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今こそ80年代キングクリムゾンを聴くべきなんじゃないか???

やーいやーいお前のかーちゃん杉本健勇の月額2980円の限定SNS加入してやんの!どーも○代目です。

杉本健勇はさておきですね、みなさんは平山相太というサッカー選手をご存知だろうか。

長崎の名門国見高校のエースとして、1年次から高校生離れした恵まれた体格と繊細な足元の技術でその名を馳せた選手だ。全国高校サッカーでは史上初の2大会連続得点王に輝き、全国高校サッカーでの通算得点記録はあの大迫半端ないを上回る歴代最多記録保持者である。その後は一旦筑波大学進学も在学中にオランダリーグに移籍などプロでの華々しい活躍が期待されるものの、中々思ったようなキャリアを築けず。J通算169試合33得点、10年近くはJ1でそこそこ活躍して日本代表にも選ばれてましたし、FC東京サポの筆者としてはナビスコ杯の決勝弾とかもあって全然やれてた印象があるんですけど、高校時代の活躍とポテンシャルみたいなものを考慮するともっとやれた感も否めず。

このように世の中にはポテンシャルお化けのまま終わってしまう、いわゆる惜しい人達ってのが一定数いるわけです。今回は音楽分野においても特に惜しい人達ということで、80年代のキングクリムゾンにフォーカスを当てたいと思います。

キングクリムゾンとは

キングクリムゾン、この言葉を聞いてあなたはなにを思い浮かべるだろうか?

十数秒先の未来を予見し、その未来に至るまでの過程を吹っ飛ばす能力を持つスタンドのことか。

はたまた真っ赤に膨れ上がった男が恐怖に慄くアルバムジャケットか。

今回は後者の方の話だが、キングクリムゾンというバンドは60年代末に衝撃的な登場を果たして以来、音楽性を複雑に変化させながら常に進化と探求を繰り返してきたプログレッシブロック界の大御所的なバンドだ。このプログレッシブロックというのが曲は長いし小難しいしというイメージが先行するジャンルなのだが、クリムゾンはまさにその代表格とも言うべきバンドで、曲長い小難しいに加えてライブ至上主義なためアドリブやインプロビゼーションがとにかく多い。

自由だけど徹底された様式美がそこにあり、同じプログレでも煌びやかで女性人気もありそうなイエスやジェネシス、EL&Pなんかと比較しても、クリムゾンは圧倒的な男臭さが充満してる。

直近の日本でのライブの様子だが、ロックバンドのライブなのにオーケストラホールかの如く着席しながらパフォーマンスを楽しんでいるのがわかる。これだけでも一癖あるというか、ロックバンドとしてかなり異質な立ち位置のバンドであることがわかるだろう。

また先述の通り彼らはライブ至上主義ということもあってライブアルバムがめちゃくちゃ多いのだが、これらの作品を購入することをクリムゾンファンの間ではお布施とも言うそうだ。

スタジオアルバム13枚に対して、公式からリリースされてるライブアルバム22枚と破格のボリュームである。しかもこれに加えてキングクリムゾンコレクターズクラブと呼ばれる未発表ライブ音源をボックスセットに発売するものもあり、こちらも2024年時点でNo.48まで出てるという、クリムゾンファンからすると試される財布状態がずっと続いているわけです。

キングクリムゾンのざっくり経歴

そんなイカつい歴史があるキングクリムゾンにとって80年代のという時代は、いささか彼らの歴史を振り返ると突然変異に近い時代でもあります。

というのもクリムゾンはそもそも1974年の時点で2度目の解散をしてから7年近く活動してない状態だったんですよね。キングクリムゾンというバンドは非常にメンバーチェンジの激しいバンドで有名で、全てはリーダーであるロバートフリップの強権的かつ音楽に対して容赦ないくらい厳格な姿勢が起因するものです。

ノリノリな奥様と楽しくYouTubeを投稿してるこの老ギタリストがこのバンドの頭脳なわけですが、ここで簡単にクリムゾンの歴史を振り返ってみましょう。

まずデビュー当初のクリムゾンですが、この時バンドの音楽性の主導権を握っていたのフリップではなくて、後にフォリナーという総セールス8000万枚を記録するバンドを結成するサックス担当のイアンマクドナルドと作詞とステージの照明担当のピートシンフィールドの二人が中心でした。この二人を中心としつつフリップの斬新なギタープレイと、のちにEL&Pのボーカルになるグレッグレイクの雄弁なボーカルを武器に作られたのが大傑作「In The Court Of The Crimson King」なわけです。しかしこの偉大なデビューアルバムを作成後にイアンマクドナルド含めメンバーが三人抜けるところから波乱のメンバーチェンジの歴史が始まります。

3年の間に4枚のスタジオアルバム、この時点でフリップ以外のメンバーが10人近く出入りしてるという状態であり、フリージャズに傾倒していった「Islands」を持ってバンドは一旦解散します。ちなみにこのアルバムでボーカルを担当してるボスバレルという人だが、それまではあのThe Whoのロジャーダルトリーの後継候補にも名前が上がるほどの名ボーカルだったが、今作でフリップにベーシストとして魔改造された結果、バッドカンパニーにベーシストに加入したりとベーシストとしてのキャリアを歩むことになってしまうという変な経歴を持ってる。なおこの時に開催されたクリムゾンの新ボーカルのオーディションにはエルトンジョンやブライアンフェリーも参加していたらしい。

しかし解散してから1年でちゃっかり復活。イエスのドラマーだったビルブラッフォード、男臭いボーカルとファズを効かしたブリブリなベースが持ち味のジョンウェットン、バイオリン担当のデヴィッドクロス、狂気(?)のパーカッション担当のジェイミーミューアを加えた4人を迎え第2期キングクリムゾンとして復活。この時期こそが本当のキングクリムゾンという人が多く、ファンからも黄金期と根強い人気がある時代でもあります。

しかしアルバムを経るごとにメンバーが一人ずつ脱退、第2期としては3作目に当たる傑作「Red」の制作時点でフリップ、ブラッフォード、ウェットンの3人だけとなり、この作品のリリースを待たずに彼らは解散宣言を表明します。またフリップは自身の厳格な姿勢が災いしてか、メンバーやレーベルとの衝突に疲弊し音楽活動そのものもストップさせてしまいます。

第2期クリムゾン解散から80年代クリムゾン開始までの空白の7年ですが、この時期のフリップの活躍は実はかなり目を見張るものがあります。

当時引退状態にあったフリップですが、デヴィッドボウイとブライアンイーノの呼び掛けによりベルリンへと招聘されます。

スタジオに到着して数時間ギターを弾いたらすぐニューヨークの自宅にあっさり帰ってしまったという逸話が残されてるが、そのたった数時間で練り上げた幻想的なフィードバックが織りなすこの楽曲はロック史に残る名曲となり得た。

これを足掛かりにブロンディの名盤「Parallel Lines」やピーターガブリエルの作品に参加したりと、ニューウェイブ系の作品で客演で活躍したりしてます。この時得たニューウェイブの空気感というのが後のクリムゾンでの活動に大きな効果を表します。

またこの時期にフリッパートロニクスと呼ばれる、2台のオープンリールデッキを駆使しギターをループさせまくって独特のアンビエントなテクスチャーを繰り出す奏法(かなりざっくり説明)を考案します。これがまた前衛的なサウンドであり、一緒に作品を作ってる友人で同時代にアンビエント音楽を成立させたブライアンイーノなんかとも共鳴するものになってたりします。当時プログレ系のバンドがオールドウェーブという扱いでパンクやニューウェイブの音楽に乗り切れてなかったのに対し、ロバートフリップはかなり新時代の音楽シーンに適応出来てた印象があります。

ちなみに当時あのホール&オーツのダリルホールのソロデビュー作もプロデュースしているんですが、作品の流れガン無視でフリッパートロニクスをぶっ込んだりしたせいでお蔵入りにさせてしまったりしてます。

メンバー紹介

このように70年代後半をどっぷりとニューウェイブの空気に浸かったことで、フリップ先生の中でバンドへのモチベーションが復活したことがクリムゾン復活のきっかけとなります。

当初は修行や戒律と言う意味を持つDisciplineというバンド名で3人のメンバーを招集しますが、レコード会社からの要請もあってキングクリムゾンでの名義を再び使うことになります。そういう経緯もあってか、一部のクリムゾンファンの間ではこの時期のクリムゾンをディシプリン・クリムゾンと呼んだり、そもそもキングクリムゾンと見做して無かったりします。そんな風にクリムゾンファンからも扱いに困るこの時期のクリムゾンのラインナップについて紹介しましょう。

・ロバート・フリップ
 (ギター、シンセサイザー)

泣く子も黙るキングクリムゾン教の教祖にして権化です。通称、卸大、先生、爺。

ロックギタリストらしからなピシッとした大学教師のような知的な見た目、座りながら弾くスタイルなどかなり異質なタイプなギタリストです。また上述したようにニューウェイブやアンビエントへの造詣もあり、90年代にはメタルの要素も取り入れたりと結構トレンドに敏感であり、そのような型に囚われない柔軟なスタイルがクリムゾンの革新的な音楽性に繋がります。また音楽に対しては厳しい姿勢を求めており、1日8時間ギターの練習を欠かさないという逸話も残されるほど。それは自分以外の人間に対してもであり、それがメンバーチェンジの激しい要因でもあったりします。

プレイスタイルについても、ロックギタリストにありがちな泣きのフレーズだったり、大胆なギターソロを好むタイプではありません。非常に難解なフレーズを精密機械の如く淡々と弾きこなすタイプであり、特に有名な「Frame By Frame」の高速ギターシーケンスなどの人間離れした正確なプレイに定評があるギタリストです。

またこの時期のフリップですが、実際にはギター弾いてないことが結構な頻度であります。ギターシンセサイザーと呼ばれるギターの形をしたシンセサイザーを弾いてるので、ライブとかで見ると明らかにギターじゃない音が鳴ってたりするのもこの時期の特徴です。


・ビル・ブラッフォード
 (ドラム)

70年代クリムゾンから引き続き参加したメンバーの一人です。

プログレ界屈指の実力ドラマーであり、クリムゾン参加前は同じく5大プログレの一角であるイエスのドラマーでした。To Be Continuedでお馴染み名曲「Roundabout」や名盤「Cloth To The Edge」でドラムを叩いてるのも彼です。クリムゾン解散後は同じく5大プログレのジェネシスのサポートメンバーになったり、カンタベリー系を代表するバンドのゴングに参加したり、クリムゾン時代のバンドメイドのジョン・ウェットンらとU.K.を結成するなど、その技術を買われテクい系のバンドの作品に参加してたりしました。

ジャズにルーツがあるドラマーであり、ストーンズのチャーリー・ワッツと同様に自信をロックドラマーではなく、ジャズドラマーだと錯覚しているタイプの人です。なのでパワーで押すというよりは正確かつ緻密にリズムを取るタイプであり、ドラムソロなんかでもポリリズムを多く取り入れて組み立てるタイプなので、まさに70年代以降の複雑怪奇なクリムゾンの音楽性にぴったりな人材です。


・エイドリアン・ブリュー
 (ギター、ボーカル)

クリムゾン初のアメリカ人メンバーで、80年代クリムゾンの中核を担う人物です。

この人はギタリスト界隈の中でもかなり特異な扱いをされている人で、クリムゾン参加前のキャリアとしてはフランク・ザッパの門下生として表舞台で一躍その名を知らしめします。その後はベルリン期のデヴィッドボウイのバックバンドに参加、80年代に入るとトーキングヘッズの歴史的名盤「Remain In Light」に参加しその後のツアーにも帯同。この上に挙げた3組だけでもかなりひと癖ふた癖あるタイプの大物といいますか、そこを経てからロック界屈指の偏屈爺さんのフリップ先生率いるクリムゾンに迎合するのは必然ともいえる流れか。

キャリアだけでもかなり異質だが、なんといってもプレースタイルが唯一無二の癖の塊。テクニック面は申し分ないが、彼の場合はそのテクニックを聴かせるというよりはテクニックをいかにエフェクティヴに応用させるかに重きを置いたギタリストともいえます。系統で言えばレディオヘッドのジョニーに近いプレイスタイルです。また非常に遊び心を重視しているのも特徴で、それが彼の代名詞でもある動物の鳴き声をギターで再現するという謎特技につながるわけです。その陽気な様子はクリムゾン以外でもデヴィッドボウイやトーキングヘッズのツアー帯同時の映像を見れば明らかで、特にこの時期のヘッズのライブでは他のメンバーを差し置いてデヴィッドバーンと同じくらい目立っています。そんなわけで嫌でも注目してしまうスタイルでもあるので、旧来の厳かな雰囲気が好きなクリムゾンファンからすれば賛否わかれる人物でもあります。


・トニー・レヴィン
(ベース)

ブリュー同様クリムゾン初のアメリカ人メンバーであり、80年代クリムゾンのメンバーで現時点でクリムゾンに在籍しているメンバーでもある。

70年代初頭から売れっ子セッションミュージシャンとして名を馳せており、ポールサイモン「Still Crazy After All」、ジョンレノンの遺作の「Double Fantasy」などの名だたる名盤でそのベースを響かせている。またクリムゾンのベーシストという印象も強いが、それと同じくらいピーターガブリエルのバックベーシストという印象を持ってる人もいるだろう。ジェネシス解散後にソロを開始して以降、ピーターガブリエルの作品及びツアーにはほぼすべて帯同しており、なので名盤「Peter Gabriel 3」、「So」はもちろんのこと昨年出た最新作「i/o」でのベースもすべて彼によるものである。

ベーシストとしての特徴は王道でありながら、個性的なフレージングとエフェクティヴな音作りでしっかり個性も出していくというセッションミュージシャンとしてはまさに理想形ともいえるタイプの人です。またファンクフィンガーズ奏法とも呼ばれる、ドラムスティックを短く切断したような木の棒を指に装着し弦を叩く奏法を駆使したりします。またトニーレヴィンといえばチャップマンスティックという楽器も避けて通れません。左右両方の手で12本の弦が張られた太いネックを、きめ細やかにタッピングすることで発音する楽器で、この楽器の存在を世間に知らしめた第一人者ともいえるでしょう。


ここが凄いよ80年代クリムゾン

さてここまで曲者ぞろいのメンバーと背景について説明したが、この章では80年代クリムゾンのどのような点が個人的に凄いと思ったか解説していこうと思う。

1.ニューウェイブもポストパンクも丸ごと包括した暴力的な音楽性

80年代クリムゾンの音楽性を一言では表せというのは非常に難題で、一般的なプログレッシブロックという範疇を逸脱し、当時のニューヨークの最前線の空気を吸ったフリップの意向が全面に反映された独自の音楽性になっています。

当時のニューウェーブからの影響がうかがえるアフリカンビートに乗っかかったシャープなサウンドもさながらですが、70年代から受け継がれている彼らの暴力的なダイナミズムはポストパンク的な質感でさらに力強さを増しているようにも思えます。この暴力的な刹那こそ80年代クリムゾンの魅力の一つともいえます。


2.空間的な音使いが後のアンビエントミュージックに間接的に影響を与えた点

上記の暴力性に加え、フリップ先生がアンビエントミュージックに造詣があったことも大きいです。そもそもクリムゾンというバンドは昔から静と動の対比を非常に上手に表現できるバンドでしたが、動の部分を上記のニューウェイブやポストパンク、静の部分をアンビエントで成立させてるのがこの時期の特徴です。

フリップのフリッパートロニクスをはじめ、ブリューの動物鳴き真似、レヴィンのチャップマンスティックと、各々のメンバーがトレードマークとも言えるエフェクティヴなシグネチャーサウンドを持ってるのも大きいです。この個性的な音作りが、のちのテクニックよりもアイデアを志向するオルタナ以降の音楽シーンに与えた影響は少なからずともあると思えます。


3.実はめちゃくちゃ踊れる

この時期のクリムゾン、実はめちゃくちゃグルーヴィーで踊れます。当時のディスコビートやアフリカンリズムを導入しているだけあってか、自然と横ノリになってしまう強烈なグルーヴィさがこの時期のクリムゾンには感じられます。

これは歴代のクリムゾンと比べてもリズムワークが即興による生まれるマジックからポリリズムによる独特な反復性を追求していったことで、自然と楽曲のなりがファンキーな方向に寄っていたことが大きい気がします。またこれがライブ盤になるとさらに魅力が増幅するので、気になる方はぜひライブ盤をチェックしてほしい。


4.反復の徹底、そこから生まれる都市の情景

80年代のクリムゾンはひたすらに反復の徹底ともいえるバンドでした。歌詞も一見すると無意味なものが多く、これまでヨーロッパ的な抒情詩を紡いできた音楽性から180度逆転したものだった。だが'意味がない'ということを繰り返し歌う、これは日本でも坂本慎太郎がよくやる手法ではあるが、繰り返すことを徹底して行うとどこか緊張感が生まれてしまうのです。

この時代のクリムゾンはサウンド、リリック、すべての要素でとにかく冷酷なまでに無機質な音楽を奏でており、この徹底的な冷たさこそニューヨークという大都会に拠点を置いた彼らから見えた都市の暴力とも言えるでしょう。そういう意味では大陸的な情景を提示してきた今までのクリムゾンとは見える景色が全く違うのです。当初彼らがクリムゾンという名ではなく、修行や戒律という意味合いを持つDisciplineという名で活動しようとしていたのも、やはりそこには徹底された行動の中で創出される音楽表現を見出そうとしていた姿勢がうかがえます。


5.サウスロンドンシーンとクリムゾンの相関性

2020年前後を境にサウスロンドンという地区を一帯に有望な若手アーティストが多く輩出されてきたわけだが、そういったバンド群の中でもポストパンクのジャンルに括られるアーティスト(BC,NRとかblack midiやSquidあたり)の作品を聴くとクリムゾンっぽい瞬間を散見することできる。

これらのバンドのリファレンス元としてよく挙げられるのはSonic Youthや「In Rainbows」期のRadioheadが挙がる印象だが、そんな今こそポストパンクに最も傾倒していたこの時期の作品群を聴き返してみるべきなのでは。


ここが惜しいよ80年代クリムゾン

先ほどの章では80年代クリムゾンの凄いところを挙げてみたが、この章では80年代クリムゾンの惜しい点について挙げたいと思います。

1.クリムゾンファンからのウケがあんまりよくない

熱心なロバートフリップ教信者を多数抱える、下手したら音楽界隈の中でも過激なファン層を抱えている可能性があるクリムゾンですが、そんなファンたちの間で一番人気が無い時期が多分この時期なんですよね。ファンの間でアルバムランキングとかやると大体この時期の作品がドベ争いをしているというか、下手したらクリムゾンの前身のGiles, Giles and Frippのデビュー作よりも人気ないかもしれないです。

というのもクリムゾン=荘厳なプログレっていうイメージを持っているファンからすると、やっぱりアメリカ人メンバーが体揺らしながら5分前後の曲演奏している風景事態に違和感を覚えるんですよね。このような背景が80年代クリムゾンの印象を薄めてしまった感は否めない気はします。


2.ボーカルが弱い

これはブリュー氏には非常に申し訳ない話ではあるのだが、ブリュー氏のボーカルが歴代のボーカルと比べると弱いというのもこれまた惜しい要因である。

そもそもクリムゾンというバンドは結構ボーカルには力を入れているバンドでして、雄弁さと繊細さの両面を兼ね備えたグレッグ・レイク、聴き手に優しく寄り添うボズ・バレル、男くささ満点で力強いジョン・ウェットンと、それまでのクリムゾンのボーカルといえば物語の語り手として一手を担うようなタイプのボーカリストが占めていました。そこからのデヴィッドバーンもどきのブリュー氏なので、やはりここでもファンからの反発は容易に想像できます。なんだかんだブリュー氏は90年代もボーカルやってましたけど、脱退後はそれまでの語り手系の系譜のジャッコ・ジャクジクがボーカルを務めてます(個人的にはフリップ先生と一緒に仕事してたデヴィッド・シルヴィアンあたりにボーカルやってもらえればとも思うが)。

比較用(1) 初代ボーカルのグレッグ・レイク

比較用(2)72〜74年までボーカルのジョン・ウェットン

比較用(3) エイドリアン・ブリュー


3.決め曲がない

80年代クリムゾン最大の弱点はこれに尽きます。60年代は「21st century Schizoid Man」や「Epitaph」、70年代は「Easy Money」に「Starless」とそれなりに決め手となる曲があるんですけど、80年代はそれが無いんですよ。強いて挙げても「Elephant Talk」ぐらいなんですけど、じゃあ「Elephant Talk」が先述の4曲ほどロックファンから知名度があるかと言われたら、ん???って首をかしげます。

この時期のクリムゾン、ほかの時期と比較してもキャッチーな曲多いんですけど、印象に残るほどインパクトのある曲は少ないんですよね。巷では上記の曲を作ったイアン・マクドナルドやジョン・ウェットンなんかと比較して、この時期の作曲のメインを担ったブリュー氏の作曲センスの無さをディス人もちょこちょこいたりするんですけど笑。そう考えるとよく比較対象として挙がるトーキングヘッズは、「Once In A Lifetime」や「This Must Be My Place」と決め曲が豊富なので、クリムゾンもある程度妥協してヒットしそうな曲を作る気持ちがあればもうちょい評価する人増えそうなんですけどね。


ディスクレビュー

ここまでで80年代クリムゾンがどんな存在なのか把握できたと思うので、最後に簡単なディスクレビューを載せておこう。とはいえ80年代クリムゾン、活動期間は4年ほどしかないので作品数もあまり多くないので、今から聞き始めても比較的網羅しやすいとは思います。


1.「Discipline」(1981年)

80年代クリムゾンの記念すべき最初の作品です。

トニー・レヴィンによるチャップマンスティックの奏でる不穏なタッピングの時点で只者ならぬ雰囲気を醸し出す「Elepahant Talk」で始まる本作。この1曲目の時点でブリュー氏のゾウの鳴きまねギター、ブラッフォードのシャープかつタイトで隙の無いドラム、フリップ先生のシンセギター、そしてまるで意味の無い単語の羅列と、1曲目にして80年代クリムゾンのアピールポイントを前面に押し出してます。

そしてそこからフリップ先生の正確無比すぎてInspire The Nextなギターが光る「Frame By Frame」、ヘッズがアフリカなら俺たちはアジアだと言わんばかりの謎の日本語バラード「Matte Kudasai」、70年代クリムゾンの再解釈的なインプロビゼーションな「Indiscipline」と、A面の時点でフリップ先生がやりたかったことはもうやり尽くしてしまったのではというボリューム感。その後のB面もこれまたフリップ先生の頭の中の環境音ともいうべき「The Sheltering Sky」、A面の「Indiscipline」へのアンサーとも言うべき緻密なパズルのような「Discipline」で締めるという、Progressive=進化するを地で行く彼らの求道的な意思表示がこれまたかっこいい一枚です。


2.「Beat」(1982年)

メンバーチェンジが激しいクリムゾンの歴史史上、初めて前作と同じメンバー編成で製作されたアルバム。

とはいえ当初フリップ先生が標榜していた80年代クリムゾンのコンセプト、徹底された反復の中で生まれる無機質な都会の音楽、これはもう既に前作の時点でやり尽くしてしまったので早くもネタ切れの危機となります。そんな中でビート文学への造詣が深いブリュー氏がより前面に出て作られ、結果としてクリムゾン史上最も歌モノに力を入れた作品となっている。

前作で見せた日本のギターが織りなす複雑なポリリズムを主体としつつ、彼らにしては珍しく人懐っこいメロディが鳴る「Neal And Jack And Me」、クリムゾン屈指のファンクナンバーの「Sartori in Tager」などの個性的な曲が軒を連ねる。個人的にはこの作品の曲群を聴いていると、どうしても同時期にヒットを飛ばしていたThe Policeが脳裏を過ってしまう。実際フリップ先生がアンディ・サマーズとアルバム作ったりもしてたので、もしブリュー氏にヒット曲を書けるだけのソングライティング能力があればThe Policeに肩を並べるだけの存在感があったのかもと空想にふけるのであった。


3.「Three of a Perfect Pair」(1984)

もうやり切ったよ感が出ちゃってる80年代クリムゾンの最終作。

先述の通りフリップ先生としては最初の「Discipline」で目的は完遂してしまったおり、契約上の関係で「Beat」と今作は作ったなんて言う始末なので、今作制作時のモチベはかなり低かったんじゃないかなと推測できます。ただこのモチベの低さが功を奏している部分があって、当時のバンド内の空気感がダイレクトに反映されているというか、「Discipline」と「Beat」と並べて聴いたときに一番無機質で冷たいのは今作です。終始ローテンションというか、冷めた視線から紡がれる冷凍都市音楽は非常に趣があります。

A面は比較的ポップな歌モノ、B面は実験的な楽曲という構成は、当時大ヒットを飛ばしていたThe Policeの「Synchronicity」のモロ影響を受けてるのがまるわかりです。「Modal Man」なんかもすごいスティングが書きそうなメロディっぽいですしね。ただ「Sleepless」や「Man With An Open Heart」なんかを聴いても、前2作の収録曲と比べても低体温な雰囲気が全体を包んでる感があります。また今作は比較的70年代クリムゾンの影が散らほら見えるというか、明らかにインプロビゼーションな曲なんかもあったりします。そして極めつけはどこをどう訳したら太陽と旋律になるんだでお馴染み「Lark,s Tongues In Aspic」のパート3で締められるという、まさに終わりに向かうために作られた曲というのがよくわかります。この太陽と旋律パート3個人的にすごい好きで、70年代クリムゾンの良さと80年代クリムゾンの良さを良いとこどりした感があって緊張感溢れるせめぎあいが展開されてかっこいいです。


4.Absent Lovers (Live in Montreal, 1984) (2018年)

ここまではスタジオアルバム3枚紹介してきましたが、とはいえクリムゾンってやっぱりライブでこそ真価を発揮する生粋のライブバンドなわけなんですよ。

そしてこの時期のライブを収めたのが今作で、基本的に80年代の3作を中心に「Red」とかの70年代の人気曲をちらほらって感じの構成です。ここでライブ盤を挙げたのはまあとにかく80年代の楽曲群の化け方が凄いんですよ。特に「Sartori In Tangier」なんかは凄くて、スタジオ版以上にリズムセクションの骨格が露わになることで、身体への訴求性が凄まじいビートにメタメタにやられてしまうんですよ。ガチの超絶技巧集団があんな冷めたような楽曲、ライブにて熱く繰り広げてくれるってのがこれまた乙な一枚です。



いかがだったでしょうか。

簡単に80年代クリムゾンを紹介してみたが、とりあえずかっこいい音鳴らしてるんでぜひ聴いてみてくれよな!

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