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東大 上野千鶴子教授の祝辞を聞いて今更思うこと

東大の名誉教授である上野千鶴子さんの祝辞が数年前に話題になった。(1、2年前?)

その中で私の心に強く突き刺さったのが「努力すれば報われると考えること、それ自体が環境のおかげである」という一節。

私が社会人になって日本の片田舎に配属されていなければこの言葉の意味を本当には理解できなかったと思う。

今はその意味がよくわかる。

これまで私は親に高い塾代を払って中学受験をさせてもらい、当たり前のように中高ともにピカピカな校舎の私立に通い、大学も私立に入れてもらった。

高校生になった時、「どこの大学に行くか」という会話を親としたことはあるが、「大学に行くか」という会話はしたことがなかった。当然大学に行くものだと思っていた。

そして、それなりに受験勉強をしてそこそこの大学に入学するわけだが、さも「すべて自分の力で辿り着いた」という顔をしていた。(第一志望には落ちていたので、「努力不足だった」とは思ったが)

そして、私はあろうことか大学4年生に至るまで「日本の大学進学率は70%だ」と思っていたのだ。残りの15%は専門学校、残り15%が高校卒業後に働くのだ、と。そして、卒業論文のために読んだ文献で現在の日本の大学進学率はおよそ50%であると知り愕然とした。そんなに低かったのか。

それでもなお、「大学に行かないことを選んだ人の中には勉強が出来ず、怠惰ゆえに進学できなかった人も多いのでは」と思っていた。が、新卒で入社したメーカーの工場で、高校を卒業してすぐに働く人を山ほど目にして、ようやく実情を理解した。

私が育ってきた環境は当たり前ではない。

また、大学院を卒業した同期に「自分の親は大学に進学するなら学費を払わないと言った。だから奨学金とアルバイトで自分で学費を出して院まで卒業した」と言われた。

私には衝撃だった。しかも、これは単純に経済的格差の問題ではない。何なら、その同期の親は私の親より絶対に年収が高かった。ただ、その同期の育った地域には大学に進学する人はほとんどおらず、両親やその親戚にも大学を出た人はほぼいないのだそうだ。

生まれ育った地域、家庭、周囲の人々、親戚、経済状況… 様々な環境要因が組み合わさった結果、私は今ここにいるのだ。まさに、「がんばったら報われると思えることそれ自体が、努力の成果ではなく環境のおかげ」だったのだ。

このことに、私は社会人1年目にしてようやく気付いた。しかし、もし新卒で田舎に配属されていなかったら?最初からコンサルティングファームに入社していたら?私はこのことに気付いただろうか。きっと、似たような大学を出て、似たような教育を受けて、似たようなバックグラウンドを持つ同期や社員と出会い、価値観や考えは何ら変わらなかったと思う。

そういう意味で、私にはカルチャーショックが沢山あった。そして、強く問題意識を持つようになった。

恵まれた環境、恵まれた能力(あるかなあ)を持つ者には、人々を助ける義務がある。

私に誰かを助けるような大それたことは出来ないだろうし、政治家になるほどのお金もコネもない。結局、最後は自分がお金を稼ぎたい、という気持ちが勝つ。でも、こうして恵まれた環境で生きてきた自分が感じたことを発信し、通りがかりの誰かに気付いてもらうことこそが、恵まれた私に今できることだと思う。

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