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初心者必聴!歴史に残したい洋楽名盤10選 70年代後半編

みなさんこんにちわ。

今日も今日とて洋楽名盤普及委員会をやっていこうと思います。今回はパンクロック出現によって、若者のカウンターカルチャーとしての性質を再び取り戻しただけでなく、一種の音楽産業として成立してしまったが故の商業的批判という、ロックのアイデンティティ的観点を問われることとなった激動の時代である70年代に注目しました。

というわけで10枚紹介していきたいと思います。

1.Sex Pistols 「Never Mind The Bollocks」

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最初で最後のビッグバン

60年代後半にヴェルヴェットアンダーグラウンド、MC5、イギーポップらが展開した、アンタッチャブルなメッセージ性をガレージロックで歌う音楽は、パティスミス、ラモーンズらのニューヨークの新進気鋭のアーティストの手によってパンクロックとして形となる。

一方海の向こうのイギリスでブティックを経営していたマルコムマクラーレンは、自分の店にたむろしていた不良たちを集めバンドを結成させる。そんな不良たちによって結成されたのがイギリス史上最も悪名高いバンドことセックスピストルズである。

シンプルなロックンロールに乗っかる反体制的な歌詞、ヴィヴィアンウエストウッドのデザインした奇抜な衣装、スキャンダルの連発で一気にその名は全国区に知れ渡り、保守層からは多くの反発を生んだ。一方で不況で揺れ動き、商業主義に染められた既存のロックに飽き飽きしていた若者は、そのド直球な音楽性に心を鷲掴みされることになる。

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バンドの楽曲を書いていた初代ベースのグレンマットロックなのだが、彼の後任として加入し、後にパンクシーンの絶対的なカルチャーアイコンとして崇拝されるシドヴィシャスが加わったことでピストルズはさらに混迷を極めることとなる。有名なエリザベス女王在位25年祝典の日に行われたゲリラリブや、メンバーの襲撃事件が起こったのもシド加入以後の出来事だ。

そしてシド加入以降の出来事でもっとも象徴的な出来事と言えば、最初で最後のオリジナルアルバムとなった「勝手にしやがれ」のリリースだ。反体制的な歌詞をまくしたてるように歌うジョニーロットンのボーカル、プロデューサーの発案で多重に重ねられたギターサウンドとスピーディーな演奏はどれをとっても高い殺傷能力を持つ。

個人的に挙げたいポイントとして、ピストルズ最大の魅力はシニカルな視点であることだ。アンチキリストとアナーキストで韻を踏む歌詞にしろ、あえてイギリス国歌と同じタイトルを持ってく当たりなど、過激ではあるもののこの冷めた視点こそピストルズが唯一無二のバンドたる所以である。いずれにしろパンクといえばどんな音楽かと質問されたら、すかさず黙ってこれを聴けと答えたい一枚である。

<ネクストステップ>
ボーカルのジョニーロットンは本名のジョンライドンに改名した後に結成したパブリックイメージリミテッド(通称PIL)の初期3作はロックの解体という実験的な音楽性を展開している。また同時代のロンドンパンクとしてダムドの「Damned, Damned,Damned」、ザ・ジャムの「All Mod Cons」などもおすすめ。

2.Eagles 「Hotel California」

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幻想が行き着いた先

不良の音楽として1950年代に産声を上げたロックという音楽は、ビートルズによって芸術性を確立させ、60年代後半になるとヒッピーカルチャーとの強い共鳴を起こし、体の底から湧き出るようなエモーションを表現するための、若者にとってある種自己表現の手段として確立された。

しかしウッドストックを最後に1970年代に入るとロックはやがて本来の意義を忘れ、ロックはカネのなる実として商業主義に溺れるようになる。後年そんな商業至上主義に走ったバンドは、産業ロックと呼ばれ揶揄されるようになる。ウエストコーストが生んだ雄イーグルスもそんなバンドの一つだった。

リンダロンシュタットのバックバンドを母体とするイーグルスは、他のウエストコーストのバンド群の中でも、セールスの面ではちょっと異常じみた売り上げを誇るバンドだ。メンバーのほぼ全員がボーカルを取り美しいコーラスワークを聴かせることができること、ドンフェルダーとジョーウォルシュといった凄腕ギタリストの存在がいることなど強みこそあれど、やはり一番の強みは純粋にいい曲を書いているということだろう。

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デビュー当初から「Take It Easy」、「Desperado」と継続的にいい曲をリリーしてきた彼らの人気が確固たるものになったのが、AORやファンクなどの他ジャンルを取り込んだ75年発表の「One of These Night」なわけだが、この時点でイーグルスはかなり産業ロックなバンドになっており、多分本人たちもその自覚があったのかもしれない。

そして3000万枚近く売れたベスト盤のリリースと、次回作への期待値が高まったタイミングでリリースした新作は非常に醒めた視点から作られたものだった。12弦ギターによるあの哀愁あるイントロで始まる表題曲が描いたのは、かつてフラワームーブメントの中心地とした栄えたカリフォルニアの衰退と、当初の精神性を忘れカネに走ったロックに対する皮肉だった。

ピストルズが「勝手にしやがれ」をリリースしパンクムーブメントを盛り上げる1年前に、イーグルスは本物のロックが失われたことを嘆いている。商業面で見るとトップに立った彼らは産業ロックの担い手に成り下がり、そしてそこから逃げられないことを悟ったのかもしれない。表題曲の最後の歌詞はこう記されている。「チェックアウトはいつでもご自由ですが、ここを立ち去ることは永久にできない」そう言い残し、あの伝説のギターソロが始まるのだ。

<ネクストステップ>
イーグルスはとりあえず前作の「One of These Night」を聴いてみよう。あとは有名どころの曲だけをセレクトしたベストを聴くだけでもあり。ウエストコーストの同僚ドゥービーブラザーズの「The Captain and Me」、ジャクソンブラウンの「Late for the Sky」もおすすめ。

3.Stevie Wonder 「Songs in The Key of Life」

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あふれ出る創作意欲

11歳という若さにしてソウルの名門モータウンレコードの門を叩いたスティービーワンダーは、60年代初頭にシングル、アルバムの両方で1位を獲得し、盲目というハンディキャップを背負ったバッググラウンドも相まってソウルミュージックの未来を担う天才少年として期待されていた。

その後変声期などもありセールス的には伸び悩むものの、当時最新鋭の楽曲として注目されていたムーグシンセサイザーを手に入れたことにより、後のキャリアへと通ずるスタイルを確立する。それが形となって初めて現れた72年のアルバム「Talking Book」では、ジェフベックやデヴィッドサンボーンという豪華な面々に支えられ、シンセサイザーを多用した革新的なサウンドによって、マーヴィンゲイと共にニューソウルの旗手として台頭することになる。

だがそこは天才スティービーワンダー、「Talking Book」だけでは飽き足らずここから立て続けに傑作をリリースするのだ。「Innervisions」ではほとんどの楽曲を自分で演奏し(そのうち3曲は完全にスティービー一人での多重録音)、「Fulfillingness' First Finale」では交通事故の後遺症で味覚と嗅覚を失うというアクシデントに見舞われながらも多くの名バラードを誕生させた。

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「Talking Book」からの3部作が素晴らしい内容だったこと、また前述の交通事故の影響で活動休止期間に入ったことから、スティービーのピークはここまでという印象があったかもしれない。DE・SU・GA☆そこはやはりスーパーウルトラ大天才でお馴染みスティービーワンダー君、2年ぶりとなる新作となった今作でまさかの2枚組という大盤振る舞いを繰り出すのだ。

ハービーハンコックやジョージベンソン、マイケルセンベロといった豪華なゲストもさることながら、収録されている21曲はどれも穴が無い名曲のオンパレード状態。前作までで見られたソウル、ファンク的な作風というよりかはフージョンっぽい感じがするが、もはや普遍的なレベルで究極のポップが展開されており、その仕上がりはある意味ジャンル「スティービーワンダー」といったとこまで昇華されている。

「Sir Duke」、「Isn't She Loveky」という多幸感の塊のような2曲も、いまじゃスティービーワンダーという名を知らなくてもどこかで聴いたことはあるレベルのスタンダードとして認知されているだろう。彼はこのアルバムをもってしてソウルという壁を乗り越え、この6年後にポールマッカートニーという稀代のメロディメイカーと肩を並べ楽曲を制作をするまでに成長する。

<ネクストステップ>
「Talking Book」、「Innervisions」、「Fulfillingness' First Finale」の3部作をとりあえずは抑えておこう。80年代に入ってからの「Hotter Than July」、「In Square Circle」といった作品もおすすめ。またハーモニカの名手としても知られており、チャカカーン、ユーリズミックス、プリファブスプラウトといったアーティストの作品で多くの名演を残してたりする。

4.Fleetwood Mac 「Rumours」

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夢から醒めた瞬間

2020年10月に興味深いニュースが入った。全米アルバムチャートにフリートウッドマックの「噂」が42年ぶりにトップ10入りを果たしたのだ。人気SNSアプリのTik Tokにて彼らの楽曲を使った投稿がバズったことがきっかけだ。名盤と言えば「噂」と言われるほどの定番アルバムだが、なぜ時代を超えて多くのリスナーからの支持を得るのだろうか。

フリートウッドマックの歴史は長く、1967年に当時エリッククラプトンに次ぐブリティッシュブルースのスター候補だったピーターグリーンを中心に結成。しかしピーターグリーンがドラッグ中毒により70年に脱退すると、ミックフリートウッドとジョンマクヴィーの二人によって堅実なバンド経営をすることになる。

途中マクヴィーの妻でチキンシャックのピアノボーカルだったクリスティンマクビーがバンドに交流した後、70年代中盤アメリカに拠点を移したバンドに当時男女デュオとして活動していたリンジーバッキンガムとスティーヴィーニックスの二人がフロントマンとして加入し、バンドの黄金期のラインナップが揃う。この5人になってからの初めてのアルバム「Fleetwood Mac」は全米1位を獲得し、バンドは商業的な成功を収める。

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だが成功を収めたバンドはここからロックの歴史上最恐の修羅場を迎えることになる。元々カップルだったリンジーとスティーヴィーの二人が破局、ジョンとクリスティンが離婚、バンド外ではあるもののリーダーのミックも離婚という、まさかの全員が別れを経た状態で本作のレコーディングに入ることとなったのだ。

ボロボロの彼らが辛い現実から逃れるためには音楽に打ち込む以外の選択肢しかなかった。顔も合わせたくないような間柄ではあるものの、音楽となればやはりそこは一流ミュージシャンなだけあって、追い詰められたがゆえに曲のクオリティは抜群だ。シンプルな楽曲とは裏腹に、歌詞は微妙に揺れ動くお互いの関係性を描いたものが多く、そこらへんが妙な生々しさを生み出している。

結果としてこのアルバムは全米アルバムチャート1位を31週独占、累計売上は4000万枚という驚異的なセールスを記録した。このアルバムが多くの人に受け入れられた最大の要因は、つまるところどこまでもシンプルイズベストなところなのではないだろうか。派手に着飾らない楽曲が抜群に聴きやすいことに加え、複雑な人間模様という誰しもが抱く悩みをどこまでも生々しく歌ったことが支持を得たのかもしれない。そう考えると「噂」というタイトルは非常に秀逸だ。

<ネクストステップ>
フリートウッドマックは前作「Fleetwood Mac」から「Mirage」までのアルバムがおすすめ。ピーターグリーン在籍期ならコンピ盤の「English Rose」を聴いてみよう。

5.Steely Dan 「Aja」

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孤高の完璧主義

70年代初頭ジャズ界の巨匠マイルスデイヴィスがジャズとロックの融合を試みた傑作「Bitches Brew」を発表すると、それがやがてジェフベック、リターントゥフォーエバーらによってフージョンと呼ばれる音楽へと発展する。

1976年スティーブミラーバンドのボーカリストなどの活躍で知られていたボズスキャッグスがフージョンの爽やかな演奏と、当時流行していたシティソウルの感覚を取り入れたアルバム「Silk Degrees」が大ヒット。爽やかなサウンドとどこか大人な雰囲気の漂うこの音楽はアダルトコンテンポラリー、またの名をAORという音楽ジャンルとして形成されることになる。ちなみにこのアルバムのバックで演奏していたメンバーで結成したのが、80年代AORを代表するバンドのTOTOなのは有名な話。

一方1972年に6人組ロックバンドとしてデビューしたスティーリーダンはデビュー当初から多くのヒットを放つものの、中心メンバーのウォルターベッカーとドナルドフェイゲンの2人とそれ以外の4人のメンバーとの間で亀裂が生まれ、デビュー2年にしてメンバーがベッカーとフェイゲンの2人だけになってしまう。ちなみに抜けたメンバーには後々ドゥービーブラザーズに加入するジェフバクスターがおり、マイケルマクドナルドとジェフポーカロがサポートメンバーとして参加していた。

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だがこの脱退劇が結果として二人の実験主義に拍車をかけることとなる。抜けたメンバーの穴を、超一流ミュージシャンをゲストに呼んで穴埋めすることによって、より完璧な楽曲が完成できると彼らは目論むようになる。そんな彼らの徹底的なプロフェッショナリズムが最高潮に達したのが本作「aja」である。

このアルバムではただ超一流を呼ぶだけでは飽き足らず、超一流たちによる競争意識までを芽生えさせてしまったのだ。収録曲の「Peg」のギターソロの録音では、10人以上のギタリストのソロの中から気に入った奴だけ選ぶというエピソードは本作を語るうえで有名なものの一つだ。ちなみに不採用になったギタリストの中にはラリーカールトンやリーリトナーといったフージョン界の名手もおり、特にカールトンはよほど悔しかったのか「room 335」という「peg」のリズムとほぼ同じ楽曲を発表している。

このような偏執的な完璧主義は、このアルバムで究極の美しさとして発揮されることとなった。一切の隙すら見せないくらい練られたサウンドは、アダルトコンテンポラリーの金字塔として今なお燦然と輝いている。これ以降フェイゲンの完璧主義は度を超えたものになり、とうとう相方のベッカーもついていけず薬物中毒に陥り、次作「Gaucho」でバンドは解散することになる。そういうことも考えるとこの「aja」というアルバムはいろんな意味で奇跡なのかもしれない。

<ネクストステップ>
創作意欲のピークともいえる時期に作られた「The Royal Scam」、「Gaucho」を聴くのがおすすめ。また同時代のアダルトコンテンポラリーとしてボズスキャッグス「Silk Degrees」、ビリージョエル「Stranger」、ドゥービーブラザーズ「Minute By Minute」も要必聴。

6.Van Halen 「Van Halen」

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アメリカンロックの未来

1970年代初頭レッドツェッペリン、ディープパープル、ブラックサバスらのイギリスのバンドたちによって隆盛を極めたハードロックは、ブーム発足当初こそグランドファンクレイルロードぐらいしかアメリカでは活躍しているバンドはいなかったが、70年代中盤に入るとエアロスミスとキッスという2代巨頭の台頭によってワールドクラスで戦えるバンドたちが出てくる。

そんな矢先にパンクロックが登場した。技術や商業性よりもアイデアとアティチュードを最優先した音楽性は、形骸化しつつあったそれまでのロックを否定し、彼らにオールドウェーブというレッテルを張り付けた。新たな潮流から仮想敵とみなされたのは言うまでもなく、商業性にひた走ったハードロックであった。

そんなパンク、ニューウェイブに揺れ動くシーンに待ったをかけたのが、最後のギターヒーローことエディヴァンヘイレン率いる新進気鋭のハードロックバンド、ヴァンヘイレンであった。

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オランダにルーツを持つエディとアレックスのヴァンヘイレン兄弟とマイケルアンソニー、そしてデヴィッドリーロスの4人で結成されたこのバンドは、ロサンゼルスやハリウッドなどアメリカのあちこちで熱いライブを繰り広げ1978年にデビューを飾った。デビュー曲の「You Really Got Me」はキンクスが64年に発表した名曲のカバーだが、イントロのギターリフの時点の明らかにそれまでのハードロックとは異質の音楽を彼らは鳴らしていた。

アメリカのハードロックバンドでありながら、前述のとおりヨーロッパにルーツがあることが、もしかしたらヴァンヘイレンが他のアメリカンハードロックとは異質な点なのかもしれない。インストゥルメンタル曲を配置した組曲的な楽曲構成など、ヨーロッパ的な要素が随所にちりばめられている。それでいながらデヴィッドリーロスのボーカルは、どこまでも能天気なマッチョイムズがあり、逆にアメリカ的な感じがしてこれまた強烈なギャップを生み出した。

だがなんといってもエディヴァンヘイレンだろう。デヴィッドリーロスという強烈な個性を持ったフロントマンを擁しておきながら、それをも余裕で食うことができる聴覚と視覚の両面で突出したスーパーギタリストだ。ライトハンド奏法を始め、その後のロックシーンにもたらした影響は絶大で、彼が後のヘヴィメタルの音を提示したといっても過言ではないだろう。

<ネクストステップ>
名曲「Jump」が収録されたモンスターアルバム「1984」、ボーカルがサミーヘイガーに変わってからの「5150」なんかも聴いてみよう。また彼らの登場以前に活躍していたエアロスミス「Rocks」、キッス「Destroyer」なども聴いてみよう。

7.The Clash 「London Calling」

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パンクロックよ、永遠に

セックスピストルズと共にロンドンパンクの最前線に君臨し、今なお世界中のキッズたちから愛されるバンドであるクラッシュ。ピストルズがごく短命で解散したのに対して、クラッシュは10年近く活動し、徐々にレゲエやダブなど他ジャンルの音楽を取り入れ音楽的な幅を広げつつ、最後までパンクバンドとしての役目を背負ったバンドでもある。

今作「ロンドンコーリング」はバンドがパンクバンドとしてネクストレベルに達した瞬間を如実に切り取ったドキュメンタリーであり、バンドに高い評価と商業的成功をもたらしたロック史に残る傑作であるのだ。

ミックジョーンズとポールシムノンがロンドンパンク随一の怒れる男ジョーストラマーをバンドに引き入れたことでスタートしたクラッシュは、アルバム「The Clash」で鮮烈なデビューを飾る。代表曲「White Riot」に見られるようなストレートなロックンロール、ストラマーとジョーンズによる攻撃的な歌詞を武器にのし上がってきたが、この時点でレゲエやスカのリズムを導入する姿勢を見せている。レゲエの神でお馴染みボブマーリーが、このアルバムの収録曲である「Police and Thieves」に感銘を受け、「Punky Raggae Party」という楽曲を書きあげている。

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それと呼応するかのようにUKパンク・ニューウェイブシーンの間でレゲェのビートを取り入れたバンドが現れるようになり、そしてスペシャルズやマッドネスといったジャマイカンスカのリズムを取り入れた2トーンと呼ばれるバンド群が台頭する。やがてパンクから発展を遂げつつあったポストパンクが提唱されていた1979年、満を持してクラッシュが3枚目のアルバム「London Calling」をリリースする。

パンクロック史に残るアンセムである表題曲ではスリーマイル島原発事故と、パンクロックブームが終焉に近づきつつある中でのバンドの絶望感を歌う印象的な1曲だ。そして50年代のロックンロールからの影響が見られる「Brand New Cadillac」、スペイン戦争を歌った「Spanish Bombs」、切ないメロディが印象的な「Lost in the Supermarket」などハイクオリティな名曲たちがずらりと並ぶ。

ジャンルも幅広ければ、戦争や極右政治家の増長からメディア広告と避妊薬と歌詞も幅広いテーマを扱っている。ちなみにこのアルバム、当時は2枚組で発売されたのだが、値段はLP1枚の値段となっている。利益よりもより多くのリスナーに自分たちの楽曲を届けたいという願いから来たものである。こういった反体制・親リスナー的姿勢こそ彼らが真のパンクロックたる所以でもあるのかもしれない。

<ネクストステップ>
初期衝動の塊ともいえるデビュー作「The Clash」、わずか1年のスパンで3枚組36曲の大作となった「Sandinista!」、オリジナルメンバーで最後のアルバムとなった「Combat Rock」などがおすすめ。他にも2トーン勢のスペシャルズ、マッドネスなんかも聴いてみよう。

8.David Bowie 「Heroes」

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英雄たちの逃避行

70年代初頭、度重なる変化を重ねついに宇宙人と化したデヴィッドボウイは、1973年のライブを持ってジギースターダストとしての活動を終える。しかしその後も変わりまくりで、半人半獣の姿で未来を予言するというSFコンセプトの「Diamond Dogs」、やっと普通の人間となりフィリーソウルへの接近とあこがれのジョンレノンとの共演を果たした「Young Americans」、今度はシンホワイトデュークという新キャラでよりソウルミュージックへと接近した「Station to Station」といった風にせわしない活動を行っていた。

しかしこのシンホワイトデュークという新キャラ、ドイツでのライブではナチズムを意識したステージ構成だったり、ヒトラー擁護発言を行なったり、ファンの前でジークハイルをやったりとかなり過激な活動を行ったため大バッシングを受けることになる。とはいえこれらのドイツを意識した言動からわかる通り、ボウイの興味はドイツに向いており、薬物からの更生と有意義な制作環境を求めベルリンに移住することになる。

盟友イギーポップとの共同生活を送りながら、彼のアルバムをプロデュースすると同時に自身もアルバムを制作することになる。そこに合流したのが当時ロキシーミュージックを脱退して、ソロ活動に勤しんでいたブライアンイーノだ。イーノを迎え制作された「Low」はジャーマンロックを大胆にも取り入れた先鋭的な内容でありながら、商業的にも大きな成功を収めることとなった。

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「Low」の勢いをそのままに制作されることとなったのが今作「Heroes」なのだが、この勢いがほんとにすさまじい。まずほとんどの収録曲がファーストテイクで成り立っており、全体の制作作業も一週間で終了しているのだ。当時キングクリムゾンを解散させ、半引退状態だったロバートフリップもタイトル曲のギターで参加しているのだが、ニューヨークからそのままスタジオに入りぶっつけ本番でギターを弾いてその日のうちに帰ったそうだ。

だがこのスピード感が作品に良い緊張感を生み、「Low」以上に統一感とロック色が生み出している。前作同様ジャーマンロックへの情景も現れており、表題曲のタイトルもノイ!の楽曲からインスパイアされたもので、「V-2 Schneider」はクラフトワークの中心事物フローリアンシュナイダーの名前からとったものだ。そしてなんと言っても名曲「Heroes」だ。ベルリンの壁の監視塔の下で恋に落ちる男女を歌った歌詞を、ロバートフリップによる前衛的なギターリフで奏でるロマンチックな楽曲は永遠に語り継がれるロッククラシックの一つだ。

このアルバムを作るためにベルリンに集結した英雄たちはその後も怒涛の時代を生き抜くことになる。ロバートフリップはピーターガブリエル、ホール&オーツ、ブロンディといったアーティストのもとで数々の名演を残し、キングクリムゾンを復活させた。イーノはアンビエント音楽を提唱し、トーキングヘッズ、U2、コールドプレイのプロデューサーとして活躍する。そしてボウイはこの後も模索を続け、名盤「Let's Dance」で究極のポップスターへと進化する。10年後ベルリンの壁で行ったライブでこの曲を歌い、東西を一つにした彼は死後ドイツ政府から壁の崩壊に貢献した英雄として称えられることとなった。

<ネクストステップ>
ボウイは今作含めこの頃発表されたベルリン三部作と83年発表の「Let's Dance」を聴くのがおすすめ。またブライアンイーノが発表しあの松本潤があんた一体どういう頭したらそんなの作れんだ!と発言したことでお馴染み「Ambient 1/Music For Airports」、彼らが影響を受けたクラフトワークの「The Man-Machine」なども聴いてみよう。

9.Television 「Marquee Moon」

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先鋭な美意識

パンクロックの爆心地は言うまでもなくニューヨークのアンダーグラウンドシーンから生まれたジャンルであり、MC5、ヴェルヴェッツ、イギーポップ、ニューヨークドールズからの影響を受けていた。

これぞパンクロックのお手本ともいえる3コードのダウンストロークによるストレートな楽曲が売りのラモーンズ、文学性の強い歌詞と過激な歌唱でパンクの女王となったパティスミス、高いインテリジェンスを武器にその後アフロリズムの導入などで飛躍的な進化を遂げたトーキングヘッズなど、数多くの才能あるバンドたちがニューヨークから誕生した。

その中でも異彩を放っていたのが、鬼才トムヴァーライン率いるテレヴィジョンというバンドである。ニューヨークのローワーイーストサイドから生まれたこのバンドは他のパンク系アーティストと比べても、ウォーホルやバスキアなど多くの芸術家が集まる由緒あるアートの歴史を持つ街の風土を引き継いだかのような、正真正銘の芸術志向の強いバンドであった。

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1974年初頭に本格的に活動が始動したテレヴィジョンは、ジョンコルトレーンなどのフリージャズなどから即興演奏の魅力を見出し、ニューヨークドールズ、パティスミス、ブロンディといったバンドたちと共に、CBGBやマクシズ・カンサス・シティなどのライブハウスでしのぎを削りあっていた。だがいかんせん芸術家気質のバンドの性なのか、同期のバンドたちがデビューしたシーンを盛り上げるのを横目に、彼らは相も変わらずライブ活動中心の生活に明け暮れる。

デビューアルバム「Marquee Moon」はニューヨークでのパンク熱が少し収まり、海の向こうのロンドンで熱い盛り上がりを見せている頃にリリースされた。トムヴァーラインの神経質なボーカルと消え味の鋭い鋭角なギターが織りなす、都会的でクールなサウンドが作品全体に緊張感をもたらす。そしてトムヴァーラインが紡ぐ言葉は、どこにも属せない人間の孤独を如実に描き、まるでニューヨークで取り残されたバンドそのものの憂いにも聴こえる。

時代にIfというものはつきもので、もしこのアルバムがリチャードヘル在籍でブライアンイーノのプロデュースの75年にリリースされてたら、もっと高い評価を獲得できたのでは?とはよく言われている。だが長い年月が経った今もこうやって不動の評価を得られているのは、このアルバムの持つ力の凄みなのかもしれない。

<ネクストステップ>
とにかくニューヨークパンクを中心に聴いていこう。パティスミス「Horses」、ラモーンズ「Ramones」、ジョニーサンダース&ザ・ハートブレイカーズ「L.A.M.F.」、スーサイド「Suicide」などがおすすめ。

10.Joy Division 「Unknown Pleasures」

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虚空に響く孤独

1976年後にマンチェスターの音楽シーンの草分け的存在となるバンド、バズコックスのメンバーだったピートシェリーとハワードデヴォートの呼びかけによって、セックスピストルズのマンチェスターでのライブが実現する。観客は42人しかいなかったものの、その中には後のファクトリーレコードの創設者であるトニーウィルソンを始め、スミスのモリッシーやシンプリーレッドのミックハックネル、そしてバーナードアルブレヒトとピーターフックがいた。

このライブに大きな感銘を受けたアルブレヒトとフックの二人はバンド結成を決意。アルブレヒトがギター、フックがベース、スティーブンモリスがドラム、そしてボーカルにイアンカーティスというラインナップとなり、ワルシャワという名前を経てバンドはジョイディヴィジョンと名乗ることとなった。

米津玄師の歌の歌詞にも登場するイアンカーティスは文学と音楽を愛する純朴な青年であり、19歳で高校時代のガールフレンドと結婚し、公務員として障害者のための職業安定所で働いていた。この時の経験が後の彼が描く作品に大きな影響を与えており、社会への怒りを表現する当時のパンクロックシーンと違い、自己の内面世界を描いた文学的な詩は画期的なものだった。

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そして腹の底から響くバリトンボイスと狂った風車とも評される激情的なパフォーマンスが話題となり、デビューアルバムリリース前にしてカーティスはNMEの表紙を飾る。こうして期待の若手バンドとして注目されることになった彼らがリリースしたのが、ピーターサヴィルによるパルサーの波形を描いたジャケットが印象的な「Unknown Pleasures」である。

技術が乏しく粗削りの印象がぬぐえなかった演奏が、プロデューサーのマーティンハネットの手により、一つ一つの楽器の音が分離され、全体的に緊張感が張り詰めた冷たい質感のサウンドが誕生した。そんな虚無の具現化ともいえるサウンドに、イアンカーティスがドスの利いたバリトンボイスで絶望の極致のような歌を歌う。

「Unknown Pleasures」は高い賞賛を持って迎えられ、ポストパンクを代表するバンドとしてさらなる飛躍を期待された。しかし成功のプレッシャーと過密なスケジュール、持病のてんかんと鬱病の悪化に加え女性関係においても問題を抱えてしまったイアンカーティスは、全米ツアーを目前としたある日自らの手でその命に終止符を打つことになる。

<ネクストステップ>
イアンカーティスの遺作となった「Closer」、インディーロックの最高傑作と名高い代表曲「Love Will Tear Us Apart」は要必聴。カーティスの死後残されたメンバーで結成されたニューオーダーはその後UKインディーロックとテクノシーンに大きな影響を与えた。「Power Corruption and Lies」「Low-LIfe」、「Technique」などがおすすめ。

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