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親が離婚した話

つい1週間前、上の弟が「大事な話があるから姉の家に集合」と珍しく兄弟四人全員に集合をかけた。
何があったか聞いても「よく考えろ」「予想しておけ」など教えてくれず、私は借金かな…子供ができたとか?実家と絶縁したいとか?家を出たいから力をかせ?と予想しながら姉の家に向かった。

おじいちゃんの葬式ぶりに揃った兄弟4人。上の弟は正座をして
「お父さんとお母さん、離婚です」と。
そっちか、ああそうと姉と私は言った。いつかこうなるということはなんとなく予想できていた。

父は家事は風呂を洗っただけでふんぞりかえるような典型的な昭和の男。今は暴力をすることは無くなったが、昔はよくお酒を飲んだ父に殴られ外に出され、父が寝た後母に家に入れてもらうこともよくあった。
威圧的な態度で母にものをいい、母も私たち兄弟も父の機嫌を取るような生活。
中学ぐらいまではお父さんは嫌いでしかなかった。だけど大きくなるにつれて、可哀想な人だ、と思うようになった。人を威圧的な態度で従わせることしか知らない、できない哀れな人だと。
父も歳をとったのかどんどん丸くなってきて、私たちに怒ることはほとんどなくなった。一人で丸くなって穏やかになりやがって。いいことなんだろうけどそれもまた気に触る。

母は専業主婦で子供を4人、ほとんど一人で育てた。
その上自身の親戚の介護×3、母からは義両親にあたる私の祖父母の介護もした。父も父の妹も全部母に任せきっりでほとんど何にもしなかった。
私たち子供が少しずつ自立していって、仕事がしたいと言って数年前からは介護の仕事もはじめた。ずっと離婚したいとは言っていたから自立に向けての準備も少しずつしていたんだと思う。外の世界と関わった母は少し明るくなった気がする。
それからというもの、いいたいのはわかるが仕事の愚痴を言い続けた。(今も)
今まで色々苦労してきた母の愚痴だから、と私は父への愚痴も仕事への愚痴も聞き続けた。聞きすぎて実家にいたくなくなり、専門卒業後すぐに家を出た。
私の役目は弟たちに引き継がれ、きっと疲れるだろうと思ったけどそうでもしないと自分を守れなかった。

いつものように喧嘩をしていて、どっちからともなく別居、離婚の話が出たらしい。どっち側の話を聞いても父が言い出した、母が言い出したと食い違っている。だけど双方了承した事実らしい。ならこれ以上突っ込むと面倒だから「離婚ね、はいはい」で終わらせている。再構築などもうしなくていい。大人になった上3人はいいが、下の弟はどうしたって親に左右される。これ以上巻き込まないでやってほしい。

いつかは離婚するだろう。下の弟が高校卒業のタイミングか、大学卒業するタイミングかだ、と思っていたが今は下の弟は大学受験の年だ。タイミングが悪い。悪すぎる。何も考えなかったのだろうか。
下の弟は急に「就職する」などと言い出し、今ではそっちの方が大問題だ。息子の人生の大きな岐路に影響を与えるようなことをして「本人の好きにすればいい」なんて、本当に無責任な親だと呆れた。そういうところも大っ嫌いだ。

面倒は誰が見る、遺産相続は、なんて軽い冗談を話ながら食事をして姉の家から帰る途中、今後どうなるかって一人電車に乗りながら考えた。
あの実家に家族全員が集まることはもうきっとない。と思ったとき猛烈に寂しくなってしまった。あの家にいたくなくてこうして家を出ているというのに、なんでこんなことを思ってしまう?
昔、某友人に「すぐにでも家族を捨てることができる」だなんて話をしたけど、今は絶対無理だ。なんでだろう若かったのかな。あの時はあんなこと言ってごめんね。

あの家が結局私の家だった。どれだけ居たくなくなっても、この世に一つしかない実家で故郷だった。
時代が進むにつれて変わらないものはない。私たち家族もそういう時期に来ているんだって、そう思うことにした。

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