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宮沢賢治の宇宙(12) ペネタって、どんな形ですか?

ペネタ?

ペネタ。この言葉を聞いて、「ああ、あれのことか」とわかる人はかなりの宮沢賢治通だと思う。実は、私がこの言葉を知ったのは比較的最近のことだ。たまたま読んだ雑誌で、その言葉に出会った次第だ。その雑誌は『科学朝日』である。1941年に刊行開始、2000年に廃刊となった雑誌だ。今は知っている人も少ないだろう。考えてみれば、科学を啓蒙する雑誌はずいぶんと少なくなった。

私が、ペネタのことを知ったのは気象研究家の根本順吉の書いた“自在に自然と遊んだ天才詩人―造語に秘めた知識”という記事からだ(『科学朝日』第50巻第4号、1990年)。そこには宮沢賢治の使った不思議な言葉が解説されていた。

人は月を見る、蛙は雲を見る

ペネタは賢治の短編童話『蛙のゴム靴』に出てくる。この童話には『蛙の消滅』という初期形もある。タイトルを見てわかるように、初期形では蛙は消える。しかし、『蛙のゴム靴』は最後の部分にアレンジが施されており、なんとかハッピーエンドに終わるところがよい。この物語の面白いところは、蛙が「雲見」をすることだ。

ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座って、雲見といふことをやって居りました。 (第十巻、304頁)

そこでの会話もまた面白い。

それで日本人ならば、丁度花見とか月見とかいふ処を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思はせるね。」
「実に僕たちの理想だね。」
 雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形といふのは、蛙どもでは大へん高尚なものになってゐます。平たいことなのです。雲の峰はだんだん崩れてあたりはよほどうすくらくなりました。 
(第十巻、304-305頁)

ぺネタ形の雲

雲の形を形容する耳新しい言葉が出てきた。“ペネタ”である。「平たい」という意味のようだが、どうもピンとこない。いったい、どんな形なのだろう?気になったので、原子朗の『定本 宮澤賢治語彙辞典』(筑摩書房、2013年)を紐解いてみた。すると、次のような解説があった(649頁)。


ペネタ形 「うすい金色の」「平たい」雲の形。気象用語のペネトレーティヴ・コンベクション(penetrative convection、貫入性対流)から思いついた賢治の造語。


なんと、この辞典でも、『科学朝日』に出ていた根本順吉の解説が元になった説明になっている(ただし、引用元は『十代』九巻、12号)。

根本は1981年から詩人の谷川雁(たにがわがん)らと一緒に “十代の会”と勉強会をやっていた。この会に参加していた高野みはるが『新版 気象の事典』(和達清夫 監修、東京堂、1974年)を調べていて、ペネトレーティヴ・コンベクションという言葉を見つけた。これがぺネタへの道をなった。

貫入性対流は空気が対流で上空にある安定な層まで侵入していく現象である。真夏によく見る入道雲(積乱雲)がその例だ。地上約10kmにある対流圏界面に近づくと大気の安定度が強まる。下側から積乱雲が発達してきても、その安定成層を通過することができずに、水平に拡がってしまう(『一般気象学 第2版補訂版』小倉義光、東京大学出版会、2016年、70-72頁参照)。すると、上面は平たい形になる。この平たい雲は「金床雲(アンヴィル、anvil)」とも呼ばれる(図1)。なるほど、雲の上部が真っ平らである。

ペネトレーティヴ・コンベクションから最初の二文字である“ペネ”を採用し、さらに“タ”を否定の意味で付けた。つまり、積乱雲の垂直方向への発達が打ち切られ(つまり、否定)、水平方向に広がるということである。“ペネ”と“タ”を合わせて“ペネタ”になったとする解釈である。“ペネタ”の由来を説明するアイデアは他にない。そのため、この説が唯一のアイデアとして流布したようである。

図1  「貫入性対流」で生成された金床雲。 https://ja.wikipedia.org/wiki/かなとこ雲#/media/ファイル:A_Classic_Anvil_Cloud_Over_Europe.jpg
図2 金床の実物例。金床は金属加工で用いられる道具。加熱した金属をたたいて整形するための道具なので、当然のことだが、上部が平らな面になっている。たしかに図1の金床雲に似ている。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Amboß_klein.jpg

絵本を買ってみた

せっかくの機会なので、『蛙のゴム靴』の絵本を買ってみることを思いついた。たまには絵本を読んでみるのもよいだろう。私が買い求めた絵本はミキハウス(miki HOUSE)のものだ(図3)。


図3 購入した『蛙のゴム靴』の絵本の表紙(miki HOUSE)。絵は松成真理子。

可愛らしい蛙の絵と共に、『蛙のゴム靴』の絵本を楽しく読んだ。そして、最後の頁を見て驚いた。そこには用語解説があるのだが、ペネタ形の説明に、ペネトレーティヴ・コンベクションが出ているのだ。

[ペネタ形] 気象用語に「Penetrative Convection(ペネトレーティヴ・コンベクション)」という言葉があり、入道雲を作る対流のことを指す。「ペネタ形」という呼び名はここからヒントを得たとする説もある。・・・

まさか、絵本にこんな難しい話が出てくるとは思わなかった。

さらに、“雲見”についても解説がある。“雲見”という概念を提唱したのは江戸時代の真言宗の僧侶、慈雲(1718-1805)だとされる。これだけにとどまらず、賢治の詩集『春と修羅』に収められている詩『不貪慾戒(ふよくどんかい)』に、この慈雲が出てくることも述べられている。

絵本は子供だけでなく、絵本を買った親も楽しめる、ということか。

気象マニアでもあった賢治

ところで、賢治はペネトレーティヴ・コンベクションという難しい気象の専門用語を知っていたのだろうか? 『【新】校本 宮澤賢治全集』別巻の索引を調べてみたが、この単語は出ていない。また、金床雲も出てこない。ただ、賢治は気象には詳しかった。それは童話『風の又三郎』を読めばわかる。大気の大循環が見事に童話の中で説明されているからである。また、賢治は気圏という言葉も好んでいた。今でいう、大気圏のことである。普通、詩や童話の中で、気圏という言葉を用いる作家は少ない。賢治の他にはフランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)ぐらいだろうか。

賢治は作家としては珍しいほど、気象に詳しい人だった。それは、ある意味で当然かもしれない。花巻農学校時代、賢治は「代数」や「化学」といった基礎科目、そして農業に関連する「作物」や「肥料」の講義を担当していた(『教師 宮沢賢治のしごと』畑山博、小学館、1992年)。あまり紹介されていないが、賢治は「気象」の講義も担当していたのである(『賢治童話の方法』多田幸正、勉誠社、1996年、142頁)。「気象」は二年生の必修科目だったのだ。

実際、賢治の作品には気象の専門用語が出てきている。『春と修羅』第三集に収められている『県技師の雲に対するステートメント』や『峠の上で雨雲に云ふ』を読むと“雨雲”が出てくる。私たちは“あまぐも”という。しかし、賢治は“ニンブス”という専門用語のふりがなを振っているのだ。ニンブス(nimbus)は乱雲のラテン語名である。何気なく“雨雲”を“ニンブス”と呼ぶ人は少ない。

気象は農業と大いに関係がある。サムサノナツハオロオロアルキ。〔雨ニモマケズ〕にあるように、冷害、旱魃、台風など、農業にとって気象現象はときには深刻な影響を与える。賢治は旱(ひでり)の影響で農作物の収穫が思うようにいかないことに悩み、盛岡測候所の福井規矩三所長(1870-1950)を訪問したことがある。大正十三(1923)年のことだ。気象学の専門家と議論した経験はあるということだ。

ペネトレーティヴ・コンベクションという言葉は1920年代前半に刊行された英米の気象学会の論文誌や会誌のいくつかで使われはじめていた。1920年代前半ならば、ちょうど賢治が作品をたくさん書いていた頃だ。ただ、賢治が学術雑誌を読んでペネトレーティヴ・コンベクションからペネタ形を思いついたかどうかは不明である。

カエルの頭は平たいので、「ぺったんこ」はどうだ?

『蛙のゴム靴』には次の文章が出てくる。

雲のみねといふものは、どこか蛙の頭の形に肖てゐますし、それから春の蛙の卵に似てゐます。 (第十巻、304頁)

この文章にある“肖てゐます”は“似ています”のことである。

蛙がペネタ形を好む理由はどうも蛙の頭の形が平たいことにあるようだ。そう言われてみれば、蛙の頭はたしかに平たい(図4)。

図4 自宅のバルコニーに侵入してきた蛙。

“平たい”を、もう少し子供っぽく言うと、“平べったい”である。“平べったい”と言う言葉を聞くと、もうひとつ言葉を思い出す。“ぺったんこ”である。“ぺたんこ”でもよい。もし、そうなら、ペネタの語源はペネトレーティヴ・コンベクションではなく、“ぺったんこ(ぺたんこ)”なのかもしれない。簡単が一番!

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