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一期一会の本に出会う (1)『夜空はなぜ暗い?』 by エドワード・ハリソン

カバー画像の色紙は京都の龍寶山大徳寺で購入したもので、「一期一会」と書いてある。


「銀河のお話し」の状況設定と同じです。「銀河のお話し(1)」をご覧下さい。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

夜空はなぜ暗い?

天文部の部室では、最近いろいろな話が出るようになってきて楽しい。銀河系という言葉の起源を探ってみたり、そこから今度は俳句談義になったりと、話題は繋がっていく。何にでも疑問を持つこと。分かろうが分かるまいが、好きなように考えてみる。それが一番だ。
さて、今日はどんな話題が出るだろう。そう期待しながら天文部の部長である星影輝明は放課後、いつものように天文部の部室に向かった。部室には常連の天文部員、月影優子が来ていた。まだ一年生だが、非常に熱心なので、輝明のよい話し相手になっている。
「優子、調子はどうだい?」
「はい、絶好調です。」
「素晴らしい!」
「とりあえず、元気が取り柄。そんな感じです。」
「今日は何か質問があるかな?」
「質問というわけではないんですが・・・・」
「はて?」
「この前、松尾芭蕉の俳句「荒海や佐渡に横たふ天河」の話が出ました。そのとき、芭蕉が見た夜空はどんな感じだったのかと気になりました。実際には雨が降っていたみたいですが、旅の道中、日本海の上に拡がる夜空を何回も見たと思います。」
「そうだね。晴れていれば、壮観だったろうな。何しろ当時は、街灯りがない。まさに星月夜かな。」
「そうですね。でも、星月夜でも、星のない方向の夜空そのものは暗いはずですよね?」
「なるほど、それが優子の今日のお題だね?」
「はい、そうでした。バレバレですね。」
「じゃあ、なぜ夜空は暗いのか。早速、考えてみよう。」

オルバースのパラドックス

「夜空はなぜ暗いのか? この問題は実は昔から議論の種になってきたんだ。」「はい、知っています。「オルバースのパラドックス」ですね?」
「おっ、それを知っているのなら、話は早い。」
「ちょっと前にエドガー・アラン・ポオの『ユリイカ』(八木敏雄 訳、岩波書店、2008年)を読もうとしたんです(図1)。結局、難しすぎて、すぐに挫折したんですけど、その中に夜空が暗いことの考察がありました。」
「これまた、すごい本に挑戦したね。僕も持っているけど、積読のままになっている本だ。ただ、あの本の表紙にある図には、痛く感動した。ちょっと、見てみよう。」
輝明はパソコンを立ち上げ、一枚のスライドを見せてくれた。
「これがポオの『ユリイカ』の表紙だ(図1)。」

図1 (左)エドガー・アラン・ポオの『ユリイカ』(八木敏雄 訳、岩波書店、2008年)、(右)米国の作家・詩人・評論家のエドガー・アラン・ポオ(1809-1849)。『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説として今でも評価が高い作品。

輝明部長のあまりの準備の良さに、優子は呆然としながらも、その図を見た。
「この図の意味ですが、よくわかりませんでした。」
「この図は「オルバースのパラドックス」を考えるとき、大切な図になる。そんなに難しいことじゃない。次のスライドを見てもらおうか(図2)。」

図2 エドガー・アラン・ポオの『ユリイカ』(八木敏雄 訳、岩波書店、2008年)の表紙にある図はどの距離でも表面輝度が同じ値になることを示すための図である。ここで仮定されているのは、宇宙における星の個数が無限大であり、星は宇宙に一様に分布していることである。その場合、距離B、C、D、Eのカバーする天域の広さはBでの広さを1とすると、C、D、Eでは4、9、16になる。その領域にある星の個数はBでの個数を1とすると、C、D、Eでは4、9、16になる。したがって、天域の表面輝度=(星の個数)/(天域の面積)はどの天域でも1になる。

輝明は説明を続ける。
「この図は、夜空は暗くならないんじゃないか、ということをわからせるための図だ。」
「どういうことですか?」
「優子、「オルバースのパラドックス」の内容は?」
「はい。
宇宙は無限に広いと仮定する。星が一様に分布していると、どの方向を見ても、いずれは一個の星を見る。だから、どの方向を見ても明るい(図3)。しかし、夜空は暗い。なぜだろう?
こういうパラドックスです。」

図3 宇宙が無限に広く、星が一様に分布している場合の夜空。どの方向を見ても、必ず一個の星に行き着く。そのため、夜空全体が明るく輝いて見える。

「うん、今、優子が言ったことを確認できる図なんだ。図2の下に表を見てごらん。星の個数無限大、星は一様分布の場合、どの距離にある天域でも表面輝度が同じになる。ここで、表面輝度は星の個数を天域の面積で割った明るさのことだ。」
「たしかに、どの距離にあっても表面輝度は一定になっちゃいますね。」
「そして、どんどん足し合わせていく。だから、夜空は明るく輝く。でも、夜空は暗い。優子だったら、このパラドックスをどう解決する?」
「あまりちゃんと考えたことはないんですけど、一番簡単な答えは「夜空を明るくするほど、宇宙には星や銀河がない」ということでしょうか?」
「優子、すごいよ! それが正解だ!」
「えっ? これでいいんですか?」
「うん、いろいろ計算して確認した人がいる。その結果、宇宙には夜空を明るくするほどの星は存在しないんだ。」
「なあんだ、結構簡単に解けるパラドックスだったんですね。」

一期一会の本に出会う

「そういえば、オルバースのパラドックスの解説をしている本はあるんですか?」
「うん、このパラドックスは宇宙論に関連した有名なものなので、いろんな本で紹介されている。」
「じゃあ、どの本を見ても、パラドックスの解き方がすぐわかるんですね?」
「ところが、そうじゃない。」
「えっ?」
「ほとんどの本の解説は間違っているんだ。」
「そんな、バカな!」
「ところが、それが現実なんだ。」
「いったい、どんな説明がされているんですか?」
「一番多いのは「宇宙が膨張しているから」という答えだ。」
「そもそも夜空を明るくするほどの星がないんだったら、宇宙が膨張はどうでもいいことのように思えますが・・・。」
「それが正しい。しかし、宇宙膨張説は大人気なんだ。」
「あとは?」
「うん、宇宙の大きさは無限ではないこと。宇宙の年齢は138億歳なので、有限だ。だから、宇宙の大きさも有限ということで問題ない。しかし、「宇宙の大きさが無限か有限か」が大切なわけではない。「夜空を明るくするほど、星があるかどうか」が問題なんだ。」
「その通りだと思います。正解が書いてある本はあるんですか?」
「うん、2022年までに出た本を48冊調べて、二冊見つけた。」
「えっ? たった二冊ですか?」
「わずか二冊とはいえ、あってよかった。特に、次の一冊は素晴らしい。何しろオルバースのパラドックスに特化した本だからだ(図4)。」

『夜空はなぜ暗い? オルバースのパラドックスと宇宙論の変遷』エドワード・ハリソン、長沢 工 監訳、地人書館、2004年

図4  エドワード・ハリソンによる『夜空はなぜ暗い? オルバースのパラドックスと宇宙論の変遷』。地人書館から2004年に刊行された(初版第1刷)。重要な記述があるところには付箋紙が貼ってある。

「実は、この本をなぜ買ったのか、覚えていない。」
「えっ? そうなんですか?」
「まあ天文関係の本なんで、とりあえず買っておこうぐらいの気持ちで買ったんじゃないかと思う。」
「消極的購入という感じですね。」
「でも、今になって考えると、買っておいてよかった。何しろオルバースのパラドックスについてまともな解説をしているのはこの本だけだからだ。」
「本は一期一会ですね。」
「そうなんだ。このハリソンの本は僕にとって、まさに一期一会で出会った本のように思える。」

オルバースのパラドックスを解く

「では、ハリソンの結論を見ておこう(282頁)。

近代的議論にしたがって、現在の宇宙では、明るい空を作り上げるのにエネルギーが十分でないという結論を示すことができる。

エネルギーが十分ではない。この意味するところは、夜空を明るくするだけの星を作る物質がこの宇宙にはないことを意味している。物質のエネルギー(E)と質量(m)は等価である。これはアルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論から導かれる関係、 E = mc2(cは光速)のことだ。結局、この宇宙は物質不足、つまり物質の持っているエネルギーは不足しているということだ。そのため、夜空は明るくするほど星を造ることができない。答えは、かくも単純なんだ。宇宙が無限か有限かは関係ない。宇宙膨張の効果など、まったく問題外のことになる。膨張していなくても、夜空は暗いんだから、考える必要はない。」

「そういえば、もう一冊の世界が書いてある本があったんですね?」
「その本は『宇宙に法則はあるのか』(ジョン・D・バロウ 著、松浦俊輔 訳、青土社、2004年)だ。こちらは宇宙論の解説書なので、オルバースのパラドックスに関する説明はわずかしかない。ただ、ハリソンの結論と同じなので、よい本だと思う。」

なんでこうなるの? ― さまざまな解決法

優子が不思議そうに、輝明に尋ねる。
「単純なパラドックスのように思えるのに、どうしてほとんどの本で、説明が間違っているんですか?」
「たしかに、不思議だ。手元にある天文関係の本、48冊を調べた。その結果、正解が書いてあるのは2冊だけで、残り46冊には誤った説明が書いてある。」
「どんな説明が多いんですか?」
「統計をとってみた結果を見せよう(図5)。」

図5 辞典(事典)、教科書、解説書で説明されている「オルバースのパラドックス」の解決法。

「ずいぶん、いろいろな解説があるんですね。」
「オルバースのパラドックスで仮定されていることは、無限に広い宇宙、無限個の星、そして星(銀河)の一様分布だ。仮定の間違いに着目すると、「無限」が間違っていそうだ。それで、有限性に原因を求めた解答が多い。これは当然だ。そして、驚くべきは宇宙膨張の効果を解答とすることだ。これは、まったくの間違い。宇宙が膨張していなくても、そもそも夜空を明るくするほど星がないんだからね。」

どうして間違えるのか?

優子は相変わらず首を捻り、考えている。
「オルバースのパラドックスは歴史もあるし、とっくに解決済みのものだと思っていました。それなのに、ほとんどの本で間違った解説がされている。これはホントに不思議としか言いようがありません。なぜ、こうなっているんでしょうか?」
輝明も困り果てた感じだ。
「なんとも言いようがないんだけど・・・。」
少し考えてから、輝明がひとつの案を提案した。
「こういう論理かな。
オルバースのパラドックスは19世紀に提案されたものである
→  今までに十分考察されてきたので、解決法は確定している
→  信頼できる過去の文献に書いてある解決法を採用すれば事足りる
こう考えてしまうと、過去の文献に頼っておしまいにすることが起こる。つまり、自分できちんと検討せずに、過去の本に書いてあることを、そのまま書いて済ませるわけだ。」

「オルバースのパラドックスの名付け親であるボンディが書いた本が原因になっている可能性もある。」
「それは、どういうことですか?」
「『ひろがる宇宙 その絶え間なき変遷』(小尾信彌 訳、河出書房新社、1968年)という本がある。この本の第2章にパラドックスの解答が書いてある(38頁)。

天文学上の観測で一番明白な夜空は暗いという事実は、ほとんど直接に宇宙の膨張という結果を導くのである。これは、現代天文学によって発見された注目すべき、かつ重要な現象である。

ボンディは超有名な物理学者だ。これを読んだら「夜空が暗いのは宇宙が膨張しているから」であると信じてしまうだろう。」
「うーん・・・。」
優子は唸ったまま目を閉じた。
そして、ボソッと言った。
「ダメだ、こりゃ。」

<<< 補遺 >>>

2022年までに出版された天文学の辞典(事典)、教科書、解説書における「オルバースのパラドックス」の説明をまとめた資料です。お時間のあるときにご覧ください。

表1 天文学の辞典(事典)におけるオルバースのパラドックスの解決法
表2 天文学の教科書におけるオルバースのパラドックスの解決法
表3 天文学の解説書におけるオルバースのパラドックスの解決法


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