見出し画像

一期一会の本に出会う (5)漱石全集を買ってしまった 文理両道を行く夏目漱石

京都の龍寶山大徳寺で購入した色紙。「一期一会」と書いてある。最初の「一」がすごいですね。

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

漱石全集を買ってしまった

『漱石と「学鐙」』(小山慶太 編著、丸善出版、2017年)にまつわる話を終えて、天文部の部会は終わった。輝明は「ちょっと、街に出てみる」と言って、部室を出ていった。優子はいつものように天文雑誌に出ている美しい天体写真を眺めながら時を過ごした。しばらくすると、輝明が部室に戻ってきた。みると、重そうな荷物を持っている。

「部長、どうしたんですか、その荷物。」
優子が聞くと、予想もしない答えが返ってきた。
「うん、古書店で夏目漱石全集を買ってきた。」
見ると、岩波書店から出版された全35巻の漱石全集だった(図1)。
「うわあ、すごいですね。」
驚くと同時に、優子の頭の中は疑問符だらけになった。
「あれっ? 部長は漱石に関心がなかったのでは?」
「たしかに、今まではそうだった。でも『漱石と「学鐙」』を読んで、考えを変えた。漱石は普通の小説家ではないような気がしたんだ。」
「?」
またまた、疑問符だ。
「『漱石と「学鐙」』で紹介されていたのは漱石の小説じゃない。いわゆる論説だ。漱石はいろいろな雑誌や新聞に論説を書いていたんじゃないかと思う。僕は小説よりそっちの方を読んでみたくなったんだ。その場合、全集を買うのが一番。」「なるほど、そういうわけでしたか。納得です。」

図1 『漱石全集』(岩波書店、1956年)。輝明が購入したのは1979年の第7刷。

文理両道

「「文武両道」という言葉があるよね。学芸・学術にも秀で、武芸・武術にも秀でていることを示す言葉だ。」
「はい、よく聞きます。」
「これにあやかって、「文理両道」という言葉が頭に浮かんだ。これは、文系にも理系にも秀でていることを示す言葉だ。」
「なるほど、いい言葉ですね。日本では文系と理系を分けすぎるような気がしていました。」
「なぜ、この言葉を使うかというと、一人の詩人・作家のせいだ。その人の名は宮沢賢治(1896-1933)。」
「なんだ、夏目漱石じゃないんですね。」
「うん、漱石は後で出てくるから安心して。」

輝明は話を続ける。

「賢治がたくさんの作品を書いていたのは1920年代の後半、大正時代から昭和の初めの頃である。今からざっと百年前のことだ。現在に比べれば、天文学はまだ黎明期。アンドロメダ銀河はまだアンドロメダ星雲と呼ばれていた。そして、天の川が宇宙のすべてだと思われていた時代だった。賢治の童話の代表作『銀河鉄道の夜』はそんな時代に書かれたんだ。
この童話を読んでみると驚く。天の川や宇宙に関する記述には、現在でも通用するような最新の天文学の知識で解釈できるようなことがたくさん書いてあるからだ。

賢治は天文学のみならず自然科学の知識は豊富に持っていたことが知られている。鉱物集めが高じて「石っこ賢さん」と呼ばれていた子供時代から、中学(盛岡中学校)では天文学に目覚め、高校時代(盛岡高等農林学校)は化学を本格的に学んだ。彼の作品にはそれらの知識が散りばめられている。賢治はまさに文理両道の人だったと思う。」

「まったく、その通りだと思います。」
優子も輝明の意見に大賛成だった。

「こんなことを考えていたら、「昔の人は文理の両方に長けた人が多かったのではないだろうか?」という疑問を持った。すると、それに該当する人が思いついた。文豪と呼ばれる夏目漱石(1867-1916)と森鴎外(1862-1922)だ。森鴎外は作家であると同時に、軍医も務めていたので、文理両道であることはすぐにわかる。一方、夏目漱石は森鴎外ほど自明ではないが、理科や数学のセンスが優れていたことが知られている。」

「なんだ、小説は読んでいなかったけれど、漱石という人物には興味があったんですね。」
「実は、そうだ。」
輝明は頭を書きながら優子の指摘が正しいことを認めた。

『漱石山脈』

「最近読んだ本に『漱石山脈』(長尾鋼朝日新書、2018年、55頁)がある。」
「「漱石山脈」ってなんですか?」
「漱石を慕う弟子たちは漱石の自宅に木曜日に集まり(「木曜会」)親睦を深めた。弟子の人数は30名にもおよび、「漱石山脈」と呼ばれたんだ。」
「いわゆる派閥でしょうか。」
「最近、派閥という言葉は悪く捉えられがちだ。まあ、同好会とか同窓会みたいなものかな。」

「それはさておき、『漱石山脈』の中では漱石が」次のように紹介されているんだ。」

漱石という人は、思想家にして芸術家にして教育者という“文系”人間の超人(スーパーマン)なのだが、反面、恐ろしくロジカルな人で、この点きわめて“理系”的なのである。 

「漱石が理系の人というのは驚きです。」
「そうなんだ。僕も想像していなかった。そこで、少し調べてみた。すると、漱石は大学の予備門の頃には建築家を夢見ていた人だったことがわかった。」
「建築家とは、またすごいですね。」

『三四郎』に溢れる理系の話

「『三四郎』では登場人物の野々宮宗八が帝国大学の建築について蘊蓄を述べている。野々宮は理学士だが、漱石の一番弟子である寺田寅彦(1878-1935)がモデルである。寺田は著名な物理学者であったが、多くのエッセイを残した文人でもあり、寺田も文理両道の人だった。
寺田は帝国大学理科大学を訪ねた漱石に物理実験の説明をしたことがあったそうだ。そして、その説明が見事に『三四郎』の中で再現されていることに寺田は驚いたというんだ(『漱石山脈』、長尾鋼、朝日新書、2018年、57頁)。」

「たった一度きりの説明で、よくぞあそこまで微に入り細を穿ち書けたものだ。」

「これが、寺田の感想だ。」
「物理学者の寺田が漱石の優れた理系のセンスを絶賛しているわけですね。間違いない、という感じですね。」
「確かに、『三四郎』を読むと、理系の話がよく出てくる。」
「あっ! 『三四郎』は読んでいたんですか?」
「いや、拾い読み程度だ。」
輝明は恥ずかしそうに言う。

「ちょっと、光線の圧力測定の話を見てみよう。」
輝明は買ってきたばかりの漱石全集から『三四郎』の出ている第七巻を探し出した(図2)。

図2 『三四郎』が収められている『漱石全集』第七巻、岩波書店のカバー表紙。
ちなみに定価は800円と書いてある。

輝明は第七巻の該当するページを開いて、文章を紹介した(『三四郎』夏目漱石全集 第七巻、岩波書店、1956年、172頁)。

「野々宮さん、光線の圧力の試験はもう済みましたか」
「いや、まだまだなかなかだ」

次は、小説家の田村が野々宮に光線の圧力測定の方法について質問すると、野々宮が答える場面(173頁)。

雲母(マイカ)か何かで、十六武蔵(注:盤を使う遊戯の名称)位いの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣して、真空の中(うち)に置いて、この円盤の面へ孤光(アーク)燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動くというのである。

「なるほど、しっかりとした解説だ。漱石は寺田の説明をきちんと理解して、文章にしているとしか思えない。漱石はやはり文理両道の人だったのだ。」
「考えてみたら私は『三四郎』を読んでいませんでした。しかし、出てくる実験の説明はとてもしっかりしていますね。普通の小説の文章とは思えないほどです。」
優子も仕切りに感心している。

漱石も寅彦も空中飛行器に心奪われた?

「また、三四郎を含む四人がそぞろ歩きをしているとき、高く飛べる装置の話が出てくる(98頁)。」

「今のは何の御話なんですか」
「なに空中飛行器のことです」

「ここでいう空中飛行器は飛行機や飛行船などを意味している。ライト兄弟の動力飛行の成功が1903年、そして『三四郎』発表が明治41年、1908年のことだ。」
「ライト兄弟の動力飛行の成功のニュースには多くの日本人に衝撃を与えんたんでしょうね。」
「実は、寺田も飛行機には並々ならぬ関心を寄せている。寺田の詠んだ短歌を見てみよう。これは1918年2月、『ローマ字世界』誌に掲載された「飛行機の歌」の八首のうちの一首だ。」(『寺田寅彦と現代』(池内了、みすず書房、新装版2020年、69-75頁)を参照)

プロペラの廻り出づればさながらに眠り醒めたる荒鷲のごと

「『三四郎』(1908年)が出てから十年経過した頃の歌だ。ライト兄弟の偉業以来、漱石と寺田はときどき飛行機の話に興じていたのだろうか。」
「なるほど、納得です。漱石も寺田も文理両道の人だったことが。」
「だから、他の人の小説と一風違ったテイストを滲ませていたのかも知れないね。」
「今度、漱石の作品を読むときは、少し意識して内容を吟味したいと思います。」
「僕こそ、そうするよ。何しろ、漱石初心者だからね。」
「ふむ。」

<<< 一期一会の本に出会う >>>

(1) 『夜空はなぜ暗い?』 by エドワード・ハリソンhttps://note.com/astro_dialog/n/n74ec5fa3dc93

(2) オルバースのパラドックスの徹底解明 『夜空はなぜ暗い?』 by エドワード・ハリソン に学ぶ
https://note.com/astro_dialog/n/n37a8fb2e4e23

(3) 2049年に一度、夜が来る惑星カルガッシュニスみたいですか?https://note.com/astro_dialog/n/n6440aa8d95ad

(4) 『漱石と「学鐙」』 夏目漱石は天文学に関心があったのか?https://note.com/astro_dialog/n/nf4444262e79d

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?