見出し画像

ブギーバック30年と思い出



友人に誘われてブギーバック30周年LIVEに行ってきた。

小沢健二、スチャダラパーが1994年に発売した「今夜はブギーバック」♪
多くの人に今も歌い継がれる名曲。

 懐かしさもひとしお、耳に残っているメロディや歌詞に身体も反応する。

オザケンこと小沢健二さんは僕と同年代。彼の名前をはじめて知ったのはフリッパーズギターだ。

 ロックかぶれの僕はUKが好きで、特にネオアコあたりの波、アズテックカメラに超夢中になった時期とフリッパーズギターの登場は同じ頃。初期パンクが終わり、UKの音楽シーンは群雄割拠。スコットランド、グラスゴーのポストカードレコードからオレンヂジュース。マンチェスターからはファクトリーレコードージョイ・ディビジョンあたり。リバプールの音といえば、エコバニ、ジュリアン・コープ・・・ 一括りに言うと「ポストパンク時代」。ネオアコはその系譜の中でも、瑞々しい音とひねくれた反骨が混ざり合った、甘酸っぱい音だった。ペイルファウンテンズ、パステルズ、ブルーベルズもあったな。
 レコードを掘り、少ない情報ソースを手繰り寄せながら、チェリーレッドからのエルレーベルに辿り着いた。そして本場ロンドンといえばクリエイションレコード、そしてラフレコード、レコ屋で迷った時のレーベル買いもした。フリッパーズギターは同時代的であり一時期はアイコンでもあった。


JUST LIKE GOLDーアズテック・カメラ

 それまで追っかけてきたミュージシャンはずっと10も20も年上の人ばかり。RCサクセションやシーナ&ロケット、ルースターズ、、、忌野清志郎は1951年、鮎川誠は1948年、遠藤ミチロウ、チャボは共に1950年生まれ。この辺りは僕の20年上。大江慎也は1958年生まれ、花田裕之は1960年、村越弘明(ハリー)が1959年らの世代がちょうど10年位先輩。

 因みに、誕生年でいえば、ジョンレノンは1940年、ボブディラン1941年、ルーリドが1942年、ニールヤングとエリッククラプトンとボブ・マーリーが1945年生まれ、デビッドボウイ1947年、ジョニーサンダースとジョー・ストラマーが1952年生まれ。ジョンライドン(ロットン)とイアンカーティス1956年、ジュリアンコープ1957年、ポールウェラー1958年、モリッシーとエドウィン・コリンズが1959年生まれ、ボーイ・ジョージとボビー・ギレスピーが1961年、アンソニーキーディスは1962年、そしてアズテックのロディフレイムは1964年生まれ。

それに対してフリッパーズギターの小山田さんと小沢さんは僕の同年代(1968年、1969年生まれ)不思議な感覚を覚えた。テレビに映る甲子園の活躍する球児たちがいつのまにか随分、年下なのだと気付いた衝撃と似ている(笑)

 フリッパーズギターのライブは何度か観た。時代に真っ直ぐな音が好きだった。「何か」を拗らせた特有の自意識のエッヂが尖っていた。諦めと暗さとへそ曲がりと小馬鹿にしたような振る舞いは、あの時代特有の感じだ。ポストパンクをくぐった年代はひねくれる(笑)
 野暮ったさを徹底的に排除したスタイルを洗練されたと言うべきかわからないが、同時期のオリジナルラブやピチカートにも共通したものがあった。

 そのフリッパーズギターだったが、「ヘッド博士」のアルバムで惜しまれながら解散をした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その後ー

コーネリアスとして小山田さんはUKクラブシーンの潮流に合わせたような音作りになる。ヘッド博士の系譜をちゃんとやりつつフリッパーズのファンを繋いだ感じの活動をしたと思う。洗練路線はその後のAPEあたりとの交流は納得がいく。


一方、小沢健二さんは、意外な虚をつく活動再開をした。

このあたりのことは、当時企画やマネジメント全般を担っていた井出靖さんのアイデア。井出靖さんのブログや本に詳しく書かれている。



 そこにあるのはフリッパーズの小沢健二ではなく、シンプルでかつ力強く、文学のロックであり、正統で良質な音楽だった。バックメンバーも最高だった。1STの「犬は吠えるがキャラバンは進む」は超名盤。




ここにおさめられている「天使たちのシーン」は僕の心のベスト10に入る曲。


 小沢健二個人の世界は独自性を増し、いよいよ大きな川を渡る。


 スチャダラパーと共につくった

「今夜はブギーバック」




ブギーとは踊り。バックは返して。
ブギーバックとは
 踊り返せ!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◇サブカルからメインカルチャーへ渡る「橋」

 ブギーバックがなかったなら、ラップがこんなに身近なモノにならなかったかもしれない。ブギーバックという曲は大河を渡す「橋」であり現象になった。

その後のアルバム「LIFE」は完全に橋を渡り、メインカルチャーとなった。
小沢健二の新しい世界はここで結晶する。

確かに素晴らしいアルバムで僕も殆どの曲が耳に残っているし口ずさむことも出来る。

しかし川の向こう側の音は僕とは離れていった。僕はブギーバックという橋の上でLifeを聴いたが、向こう岸に辿り着くことはなく、むしろ引き返した。
だから、実は小沢健二さんのその後の活躍も動向もあまり知ることはなくなっていた。

そんな思いを振り返りながらステージを見つめ聞き入った。
小沢健二という人の紡ぐ言葉には思想がある。とても軽やかだが深い言葉がある。
彼の朗読を初めて聞いたが、時折リフレインするフレーズは胸に迫るものがあった。そして13年も音楽の世界から離れていたことを知って驚いた。

LIFEから向こう側へ行ってしまったと思っていたが、地上を離れ天を舞い、その後周り巡って新たな地上に帰り着いたのだろうか。

同時代に生まれ育った小沢健二さん、スチャダラパー、そして会場で同じTシャツを着た異様な風景を作った仲間たち(苦笑)がとっても愛しく感じられた夜だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?