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TIME誌の岸田氏に関する記事の和訳③

数日空いてしまいましたが、TIMEの続きです。

1回目、2回目をご覧になりたい方は以下をクリックしてください。


以下、和訳

TIME誌該当部分にある写真

岸田氏の在任期間はすでに、彼のハト派としての評判を偽るようなストーリーに直面している。4月15日に、岸田氏はやっとのことで、首相官邸にたむろする幽霊をかわした。というのは、手作りのパイプ爆弾が彼の選挙演説中に投げつけられ、警官が怪我をしたからである。「私は政治の世界に生きているのです」と岸田氏は、その事件について聞かれたとき肩をすくめた。「この手の事件や動静は起こりうることです」。

18ヶ月前に岸田氏が首相に就任したとき、彼はスキャンダルに名誉を傷つけられることもなく確実に仕事をこなしながらも影響力の大きい政治家だと思われていた。ただ、岸田氏には主要な成果がなかった。岸田氏の父と祖母は二人とも法律家で、子ども時代の一部をアメリカで過ごし、クイーンズにある公立学校に通っていた。学校のクラスが実に多様な文化的・言語的背景に満ちていて、クラスでのコミュニケーションについて岸田氏は「とても難しかった」と述べている。しかしこのことにより、「私は他者の視点を注意深く聞くことが重要なのだと銘記することになった」と言う。「子どもの頃、私はアメリカ合衆国を〝アメリカ〟たらしめているものに影響された。それは、自由と豊かなエネルギーを尊重することだ」。

岸田氏は平均的な学生で、ロースクールの入学試験に3回落ちた。銀行で経験を積んだあと、1993年に政治の世界に入った。岸田氏は多くの内閣ポストを経験するまで昇進し、2012年から5年間外務大臣に就任した。岸田氏は合意を積み重ねる人間としての評判を築き上げ、政治家の秘密の会合で多くの党派をまとめあげて政策を作った。側近は岸田氏は助言をよく聞くと言っているが、一度彼が決心すれば揺らぐことはない。

首相として、彼は自分のことを飛び抜けた職業人だとは思っていない。岸田氏は首相に就任してから16もの海外渡航を経験していて目が回るような日常である。首相官邸のアーチのある大広間で本誌取材に応えた2日後には、彼はアフリカ4カ国の渡航に旅立った。側近は、岸田氏はかろうじて自分の時間をやりくりしている、と述べている。「国会期間が終了したら、もし時間があるなら、ゴルフにでも行きたいのですが」と岸田氏はにやりと笑った。

しかし岸田氏は国内問題ではスムーズにいってはいない。内閣支持率は安倍元首相の国葬を決定した後で急落した。国葬と安倍氏の極端な性格にお金をかけることに反対意見が集中したためだ。昨年の暮れに、岸田氏は4人の大臣を多くのスキャンダルによって解任した。今年2月には、「同性婚が法制化されるなら多くの人が日本を捨てることになる」と発言した側近を解任した。同性婚は日本の世論では多数が賛成しているにもかかわらずだ。これに対して岸田氏は本誌取材に、「多様性が尊重される社会」に関与したのだと語った。内閣支持率はそれからまた上昇して、4月に行われた統一地方選で自民党は主要な位置を占めることになった。

ーー今日はここまでとします。全部で6回の予定です。よろしくお願いします。

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