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京都国立近代美術館でまだ謎は残る

続「私のホームランド、京都」

小学生の頃、父に連れられて何度か岡崎公園の美術館に行った。家から歩いて10分程度で行ける。両方ともにである。

両方ともと言うのは、神宮通りを挟んで向かい合って建っている京都市立美術館と国立近代美術館の両方のことだ。

なぜか父は絵画などの展覧会が好きだった。特別に絵ごころがあるとかいうのではなく、美術館には歩いていけるところにあるということもあるのだろうが、その雰囲気が好きだったのかもしれない。アートとはいえ、その少しアカデミックで非日常的な雰囲気が好きだったのだと思う。

そこで、私も英国風景画展やミレー展やツタンカーメン展なども見に行った記憶が残っている。私も絵などわかっていないが、美術館の雰囲気は好きだった。

私が小学生だった1968年にロートレック展が国立近代美術館で開催されていた。あいにく父に連れて行ってもらった記憶はない。

ただそこに行って鑑賞した展示品より一層記憶に残っているのが、このロートレックの作品のひとつである「マルセル」だ。

この開催期間の最終日にその「マルセル」は盗まれたからである。この名画は当時3500万円ほどの価値があったようだ。

「マルセル」は女優とも娼婦とも言われているモデルの横顔を油絵で描いたものだ。

新聞でそのニュースを知り、怪盗ルパンやシャーロックホームズが好きだった私はこの名画盗難事件にたいそう興味を持った。そしてその事件の経過、つまり犯人と盗難された「マルセル」の行方に関する進展のニュースを待ち続けた。テレビでも取り上げていただろうが、だいたいが新聞からの情報だったと思う。

しかしながら、まったく進展がない。しだいに世間の関心がフェードアウトしていくことに合わせて私の興味も薄らいでいった。

ただ、事件の進展が無いこともあり、この事件を取り上げた小説などを書いてみたいと思った。その時ではなく、大人になってから書いてみようということである。もちろん大人になってもまだかような小説は書いていない。そもそも私にそれを書ける力量があるのかということは別の話しだ。

その後、この事件が時効を迎えた1975年の翌年に進展する。ネットにあるニュースから要約すると以下の経緯となる。

*1976年1月、大阪市に住む会社員夫婦が「マルセル」が手元にあると新聞社に連絡してきた。
*夫婦は京都に住む知人から預かっており、それを風呂敷に包まれたまま中身も知らずに押し入れ置いておいた。
*知人は中学教諭でその知人から預かっており中身は知らなかった。知人の名は言えないと主張。
*警察は時効が成立しているため真相追求ができなかった。
*「マルセル」は無事にフランスのロートレック美術館に返却することができた。

つまり、絵は戻ったが事件は解決していないということだ。犯人とその盗んだ動機はわからないままである。

これはますます小説にしなければいけない、と大人になった私は思ったりした。もちろん思うだけで何をしようとするわけではない。

そうこうして何年も経った頃、私がアメリカ駐在となって5年目ぐらいだろうか、日本に一時帰国した折に、書店で「マルセル」と題した本を見つけた。高樹のぶ子氏の小説である。もちろん、このマルセル盗難事件をテーマにした小説だ。

私が書こうと思っていたものを先越された、とかってなことを思いつつ、まよわず購入した。しかも著者のサイン本だ。良いものをゲットしたと喜んだ。

帯には、

1968年、嵐吹き荒れた時代の不可解な事件を、父はなぜ追い続けたのか。謎に導かれるまま、新聞記者・千晶は、東京から神戸、京都、パリへ。実在の未解決テーマに恋愛小説の名手が贈る芳醇な「絵画」ミステリ!

とある。

高樹のぶ子著「マルセル」の表紙

大至急読まなければいけないと思い早速読み始めた。

読み終えて何か物足りなさを感じた。なぜ盗んだかという動機はうまくつけられているが、全体的に小説としてのエンターテインメント性が薄いように感じたからだ。主人公の躍動感が今一つ伝わらなかったのだ。

私は劇画的な描写を求めていたからかもしれない。それと、ロートレックにも触れてもらいたかった。彼自身も相当数奇な運命を持っていて、彼だけでも魅力的な物語が紡げると思った。

もっと素晴らしい物語を伝えられるはずだ!と言えば、大御所の小説家の作品に文句を言っているようだ。いや、文句じゃない、いや、そうか。でも私はこの「マルセル」のサイン本を大事に書棚に飾っている。

マルセル盗難事件はまだ未解決だ。マルセルは帰ってきたが、犯人はわからないままだ。おそらく、このまま永遠にわからないのであろう。いや、ひょっとしたら、マルセルが突然帰ってきたように、突然に犯人が浮かび上がってくるのかもしれない。

それまでは、これを題材としたフィクションを楽しむのが良いのかもしれない。

ということを国立近代美術館の前を通った時に瞬時に頭によぎったのだった。瞬時によぎったのだが、文章にすればそれなりに長いものだった。


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