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ウタバしかいないのに(第3回)《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

赤いラクダの男

さて、話をウタバ・ブン・ラビーアに戻そう。時はバドルの戦の朝。アッラーの御使いは、クライシュ族の軍勢がアカンカルの丘から谷に降りてくるのを見て言ったという[1]。

「神よ、おごり高ぶったクライシュ族が近づいてきます。あなたに敵対し、あなたの使徒を嘘つき呼ばわりする者たちです。神よ、約束の援助を授け給え。神よ、今朝こそ彼らを滅ぼし給え」。

ムハンマドはまた、赤いラクダに乗ったウタバ・ブン・ラビーアを見てこうも言ったという。

『敵勢に善人がいるとすれば、赤いラクダの男だ。あの男に従えば、クライシュ族は正道を歩めるのだが』

 ウタバの提案

その朝、クライシュ族側の陣営では、偵察の結果を踏まえ、撤退の相談が始まっていた。「一人殺せば、一人殺される。敵と同数の味方を失った後の人生が想像できるのか。ここは考えどころだ」というのが偵察から戻った宇マイルの意見。それを受けてハキーム・ブン・ヒザーム(彼は生き残り改宗し立派な信徒になったという)がウタバ・ブン・ラビーアの許へ赴き、「あなたはクライシュ族の大物、長、指導者だ。その名を不朽のものにしたくはないか?」として「味方を引き返せ」と提案する。ウタバは、同意して人々に説く。

「クライシュ族の諸君、神かけて、ムハンマドとその仲間と戦っても、何もならない。神かけて、ムハンマドを倒すのはよいとしても[戦えばメッカに戻ってから、]手にかけてしまった者の従兄弟や親族とずっと顔を合わせて暮らせねばならない。引き返そう。ムハンマドのことは、ほかのアラブ(種族)に任せよう。奴が倒されれば万々歳だし、そこまでいかなくとも、我らにかまう余裕はなくなり、戦いは避けられる。」[2]

尻が黄色いのは?

ところが、ウタバが懸念していた通り、アブー・ジャフルはこの提案を突っぱねた。ウトバの言葉を伝えたハキームに「神かけて、ムハンマドとその仲間を見て、肺がいっぱいになったな〈おじけづいたな〉。神かけて、絶対に引き返さない。ムハンマドと我らのどちらが勝つかは、神が決める。ウタバの本心は別のところにある。ムハンマドとその仲間が、ラクダ一頭の肉で賄えるほど少ないのを見て、中にいる息子の命が心配になったのだ」(息子のアブー・フザイファはバドルの戦に参加していた)。

アブー・ジャフルはアーミルブン・アルハドラミー(殺されたアムルの兄弟)に使いを送った。

「君のハリーフ(盟友)(ウタバのこと)は、味方を率いて引き返そうとしている。君が、仇を目の前にしているというのに。兄弟の死と復讐の誓いを人々に思い出させよ。」

アーミル・ブン・アルハドラミーは肌脱ぎになって叫んだ。「おお、アムル、かわいそうな、アムル」人々の戦意は高揚し、過ちに突き進み、ウトバの勧告も無駄に終わった。怖気づいたなと言われたのを聞いてウタバは、

「尻の黄色い奴(臆病者)め、肺がいっぱいになったのはどちらなのかは、いずれ分かる」

と言ったという[3]。

ウタバの息子の悲嘆

引き返す選択肢のなくなったウタバは戦場にて「ムハンマドよ、一族から、我らと同等の者を出せ」と声を張り上げた。ムハンマドはウバイダ、ハムザ、アリーの3名に命じた。最年長のウバイダが、ウタバの相手だ。3組の一騎打ち。ハムザはシャイバを、アリーはワリードをすぐに討ち取った。ウバイダとウタバは、互いに一撃を与え、深手を負ったところ、ハムザとアリーに襲い掛かられ討ち取られた。
ウタバ戦死のニュースは、マッカに伝えられた。またウトバの死体がムハンマドの命令で投げ込まれる井戸のところへ引きずられてくると、息子のアブー・フザイファがあまりに悲しそうな顔をしているので、ムハンマドが「アブー・フザイファよ、父のことがそんなにつらいか」(あるいはそれに類すること)と言ったという。それに対して、彼は、

「いや、アッラーの御使いよ、神かけて、父の戦死は仕方ない。ただ、父は見識を備え、思慮深かったので、いつか改宗してくれるのでは考えていた。願いむなしく不信仰のまま最期を迎えたのが、悲しくてならないのだ」。

アッラーの御使いはアブー・フザイファのために祈り、祝福の言葉をかけた」という[4]。

 

バドル戦勝

バドルの戦については、いくつもの詩が歌われたという。その筆頭に掲げられているのが、ハムザの詩である。その中に、ウトバにかんして歌った節がある[5]。

…われらは邪悪なウトバの死体を打ち捨て、シャイバを他の戦死者とともに井戸に投げ込む。…

 ムハンマドに、ウタバであれば民たちを正しく導けたのにとさえ言わしめたにもかかわらず、ただの「邪悪な」ウタバの一言で、井戸に投げ込まれているのだ。
戦争自体を回避できなかったことがどれほど無念だったろうと思う。最後の局面においてもウタバは決してムハンマドを討ち取ろうとはしていない。それがそもそもムハンマドの伝えたメッセージ、そしてイスラームそのものへの恐れと敬意を表してはいないか。しかし、そのようなことを回りはお構いもしない。そして、怒りの感情に訴え、なおそれでも、敵味方として殺し合いへと突き進んでいったのである。イスラーム史の伝える戦いは正義であろうが、戦うことの愚かさを思わずにはいられない。アッラーフ・アアラム。

脚注

[1]『預言者ムハンマド伝』(第2巻) 199頁以下。
[2]『預言者ムハンマド伝』(第2巻) 200-201頁。
[3]『預言者ムハンマド伝』(第2巻) 201-201頁。
[4]『預言者ムハンマド伝』(第2巻) 203頁以下。
[5]『預言者ムハンマド伝』(第2巻)327頁。

参考文献

『預言者ムハンマド伝』(全4巻)イブン・イスハーク著、イブン・ヒシャーム編注(後藤明・医王秀行・高田康一・高野大輔訳)岩波書店、2010年。

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Battle_of_Badr2.jpg#/media/%D9%85%D9%84%D9%81:Battle_of_Badr2.jpg

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