KAMAL ATSUSHI OKUDA

Kamal Atsushi OKUDA: 研究者(法学博士) シリア在外研究、大学教授…

KAMAL ATSUSHI OKUDA

Kamal Atsushi OKUDA: 研究者(法学博士) シリア在外研究、大学教授などをへてフリーの研究者。『クルアーン』の現代的解釈、イスラームの神学/法学の刷新/アラビア語読解を軸に神と人間に係わる諸事象の包括的把握目指す。一即是多 多即是一。世界は謎に満ちている。

最近の記事

ウタバしかいないのに(第4回):《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

《人間》と訳される《アルインサーン》の「アル」は冠詞《聖典クルアーン》「ファジュル(暁)章」14節から16節の検討は、後段に入る。15節に降ろされている《さて人間は主が御試みのため、寛大にされ恵みを授けられると、彼は「主は私に寛大であられます」と言う》の中にある《人間》という語の解釈である。前段すなわち「ウタバしかいないのに」の第1回から第3回までは、この《人間》に具体的名宛人がいるという、アッラーズィーの注釈の中に登場するクライシュ族の面々について、ウタバ・ブン・ラビーア(

    • ウタバしかいないのに(第3回)《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

      赤いラクダの男さて、話をウタバ・ブン・ラビーアに戻そう。時はバドルの戦の朝。アッラーの御使いは、クライシュ族の軍勢がアカンカルの丘から谷に降りてくるのを見て言ったという[1]。 「神よ、おごり高ぶったクライシュ族が近づいてきます。あなたに敵対し、あなたの使徒を嘘つき呼ばわりする者たちです。神よ、約束の援助を授け給え。神よ、今朝こそ彼らを滅ぼし給え」。 ムハンマドはまた、赤いラクダに乗ったウタバ・ブン・ラビーアを見てこうも言ったという。 『敵勢に善人がいるとすれば、赤いラ

      • ウタバしかいないのに(第2回):《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

        「あとはあなたの問題だ」そこで、ここでもイブン・イスハーク『預言者ムハンマド伝』[1]に従って、ムハンマドとウタバの間の初期のやり取りから振り返っておこう。 クライシュの長であったウタバ。人々と談笑中。ムハンマドが一人で礼拝所に座っていた。すると、ウタバは、ムハンマドのところへ行っていくつか提案をしてみるという。折しも、ハムザの改宗で、ムハンマドに強力な護衛が付くことになり、クライシュ族たちは迫害を多少控える必要があると感じていたのだ。ウタバの提案はこうだ。 「甥よ、お前

        • ウタバ・ブン・ラビーア( 西暦624年3月13日歿)しかいないのに:《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

          クルアーンにおける人間人や人々の多様性の大切さがことあるごとに唱えられるようになっている。SDGsの17のゴールの第4番目「質の高い教育をみんなに」の7番目のターゲットにこうある。 「文化の多様性の尊重」。この表現に違和感を覚える人は少ないかもしれない。イスラーム教徒の側から言っても、家父長的な家族の在り方、女子教育の軽視、宗教的行事への参加の強制なども、イスラームの文化なのだから、それが他と違っていたとしても、多様性の尊重の名のもとに認められるべきだという主張がまかり通

        ウタバしかいないのに(第4回):《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

          「天女」でも「ブドウ」でも:イスラームの天国について

          せんせんと流れる川の上に何ものでもない状態から現世に生を享け、審判を挟んで、来世に復活する。「2度死に2度生きる」というイスラームの死生観。クルアーンが繰り返すのが、この世よりあの世の方が、圧倒的によいということ。たとえば、《本当に来世はあなたにとって現世よりよい》(「朝章」第4節)「アッラーがあなたが満足するよういくらでも与えて下さるのだから」「今は、周りの人々に惜しみなく与えなさい」となる。 その来世にあるとされる楽園だが、幾重ものせせらぎがその下を閃々と流れる永遠の園で

          「天女」でも「ブドウ」でも:イスラームの天国について

          呪いの言葉に効用はあるのか?④:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第4回/全4回)

          「尊厳」の基礎岩井は、資本主義経済を存続させる観点から、不純物の存在が不可欠と主張したわけだが、戦争は、自己利益追求の原則から大きく離れた市場にとっての不純物であり、その点でまさに資本主義の発展にとっては、おいしすぎる餌食である。戦争による血の流し合いが経済の成長を支えるということになり、信じるものと信じない者との間の線引きがそれを少なからず助長していたとなれば、それに加担する格好になる。 そうなると、たとえば「棕櫚章」の位置づけは何とも微妙である。この点において、欲望の資本

          呪いの言葉に効用はあるのか?④:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第4回/全4回)

          「呪い」の言葉に効用はあるのか?③:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第3回/全4回)

          お金にまつわる不安「棕櫚章」第1節には「人を呪わば穴二つ」的含意がついて回ることは、第2回の論考でみたとおりであるが、しかしなお、アッラーはあえてこれを読ませているのではないかと思われる節もある。第2節から見えてくる財のあり方がその入り口になる。 人はなぜお金を稼ごうとするのか、貨幣を貯めようとするのか。それは、未来に対する不安のせいだという。食べ物を買物でしか調達できないとするならば、とりあえず、明日の食事の分がないと不安。給料をどこかからもらっているとするならば、食費が

          「呪い」の言葉に効用はあるのか?③:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第3回/全4回)

          「呪い」の言葉に効用はあるのか?②:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第2回/全4回)

          「人を呪わば穴二つ」Wer anderen eine Grube gräbt, fällt selbst hinein.(独)(他人の墓を掘る者は、自分がそこに落ちる。)筆者自身の「人を呪わば穴二つ」との出会いはこれ。大学時代のドイツ語の授業。訳語の方の「人を呪わば穴二つ」が記憶に残っている。直訳すると「他人に墓を掘った者が、自らそこに落ちた」。ネイティブの解説は言う。「他の人を落とすための墓を掘っていたら、自分が落ちてしまったということですが、一般的な意味は「相手に悪いこと

          「呪い」の言葉に効用はあるのか?②:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって(第2回/全4回)

          「呪い」の言葉に効用はあるのか?①:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって

          反復練習アラビヤ語を教えてみて思うこと。アラビヤ語では、動詞の人称による活用の練習が欠かせない。たとえば、「カタバ كتب 」。人称による変化の練習なので、彼は書いた。彼女は書いた。あなた(男性)は書いた。あなた(女性)は書いた。私は書いた。彼ら二人(男性)は書いた。彼女たち二人は書いた。あなたがた二人は書いた。彼らは書いた。彼女たちは書いた。あなたがた(男性)は書いた。あなたがた(女性)は書いた。私たちは書いた。という具合に練習をしていく。日本語で言えば、未然・連用・終止・

          「呪い」の言葉に効用はあるのか?①:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって

          「スティーブ・ジョブズ」に聴く

          案外語られないジョブズの出自スティーブ・ジョブズ。言わずと知れたアップルの創業者。彼の生涯、生き方、業績、ことば、影響などを語る書物や、ネット上の情報は数知れず。まさに影響力の大きさを見る思いだ。  それほど多くの情報があるにもかかわらず、案外触れられていないし、知られていないのが、彼の出自である。 まず、生みの親と育ての親がいることを知っていたか?関心がないのかもしれないが、これがほとんど知られていない、次に、ジョブズの誕生は、出産後ただちに里子に出すことが、ジョブズの

          「スティーブ・ジョブズ」に聴く

          多様性、そう、愛すべき②:《クルアーン》「夜章」をめぐって(後段)

          「アルホスナー」とは「あなたがたのサアユは実にシャッター」であるという聖句に続くのが、次の聖句である 「アルホスナー」を文法的に解説すれば、形容詞「ハサン」の卓越詞(比較級・最上級)、アフサンの女性形に、定冠詞が付されているもの。アラジンによれば、「最良の結末、善果、あるいは有効な態度」とあるが、最良とされるものが女性形であった場合にもこの形をとることにはなる。 ここでもアッラーズィーの注釈を見ておこう。彼は、「アルホスナー」には4つの面(あるいは相)があるとしている。

          多様性、そう、愛すべき②:《クルアーン》「夜章」をめぐって(後段)

          トルコ・シリア地震から1年

          被災者推計180万人2023年2月6日(月)未明、未曽有の大地震がトルコ南部とシリア北西部一帯を襲った。シリア内戦もあれば、クルド人問題もある、人間の主義主張の深刻な亀裂が人々を引き裂いている一帯での出来事である。寒さが厳しかった昨年の冬。震源の深さがほんの10キロ。マグニチュード7.8,7.6に立て続けに見舞われた。あれから1年。被災地の一つ、シリアのアレッポの独立系非営利のメディア「Halab Today TV」が、震災1年の特集番組を6日に放送している。 番組によれば

          トルコ・シリア地震から1年

          多様性、そう、愛すべき①:《クルアーン》「夜章」をめぐって(前段)

          {إن سعيكم لشتى}「インナ・サアヤクム・ラ・シャッター」。クルアーン夜章の冒頭に掲げられた3つの事象、すなわち「闇に覆われた夜」、「光に照らされた朝」、「男と女を創ったもの」にかけてアッラーが誓った内容、すなわちこのカサム(宣誓)の応答が、これである。 「インナ」は強調の詞、強調の中身は「ラ」以降に示される。「サアヤクム」の「クム」は「あなたがたの」を示す人称代名詞の接続形、「シャッター」は、「様々な」という形容詞「シャティート」の複数形である。 まず、この応

          多様性、そう、愛すべき①:《クルアーン》「夜章」をめぐって(前段)

          「教える」から教わる:クルアーン「凝血章」第5節をめぐって

          「教える」とは?聖典クルアーンのいちばん最初の啓示とされるはじめの5節の5節目である。イスラームの教えは、ここから始まる。さっそく、 上のアラビア語の言葉を右から意味を並べてみると、「عَلَّم 教えた」「 الإنسان 人間に」「 ما ことを」「لم なかった」「يعلم 知る」。つまり、「人間に、彼の知らなかったことを教えた」となる。 異なる言語だから翻訳によって意味を知ろうとするのではあるが、翻訳によって何が伝わるのか、わかるのか。ここでは、アラビア語、英語、日

          「教える」から教わる:クルアーン「凝血章」第5節をめぐって

          ナフスに聴く:聖典クルアーン「太陽章」をめぐって(第3回/全3回)

          内面の問題か?この箇所について、まずは、日本語訳を見ておこう。 ① 「魂にかけて、またそれを造り上げた者(アッラー)にかけて」(井筒訳) ②「魂とそれを整えたということにかけて」(中田訳) ③「魂とそれを釣り合い秩序付けた御方において(誓う)」(協会訳) いずれも「魂」の語を揃って採用している。「サウワーハー」の訳は、まちまちである。「魂を造り上げる」「魂を整える」「魂を釣り合い秩序付けた」。元が同じとは思えないくらいばらついていないであろうか。 しかしながら、そこに

          ナフスに聴く:聖典クルアーン「太陽章」をめぐって(第3回/全3回)

          井筒俊彦によるスーフィーのナフス論:聖典クルアーン「太陽章」をめぐって(第2回)

          神の自己顕現の場としてのナフス井筒は、『イスラーム哲学の原像』(岩波新書1980年)の中で、「ナフス」について一般向けではあるがかなり詳細な検討を行なっている。彼によれば、イスラームの思想世界において霊魂論は2つに大別されるという。一つは、哲学的霊魂論、あるいはスコラ哲学的霊魂論とも称すべきもの。いま一つが、スーフィズムの霊魂論に当たるものである。井筒は、ナフスに「魂」の訳語を当てていて、そのこともまた大いに検討の余地があるのだが、そのことはここでは深入りせず、「ナフス」につ

          井筒俊彦によるスーフィーのナフス論:聖典クルアーン「太陽章」をめぐって(第2回)