後楽園ホール

その向かいに後楽園球場がありました。

その奥に大きな球場が出来るといいます。
中学生の時に東京ドームの建設は始まりました。
デビュー戦は2回経験しています。

1度目は中学卒業してすぐのタイで、2度目はその翌年に
日本で、その計2回です。
なので、100戦は15歳の頃のデビュー戦からのです。
わざわざ区切る必要などないのですが、非公式という扱いで
戦績には含めてもらえなかったのです。
次戦が日本でデビューしたデビュー戦からの100戦になります。



タイでデビューした頃はまだ後楽園球場が使われていました。
マドンナやマイケル・ジャクソンのライブが催されたことは
タイで知りました。
マドンナの時だったと思います。
後楽園球場は野外のそれですが、台風でライブが中止になったのです。
チケット代は払い戻しされたのですが、ダフ屋から数十万の高額で購入した
のに、定価でしか払い戻しされなかったということがニュースに
なって世間を騒がさせました。

当たり前のことですが、でも、騒ぎになったのです。
マイケル・ジャクソンの後楽園球場ライブのテレフォンカードが
数万円の価値がついて、それの偽物が出回りました。
当時、父からもらったそれを持っていますが、本物かどうか分かりません。


年末に16歳を迎え、翌年の1988年3月に東京ドーム
が開かれます。
「ビッグエッグ」
テレビでその度にその語彙を添付して称する為、あえて
その呼称を流行らそうとしているのが嫌で口にしないできました。
誰も知らなくなった今、あえて呼称しています。
こけら落としでマイク・タイソンの試合が催されます。
見たかったですが、どうせ小さくて分からない程度だろうからと
諦めます。

翌月、後楽園ホールでデビュー戦が決まります。
一度流れて、でも、再度決まりました。

ホールの空気を感じたくて一度足を運びます。
WBAストロー級のタイトルマッチでした。
前月の最重量級ヘビー級のタイソンと最軽量級のタイトルマッチでは
会場の大きさも話題性も雲泥の差でした。

世界タイトルマッチだというのに、セミファイナルで満員になり、
終えると元元ボクシングには興味のない若い女性等は颯爽と
帰っていきました。
日曜日の夕方という中途半端な時間で世界戦は行われ、テレビ
中継が始まりました。
テレビ中継すらないキックボクシングという競技でこれから
デビューしようとする僕にとっては羨ましい限りでしたが。


空席だらけの世界戦、初めて見るレオ・ガメスのパンチの音と迫力に
驚きました。
ウイニングのグローブが裂ける程のパンチを見て、気を引き締めて
家路につきました。

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111字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。