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辺野古での座り込みについて

 辺野古の基地の前で初めて座り込みをした。関東に辺野古で座り込みをしようといった企画をしている団体があって、そこに参加した。(時々、基地に反対する人は市民ではないといった言葉を見るが、この問題は沖縄だけのものではないと私は思っていて、別に県外から行こうが咎められるものではないと思う。尚、市民というのは辺野古付近の住民という意味合いで私は受け取った。)


 基地前に集まった人数は15人くらい。付近の民宿から大きな道路を真っ直ぐ歩いて10分くらいで基地の出入口付近に着く。基地の出入口から道を挟んで反対側に差掛けが作られていて、沖縄の強い日差しを避けられる休憩所になっていた。そこでキャンプで使うような折り畳み式の椅子を渡される。道なりに歩いていくと、特になにもなかったが、内閣府と書かれた服を着た男が見張りをしていたり、沖縄県警?が基地を背にずらっと並んでいるところに出くわしたりした。 (尚、沖縄県警と機動隊の違いがわからないため、本文では混ざってしまっています。)

(基地の出入口。内側に大勢の人が見える。)

 出入口の前は、3メートルくらいの高さの緑色の薄いカーテンで仕切られていて、内側には大勢の機動隊と思しき人たちが見える。仕切りは出入口から随分手前にせり出してきていて、本来の歩道は幅5メートルはあったと思うが、座り込む場所は1メートルあったかどうかという狭さだった。座り込みに来る人以外に歩行者なんていない、車が通るばかりの場所だった。

(速やかに通行して下さいの文字が仰々しい。)

 本来の出入口の前には黄色い線が書かれていて(その線を超えると法律違反で逮捕される。)、以前はその前で座り込みをしていたという。今はその前から3メートルくらい手前まで、蛇腹の鉄板が敷かれていて、参加者によると通称殺人鉄板と呼ばれているらしい。夏にあの上で座り込みをした時の暑さは大変だろう。基地側の言い分によるとタイヤの泥を払うためだというが、私が見たところ役には立っていないように思う。歩行者を妨げるといったことで何らかの法に反するとかなんとかで一人が機動隊に抗議をしていたが、彼らは相手にしない。尤も、今はその殺人鉄板に近付くことさえ出来ないのだが。

  基地の出入口を背に暫く座っていると、隣の参加者から注意事項を説明された。曰く、一切抵抗せず、彼らに手を挙げるようなこともしないこと。こちらがフレンドリーに肩に手を置いたのだとしても、彼らが殴ったと言えばそういうことにされてしまうという。それから、自分で立って退去するか、4人くらいで四肢を持たれて排除されるか選ばされるから、素直に従うこと。以前は隣の人と腕を組んだり寝っ転がったりして抵抗したが、腕を曲げられたり怪我をしたり逮捕者がでたりしたので、現在は穏便になっているという。前は彼らの排除の仕方をゴボウ抜きだと表現していたが、今はネギを抜くように丁寧だという。他にはメガネやケータイが落ちるかもしれないということや、リュックはしょったままがよいということ。

(パトカーによる工事車両の先導。)

(沢山のミキサー車。)

 パトカーが工事車両を先導してやってきた。工事車両は30台は超えたと思う。背後の仕切りや、私の目の前(車道側)にあったガードレールのようなものが機動隊によって除けられた。沖縄で長年抗議してきた方が(沖縄在住の有名な人らしい。)マイクを持って演説する。目の前に沖縄県警がずらっと並ぶ中、座り込みをする人たちに歌を歌おうと呼びかけ、みんな立ち上がり合唱した。(歌を私は知らないし、若者にはウケないと思った。)歌は、県警側が排除するタイミングを遅らせる目的もあったと思うが、基地に入る工事車両以外の一般車の交通具合も伺いながら、二曲で済ませた。

 歌が終わり座ると、県警による排除が始まった。注意事項で聞いていたものの、私はそれでもそれなりに抵抗をするものだと思っていたが、みんな実にあっけなく退いた。ある人は腕や足を持たれ、ある人は上半身を両側から抱えられて自分で歩く。私は話しかけられて、自分で立って歩いた。椅子は使うかどうかとも聞かれて、使うと言ったら丁寧に渡された。メディアを通じ過激な印象を持っていたので、彼らから暴力を振るわれないことは安心ではあったけれど、効果がそれほど無いようにも思えて苦しくなった。かといって過激になれば、世間から忌避される恰好の理由にされてしまうようにも思う。こんな形でさえも、メディアでは過激な人達だと報じられるなら悲しい。(本当に過激な人達もいるかもしれないけれど、少なくとも私が参加した時は穏やかだった。)たった一日ではあるが、国家権力の強さを感じた。これが何年も毎日のように続けられていることに、頭が痛む。

(排除が完了した所。)

(淡々と入場する工事車両たち。道路には水が撒かれた。)

 みんなが排除されると、基地の中から放水車がでてきて出入口付近だけに水を撒いた。座り込みをした人や大勢の機動隊などに、ささやかな涼感を与えるもの…などということはなく、道路に寝っ転がって抵抗する人が出ないための対策らしい。それが終わるといよいよ工事車両の入場が始まる。運転手の多くがサングラスをかけている。無表情か冷たく厳めしい顔で、淡々と入っていく。彼らもまた沖縄の人たちなのだと思うと、仕事(お金)によって分断が起きているように感じて苦しくなった。仕事だからと割り切っているのだろうか。酷い言い方かもしれないが、戦時中に洗脳された人たちもこんな感じだったのだろうか。良心を押し殺したような。

(出入口の前を歩いて抗議する人達。よく見ると、道路に鉄板が見える。その上方の端が、本来の出入口だ。)

 全ての車両が入り終わると、座り込みに来た人たちは出入口前を左右に往復しながら歩いて抗議を行った。前述のカーテンの仕切りは無くなって、代わりに機動隊が並んでバリケードになっている前を歩いた。歩道は意図的に狭められていて、車道に出てしまいそうなくらいだった。行進する抗議者のかっこ悪さや、無力感で、私は凄く惨めに感じた。機動隊の人たちの顔を一人一人、よく見た。汗だくで、無表情。彼らもまた、沖縄の人だと思うと悲しくてやりきれない。だから声は上げられなかったし、もう黙祷するような気持ちで、合掌して歩いた。その後、参加者は引き上げた。

(海から眺めた辺野古の基地。)

 数々の選挙や、県民投票、そして長年にわたる抗議活動。それらが悉く政府に無視され、蔑ろにされていることに深く憤りを感じる。こんなことでもするほかにないこの国に、民主主義は機能しているのだろうか?日本の様々なことに見受けられるが、合意形成のない、トップダウン型の意思決定が罷り通っていることが虚しい。政府は一方的に正義(決まり)を設定でき、抗議者を縛っていくこともできる。私は、今この国に必要なのは強力(強引)なリーダーシップなどではなく、丁寧な合意形成、ボトムアップではないかと思った。

(トップの写真→基地の中に新たに建設されているもの。アミューズメントパークのようなものだという。工事業者も、中でお店を出すのも日本の人らしい。)

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