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獲って、〆て、調理して、食べて......ビギナーでも安心「セミを食べる会」レポ!!

みなさん、「夏」満喫してますか!
毎日、在宅ワークとVRな日々を送る私ですが、先日Twitterを眺めていたら、衝撃的なタイトルとビジュアルのイベントが目に飛び込んできました。その名も「セミを食べる会」!?

どれどれ、「中野区立平和の森公園でセミを200匹以上とって食べます!!」
「セミを200匹以上とって食べます!!」!?!?

どうやら、近年の昆虫食ブームもあり、都内でもセミを捕まえて食べる集団がいるらしいという噂は耳にしたことがありましたが、本当にあったのか、こんなイベントが。実は、まったく共通の知り合いもいなかったのですが、知ってしまったからには行くしかない。そんな直感に従って、そのまま主催者のDMへ連絡を。そして、本日実際に参加してきました。

大人たちが虫取り網を振り回して昆虫採集!

当日、近くの集合場所に集まった私たちは、いざ舞台となる「中野区立平和の森公園」へ出向きます。都会の街並みと、公園の自然と、虫取り網を持った大人たちの集団……改めてみてもなかなかシュールな光景ですねw

中野駅からの道中にダイソーで購入した虫取り網(200円)

参加者の中には、主催のハ息子さんのお知り合いや、初めましての人までいろんな方がいるとのこと。年齢層も幅広く、男女も半々くらい、メイド服を着たお姉さんや、京都で同じようなセミ食会を開いているという方など、色のある方が多く、とても刺激的でした。

これが「ミンミンゼミ」 ミ~ンミンミンと鳴いてる奴です

そんな一見、共通点が見えにくいような大人たちが、まるで童心に帰ったように、セミの鳴き声に耳を澄まし、樹木をジッと見つめ、虫取り網を振り回し、一喜一憂する。これから食べるやつらを見つける。そんな姿勢で公園の森を見るだけで、こうも違った角度から見えるんです。

自然に語りかけるとき、自然もまたこちらに語りかけている

「よく見ると、剝がれかけた樹木の皮と、セミは見分けがつきにくい」「網でも届かなそうな高いところに、実はセミは多くとまってる」「そういえば、鳴くセミはオスだけで、メスのセミは鳴かないんだった」「セミの羽って、葉脈みたいだ」「ここの公園、アブラゼミとミンミンゼミの2種類しかいないぞ!」「ミンミンゼミの方がアブラゼミより元気」などなど。

まさに、五感を、肉体感覚を通してしか得られない、自然の知。ジッと見つめてセミを見極める時は、何かを考えることなんて忘れて、ただその体験に没入する。人は体験したことからしか本当に知ることはできない。当たり前だけれど忘れがちな、子供の体験がそこにはありました。

獲って、〆て、調理して、食べて......

セミを〆る一行

2時間ほどでしょうか。セミ獲りに熱中した後は、いざ「食べる」準備に入ります。みなさん、「セミ」食べたことあります?今回が初めてでしたが、どうやら「エビなどの甲殻類っぽい味がするらしい」という話は聞いたことがありました。

捕獲したセミは、水に沈めて〆て、その後は下ごしらえのために、羽や脚などの食べられない部分を手作業でむしっていきます。

みんなで下ごしらえをする姿に「まるで親戚の集まりみたい!」という声も

人によっては、グロテスクに映るかもしれないこの光景ですが、私たちが普段食べている牛や豚や野菜などもすべて、こうして命をいただいていることには変わりないのです。普段は、すでに加工されたものしか目にすることはありませんが、実際に狩猟採集し、殺め、手作業で準備し、食べるという行為は、現代人においても機会があるときは積極的に体験すべきだと思います。

並べてみると圧巻。ちなみに上が「ミンミンゼミ」、下が「アブラゼミ」。これでも半分

手作業で、羽や脚をむしっていると、改めて目を通して、触感を通して、セミの身体の構造が感じ取れます。羽と脚がなくなっちゃうと意外と幼虫みたいな見た目をしてるんだなとか、ハチにも似てるお腹の形をしてるなとか、こうやって部位と部位が分かれて繋がっているんだとか、ミンミンゼミとアブラゼミは羽の模様や色だけじゃなく、「頭に模様があるのがミンミンゼミ」「ミンミンゼミの方がアブラゼミよりずんぐりむっくりしてる」とか細かな違いがあるんだなとか。

今回の基本的な調理方法は素揚げです。

自然の動植物には、寄生虫や汚れなどから食中毒などを起こす危険があるので、しっかりと準備をしなければいけません。しっかり洗って、塩水に15分以上付けて臭いも落として、そして高温の油で中に火が通るまでしっかりと揚げる。意外にも、調理されたこの時点で、私には口に入れる抵抗感はほとんどなく、むしろ愛着が湧きつつ早く食べたいと思うほどでした。


揚げたてほやほやのセミたち

塩や、カレースパイス、ケイジャン風スパイスなんかを振りかけて食べるシンプルなパターンと、クックドゥの「エビチリの素」で和えた「セミチリ」の2パターンが振舞われました。

ちなみに、ツイートにもあったようにセミ食だけではなく、カレーライスや、さらにハナサキガニまで振舞われる豪華仕様でした(笑)

至って普通のカレーライス!左はトマトカレーでした
食材提供人が持参したらしい「ハナサキガニ」。市場で1個700円くらいだったとのこと!?

食レポ!実際の「セミのお味」は?

セミの素揚げと、「セミチリ」

はい、お待ちかね。実際にセミを食べてみた感想ですが、一言で言えば

普通においしい

うん、普通に食べられますよこれ。見た目にグロテスクさを感じる人はいれど、多分目隠しして食べたら「マズい」という人はほとんどいないんじゃないかな?

私は見た目も、全然許容範囲内だったので、スナック感覚でパクパク食べちゃえました。近いものとしては、やはり事前に聞いてた通り「甲殻類っぽい」感じはします。ただ、殻はパリっとしてる一方で、お腹の部分は身がしっかり詰まっていて、すこしクリーミーな印象を受けます。砂肝っぽい感じ?お酒はなかったんですけど、これビールのおつまみにしたら多分最高です(笑)

私は「セミチリ」よりも素材の味が楽しめる素揚げの方が好きでした。塩を軽く振りかけてあげて、そのまま食べる。しっかりと舌触りや味を確かめながら食べると、捕まえるところから全過程に参加した身としては、やはり食べることに深みのある実感が持てます。

ちなみに!
これは意見が分かれるところだったのですが、私は「ミンミンゼミ」の方が好きでした!

アブラゼミとミンミンゼミで微妙に味が違うんですね。甲殻類っぽさ、つまり殻の部分は大して変わらないんですが、よ~く味わってみると、身の部分の後味が微妙に違う。アブラゼミの方が味が濃くてちょっと土っぽさがある感じで、ミンミンゼミの方があっさりスナック感がありましたね。

アポロ的理性の文化の中でディオニュソス的身体を取り戻そう

最後に、我々のいまの主流社会は、「獲って、〆て、調理して、食べる」狩猟採集的なものではなく、「耕して、育てて、〆て、調理して、食べる」農耕的なものです。さらに、近代性においては「殺すこと」と「食べること」は過度に分離されており、私たちの食卓に料理が運ばれるとき、その背後にある「殺める行為」や「狩る行為」は隠匿されてしまいます。

しかし、本来は「殺すこと」と「食べること」は不可分であるはずです。それは一見、悲しいこと、可愛そうなことかもしれませんが、だからこそ、その生命と本当の意味で渡り合い、そして身体の一部とする喜びがある。

人がものを理解する際には、身体的な知こそが根本にあるのです。理知は根底に置いて、情動に根差している。

ライヒはたがの外れたアポロ的理性の文化の中にディオニュソス的身体を取り戻そうとしたが、彼の業績の真の重要さは、人がものを理解する際に身体的な知こそがその根本にあることを明らかにしたことにある。理知(intellect)は根底に置いて情動(affect)に根差している

『デカルトからベイトソンへ』モリス バーマン (著), 柴田 元幸 (翻訳)

「セミ食」は、そんな当たり前を、私たちに取り戻させてくれる、ひとつの手の出しやすい方法かもしれません。夏に、セミの音がけたたましく響いたとき、それに触れて、食する喜びを思い出したいものです。


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