命はお金を使うためにある
どうも。foundです。
真面目な話をさせていただきます。
前回のカラオケ行ったという記事には続きがあります。
友達とカラオケ歌った後、夜中に帰ることになりました。
私はその帰り道、お婆さんと出会いました。
どうやら、買い物した後、周りが暗くなってしまい、帰るべき家がわからなくなったそうです。
頼まれた私はお婆さんの証言の元に家をさがしました。
家は大きな橋の近くにある。
橋の下に川が流れている。
近くの建物はスーパーマーケット、小学校、中学校である。
その手がかりをもとに近くまで案内しました。
そこまで来たとき、お婆さんは足を止めました。
鞄からとりだしたのは。
一万円札でした。
それを僕は呆れました。
金が欲しいから助けたのではないことを。
金で甘やかしやがって、そう思ってました。
それでも。
お婆さんはそれを理解してました。
どうしても渡さずにはいられなかったのです。
僕はその話を聞いたとき。
納得しました。
もしカラオケの比ではなかったら。
夜中まで歌ってなかったら。
帰り道にお婆さんと会わなかったら。
お婆さんに声をかけられなかったら。
お婆さんは家につかぬまま、、、。
そう考えると恐ろしく思います。
だからこれは、
命はお金を使うためにあるんだと。
お礼として渡された貴重品を大事にすると。
その後は無事に帰れたのでしょうか
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