松本人志

長いことお休みしてすみません。
久しぶりに記しましたが、急いで打ったので元元雑な文章が
余計に雑になっている気がするので訂正する所が少なからずあると、
否、大分あると思います。


「おおいた」と読まれた方、おめでとうございます。
食べ終えてから添えてある調味料に気づくという、人に云う程のことでも
ない微妙な悔しさを差し上げます。




世の中8対2です。
下記にある「一流の空気」の話同様、そのことについて話した
ことがあります
松本さんに。
覚えていないかもしれませんが。

8対2

中学生の頃、授業中にそんなことを考えていました。
例えばラーメン屋。
閑古鳥が鳴いていたのに、報道されたある日を堺に行列が出来るように
なります。
自分は以前からその味を知っていた体を装って知ったかぶりする
のが8割です。
そして、何らかの悪い評判が立つようになったらその中の8割は、
急に手のひらを返し、8割の中の8割は然も自分は以前から見抜いていた
体を装うのです。
そして、再びよい評判が流れようものなら自分は見捨てていなかった
体を装って再び行列に参加するのです。

8対2の法則はや1987年にヴィルフレート・パレートという
学者がパレートの法則といって提唱しています。
そんなことは知らないのでそれとは比率のみしか合っていないかも
しれませんが、でも、僕の考える8対2も当てはまると思います。



そんな8対2の法則をよく、一般紙でインタビューを受けるように
なってからライターにするようになりました。
20歳あたりからです。
同意を得てくれたライター2割、鼻で笑ったり否定したライター
諸諸で8割といったところでしょうか。


サッカーにも当てはまります。
Jリーグ発足時を知っている年代なら分かりやすいと思います。
1993年まで、ブラウンの中にはプロ野球ばかりが映し出されて
いました。

日中、日本と中国の発音で読まれた方中華鍋をさっそうと振って、
外にばらまいた炒飯を拾い集める屈辱間差し上げます。

土日には、日中で確かに違う競技もありました。
そこに、ゴールデンタイムにサッカーが颯爽と登場します。
満員の国立競技場で。
それまで見向きもしなかったサッカーが急に注目されるようになります。
そうすると、急に興味がある素振りすら見せなかったやつが一生懸命
勉強して知ったかぶりを始めるのです。
それが急に膨らんだ応援する側の8割です。

ブラジルでプロになったという三浦知良が日本に戻ってきて
プレーするといいます。
少し前まで見向きもしなかったサッカー選手が急にお洒落な存在に
なります。
女性から人気が出まくります。
野球のチケットばかり躍起になって買い求めていた人が急に求め始めます。
僕の考えてきた8対2の法則に女性も絡みますが、それはまた別の機会に。

そうすると、サッカーに関心すら見せなかった男性は躍起になって
サッカー人気に乗ろうとしたりチケットを求めるのです。
それだけではないでしょうが、その率は高いと思います。
ガラガラだった国立競技場が超満員になります。
8割はブームに乗りたがり便乗するのです。

騒動の度に中継される渋谷のスクランブル交差点を見れば分かります。
例えばサッカー日本代表がW杯出場を決めた日とします。
スクランブル交差点に必要以上の人だかりが出来ます。
何かを切っ掛けに8割は便乗します。
それがファッションなのです。
でも、残念ながら本当にサッカー日本代表を応援して参加している
人は2割の中にもいないと思います。


そんなラーメンやサッカーの話をよくライターにしました。
逆にちょっとした下記に記した裏話、面白いことを教えてもらえたりも
して、それが楽しくていつもインタビューは気持ちを入れて望みました。


時を経て、話す内容は同じにしてもサッカーは数年後、人気に陰りが
見え始めます。
「でも、サッカーは大丈夫なんです。4年置きにオリンピックと
W杯がありますから。」
20代前半から半ばにかけて、キックボクシング界の目指す場所や
その時にオリンピックでも何でもない名前だけの格闘技お祭りイベント
で盛り上がっている様子を見せるだけの行先を危惧して、そんなことを
添えるようになりました。
今も続いているのなら謝罪しますが、その通りになりました。



松本さんの名を知ったのは18歳になった頃でしょうか。


夢で逢えたら


が、最初と記憶しています。
最初の著書、「ざまぁみろ!」に記しましたが。


20歳の高校3年生の夏休み、前月7月に初防衛戦で敗れ
惰性で夏休みを過ごしていました。
夏休みにファイトマネーを注ぎ込み、アパートを借りて
引っ越しました。
今も部屋に飾ってあるチャップリンの1000ピースの
ジグソーパズルを作ることに時間を費やしていました。


夕方から練習、それ以外、ただ寝るだけの夏休みです。


青春、何もありません。
13歳からキックボクシングが青春です。

「2回目の青春」


中年でアマチュアの大会に出る会員らにそう云って
元気づけるのですが、残念ながら僕はまだ1回目の青春の
最中です。
ええ、「もなか」です。
52歳になってもまだ続けているのでいい加減、次の
青春を見つけなくてはいけないのですが、引退してから
考えようと思います。


その1992年の夏休み、ダウンタウンが24時間テレビの
パーソナリティに抜擢されました。
ビデオテープ、3倍で24時間近く録画したことを思い出します。


ごっつええ感じやガキの使いやあらへんでは毎週欠かさず
録画していました。
テレビガイドチェックして、出演番組を全て録画していた
時期もあります。


22歳の夏、その頃よく取材に着てくれた日本テレビの違う番組の
ディレクターにお願いして
「ガキの使いやあらへんで」の収録に足を運びました。
ダウンタウンのお2人を初めて肉眼の視界に入れました。
試合後で、折れたまま前歯がないままでお恥ずかしいですが、
そんな自分と雑談をしてくれました。

収録前の緊張感ある時間に申し訳なく思いながらも甘えて
その空気を感じていました。

「お前らかかってこい。立嶋くんには勝てへんけど。」

客席に向けて言放ち、僕を笑わせてくれました。
僕のことなんて誰も知らないのに、客は笑っていました。
この2人が何を云っても面白い、そんな時代があったのです。
収録を客席から楽しんで、お礼をいいに楽屋に足を運びました。


翌年の1月7日、NKホールで7冠王チャモアペットとの試合が
決まりました。
観に来てくれました。
試合後、再度収録に足を運びました。
携帯番号を交換して、以降数年間試合を観に来てくれました。
僕は調子に乗って収録を見せてもらいに足を運びました。

その頃には所属ジムや団体とこじれかけていたので、なので、
勇気というか力をもらいにというか、少しでも一流の空気に触れて
自分を保とうとしていました。


その度、収録前には楽屋に通してくれて、雑談を興じてくれます。
申し訳なく思いながらも図図しく通してもらいます。
一流の空気を吸って自分を保とうと、あわよくば少しでも上がろうと
していました。

オーラという言葉があります。
世の人は簡単に使うので、あまり使いたくない単語なのですが、
でも、その単語が例えるに相応しいので使います。
僕が人と会って、それを感じた代表的な人が松本さんです。
他にもいますが、分かりやすい例を上げるとこの方です。
それと丈さん、辰吉丈一郎です。
この2人からは凄い空気、オーラを感じます。

テレビをつけると、僕はその人の持つ空気をよく想像します。
それは、肉眼でないと気付けないからです。
芸能人に限らずスポーツ選手や政治家など、特に気になります。
目を瞑って想像することさえします。

一流の空気について、話したことがあります。
例えば分かりやすい例えでいうとボクシングです。
大橋ジムが今、一流の空気なのは井上尚弥が活躍している
からです。
彼の空気を吸った次が、どこかで切れたらそこからが
また難しいのです。
途切れたところから立ち直れないままのかつての名門ジムも
多くあると思います。

ボクシングの話題は当時のではありますが、そんなことなどを
雑談に交えてしました。
観に来てくれた試合で、肘打ちで瞼をカットされてTKO敗けに
なった試合があります。
当時、週刊朝日で松本さんが連載していたコラムにも記してくれました。
試合後に挨拶に行き、カットされた瞬間の話をしました。

「斬られた瞬間は分かるんです。血が出る前に熱さで分かるんです。
その後に血が垂れるんです。」
痛さを心配してくれるので、そんな内側の話をしました。

僕がこの競技で感じてきたこと、痛さや減量のことなど興味深そうに
耳を傾けてくれました。


「ざまぁみろ!」執筆に入ってから少しして連絡が取れなく
なりました。
落ちぶれていく自分が悪いのです。


昨年、クレイジージャーニー出演の際、25年ぶりくらいに
会いました。
収録後、少しお話しました。
これだけ間が空いていると、どうやって話しをしてよいのか
困りました。


少し逸れます。

松本さんと知り合えたことだけではありませんが、当時の
キックボクシング界への世間の見方や、マスコミの扱い方を
考えると、自分は間違えていなかったと注目を受ける場を
得るその度に思ってきました。
中学卒業して渡タイしたのは、いつかの自分に対する先行投資
と目論んでいたからです。
その頃は、専門誌にも大して扱われない一般紙の扱いは皆無でした。
でも、その場を得たその頃は、そこまで持ってきたという充実感を
味わうと同時に、もっと先へという覚悟を誓えました。
段段と扱われなくなっていき、小さな存在になって行く度に
継続するモチベーションが幾度も消えかけましたが。

ただ強くなるだけではなく、食いついてもらえる8割の人に
知ってもらうには人と違う過去を持つことだと考えて行動してきました。
勿論、キックボクシングに結びつくことで。

でも、残念ながら負の8対2もあります。
こんな世の中です。
誰かが悪口をネットに書いたりすれば多くの人が便乗するのです。
僕もやられたことがあります。
数千件、中には女性会員の氏名まで晒して、卑猥な言葉も
羅列する有り様です。
Sら名古屋の関係者2・3名が書き込んでいるということを管理人が
そのスレッドを削除する前に掲示板にそのことを書き込んでくれて
知ることが出来ましたが、でも、当事者しか知らないことばかり記されて
いるのに、そんなにも多くの人に僕は嫌われているのかと思い、本当に
萎えました。
もしかしたらその中に、便乗した部外者もいたかもしれません。
でも、部外者は知らないことばかりです。
女性会員の名前なんて知りようがないのです。
手伝ってくれたイベント前に名刺をもらっていたから出せるのです。
もうジムを閉めようかと考えたこともありました。
でも、管理人が明らかにしてくれても加害者側はのうのうと生きている
のです。



ネットで罵詈雑言浴びせられると気持ちの行き場がなくなります。




数年前、女子プロレスラーが亡くなったではありませんか。
散散、好き勝手に罵詈雑言浴びせてストレス発散した8割の人間のせいで。
悪口ブームを勝手に催したせいで。
その中の8割は亡くなったら我先にと同情ブームに着替えて叩いた
側を避難していたのかもしれません。
神様、あんた不公平だ。
反省してくれ。


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2,773字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。