、あのひとが呟いた言葉。
 運転席の呟きを、助手席で聞いた。

 花の図鑑を真面目に開いたことはない。だから私の知る花の名前は、その多くが、つまり、あのひとから教わったものだ。きっと教えるつもりもなく、ただ無邪気に、あのひとが傍で呟き続けた感嘆と、その花の色。

 シャリンバイ。フヨウ、コデマリ、イジュ、…チガヤ。




 「母親との関係はね、切れないの。」

 叔母がそう言うのは優しさだと、私は知っている。

 その言葉がどんなふうに自分に響くのかということも、よく知っている。私に放っているその言葉がどんなふうに私に残るか、叔母自身が知らなくても、構わないとも思う。私自身が、ちゃんと分かっているから。
 優しさを、優しさのままには、受けとれない。
 それが痛いことは変えられない。けれど、それでもお互いが痛みのその先へ行けるように、私は叔母に向けて、話す。

「…そういう意味で、言うなら。よく分かってる。私もそう思う。彼女を、切れないってことは。」


 ーーーねぇ、さやちゃん。フヨウがキレイね。


「で、あのひとに優しくしようっていう努力もね。してるつもり。…一応、ね?」
 おどけたように笑って言えば、叔母も堪えきれずに笑ってくれる。ほら、貴方だって、彼女がどんなに破滅的な人か…ちゃんと、分かっているくせに。


 ーーー見て、コデマリ。かわいいね!これだけで良いなぁ、私。


「だから…。そこはあんまり心配しなくって、いいよ。ただ、彼女は本当に。ちゃんと線引きをさ。ここから入ってきたらゆるさないっていうのを、本当に、ガッツリ、示しておかないと、」
「調子に乗る?」
 語尾を引き受けてくれた声に、頷く。
 あぁこんなふうに話していたら、本当にまるでなんでもないことみたい。私の家族に起きたこと、あのひとが私にしたこと。
「…本当に、キケンなの、私には。」


 ーーーほらほら!…見えた?イジュ、あの白いの。うわぁ。


「…母ちゃんを、切りたくっても切れないってのはよく分かってるよ…だから…そこは、私の立場も分かっててもらいたいの。」
 そう、そんなことはよく分かってる。

 そして、あのひとの生きる世界に。
 私が映ることはもう永遠にない、っていうことも。




『母ちゃんアレなに?ねこじゃらし?』
『そうねぇ、チガヤ…じゃないかねぇ』
『かわいいね』
『そうね。きれいね』

 あのひとに、現実を受け入れる勇気があったなら。
 あのひとに、逃げ出す強さがあったなら。
 あのひとに、自分の無邪気さを守る以外のことが、できたなら。



「…そこまで…しっかり考えてのことなら。もう私には何も言えないよ。たださ、結局…お母さんは、お母さんさ?」
「ーーーねぇ。どうしようもないよね、本当にさ…」




 …母ちゃん。
 けれど。そうではなかったから。
 だからこそ、貴女は貴女で。
 私は、ここから、こうして。

 貴女との別れがいつかきても、
 私には動かせるものがもうなにもない。
 なにもないんだ。
 切れる切れないなんて、だから、もう。






 花々のことを、多くは知らない。
 だから、私は知らない。
 守り切れない。
 ふっと訪れる、その瞬間から、自分自身を。



 ーーーぁ、シャリンバイが、きれい。



 花の名前のなかに。

 あのひとを、みる。


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