見出し画像

「宮沢賢治の宇宙」(23) 銀河系統を解き放てるか? ビッグ・リップか、真空崩壊か?


「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

銀河系統を解き放て

〔断章六〕
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て  
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第四巻、筑摩書房、1995年、298頁)

これは宮沢賢治が四年間勤務した花巻農学校を退職するときに、生徒のために書いたものだ。〔「詩ノート」付録〕〔生徒諸君に寄せる〕の中に出てくる。
新しい時代のコペルニクスよと言っているので、生徒を鼓舞する言葉だろう。しかし、余りに重苦しい重力の法則から この銀河系統を解き放てという文章をどのように解釈したらいいのだろうか? 謎の文章だが、あまり議論はされていないようだ。天文部の部長としては、少し考えてみたいテーマだ。誰もいない天文部の部室で、星影輝明は顎に手を当て、少し屈んで膝の上に片肘をついて考え始めた。まるでロダンの彫像「考える人」のようになった。

すると、部室のドアが開いた。
「部長、こんにちは!」
元気な声の主は一年生部員の月影優子だ。
輝明は決めた。
今日のテーマは銀河系統。優子を相手に考えてみよう。

「銀河系統」とは何か?

「いいところに来た、優子。」
「部長、また何か問題を思いついたんですか?」
「バレたか。」
「そりゃ、バレバレですよ。「考える人」になっていたんですから。」
「やれやれ。」
「では、今日のテーマを説明してください。」

輝明は用意してあったスライドで、賢治の〔「詩ノート」付録〕〔生徒諸君に寄せる〕の中に出てくる〔断章六〕の文章を優子に見せた。
「以前の部会で、天の川銀河のことをなぜ銀河系というか、話をしたことがあったよね。」
「はい、覚えています。」

note 「銀河系のお話し」(2)宮沢賢治は、なぜ「銀河系」という言葉を知っていたのか? https://note.com/astro_dialog/n/nfcea0e50e032

「そのとき、「銀河系統」という言葉を紹介した。」
「ちょっと聞かない言葉ですけど、結局、銀河系のことなんですよね。」
「そうだね、それ以外考えられない。あのときも話したけど、当時は太陽系のことを太陽系統と言ったり、どうも系統という言葉が好まれていたんだろうね。」

さて、ここからが今日のテーマだ。輝明はちょっと咳払いをして話を続けた。

銀河系統を解き放てるのか?

余りに重苦しい重力の法則から この銀河系統を解き放て。これはいったいどう意味なんだろうか? 銀河系を重力から断ち切り、壊しなさいと言っているとしか思えない。」
「そんなことができるはずがないですよね。」
優子は若干、バカバカしくなってきた。
「誰しもそう思う。実際、僕もそうだ。ところが、調べてみると、そうでもないんだ。」
「えっ? 何か方法があるんですか?」
「その立役者はダークエネルギーと呼ばれる未知のエネルギーだ。それともうひとつ。」
「まだあるんですか?」
優子は驚いて輝明を見つめる。
「宇宙そのものの性質だ。」

優子はキョトンとした顔をしている。宇宙そのものの性質で銀河系を重力から断ち切り、壊せるとは思えない。今日のテーマは面白いけど、果たして答えが見つかるのだろうか? 優子は少し不安に思った。

宇宙の未来予想図

「まず、調べたことを話そう。銀河は簡単には壊せそうもないから、長いタイムスケールの話になると思った。」
「なるほどですね。」
「そこで、僕たちの住んでいる宇宙の未来予想図を考えてみた。もちろん、よく理解できていないことが多い。だから、可能性の話だと思ってほしい。」
「はい、了解です。」
「宇宙の未来予想図は大きく分類すると5通りになる(表1)。

輝明はスライドに分類の結果を映し出した。

 

「ビッグ・フリーズ、ビッグ・リップ、ビッグ・クランチ、サイクリック宇宙、そして真空崩壊。うーん、意味不明です。」
優子はスライドを眺めながらため息をついた。
「まず、この表の説明を読んで、概略をつかんでほしい。」
「はい、わかりました。」
「ついでに図解したスライドも用意した(図1)。こっちの方がわかりやすいかな。」
「わあ、なんだか、華々しいスライドですね。」

図1 宇宙の未来予想図。可能性のある五つの宇宙の未来が示されている。外側に行くほど、時間が経過している。

加速膨張モデル

「ざっと、説明しよう。まず、「加速膨張」モデルだけど、これは現在観測されている宇宙の行末だ。ダークエネルギーと呼ばれる未知のエネルギーがこの宇宙の膨張を加速している。何事もなければ、このまま加速膨張を続けていくだろう。」
「どうなるんですか?」
「宇宙は膨張するにつれて温度が低くなる。何しろ断熱膨張だからしょうがない。行く着く先は限りなく温度の低い宇宙。10の100乗年も経つと、温度は絶対零度、マイナス273度に近づいていく。そのため、このモデルはビッグ・フリーズと呼ばれている。凍りつくなんてものじゃないけどね。」
「銀河は生き残っているんですか?」
「うーん、生き残っているとは言えないな。あるのは銀河を取り囲んでいたダークマターの塊があるだけだからだ。」
「そうか、星の寿命は一番軽い星で5兆年程度でしたね。今から10兆年も経てば、星の残骸だけ残っている感じですね。」
「そうだね。白色矮星、中性子星、ブラックホール。これらがダークマターのハローの中にあるだけだ。」

ビッグ・クランチとサイクリック宇宙

「ビッグ・クランチとサイクリック宇宙モデルでは、あるときから宇宙が収縮し始めることを想定する。」
「そんなことあるんですか?」
「現状の物理の知識では難しい。加速膨張を止めるには、何かブレーキが必要だ。普通、ブレーキをかけるのは物質による重力だ。でも、そんなに物質がないから加速膨張している。」
「じゃあ?」
「例えば、加速膨張を担うダークエネルギーが物質化すれば収縮が可能になる。でも、そんなことが起こるかどうかわからない。」
「仮に収縮し始めたら、ビッグ・クランチでは宇宙は点のような小さなものになっておしまいということですね?」
「そのとおり。クランチは潰れることを意味する。一過性で終わればビッグ・クランチ。クランチしたとき、再びビッグバンのような現象が起これば、また膨張が始まる。このように、膨張と収縮を繰り返すのが、サイクリック宇宙モデルだ。」
「宇宙が収縮に転じるメカニズムがわからないから、二つとも、あんまり可能性は高くなさそうですね。」

ビッグ・リップ

「次はビッグ・リップだ。僕たちの身体や地球は元素でできている。酸素、窒素、炭素、マンガン、アルミニウム、鉄などの元素だ。この宇宙は元素できていると思いたいところだが、実はまったく違う。宇宙の組成を調べてみると、元素の占める割合はたった5パーセント。残りは26.5パーセントがダークマター(暗黒物質)、そして68.5パーセントがダークエネルギー(暗黒エネルギー)になっている(図2)。」
「ダークマターは正体不明。ダークエネルギーも正体不明。私たちはまさに暗黒宇宙に住んでいるんですね。」

図2 宇宙の成分表。アインシュタインの特殊相対性理論から質量とエネルギーは等価である。それを考慮して、この図は描かれている。

「そうだね。現在のところ、ダークマターもダークエネルギーも正体不明。ダークマターは未知の素粒子であると推定されてるけど、決着はついていない。ダークエネルギーに至っては皆目見当がつかない状況だ。ダークエネルギーは宇宙に満ちており、負の圧力を持っているため、この宇宙をどんどん膨張させている。これが加速膨張と呼ばれる現象だ。」
「加速膨張を止めるのは難しそうだから、ビッグ・フリーズが一番ありそうな気がしますね。」
「宇宙はエネルギーを持った空間だ。このような空間の状態を表す方程式がある。」
「物理で習う状態方程式のことですか?」
「そうだよ。たとえば、空気にも空気の状態方程式がある。圧力、密度、温度などの物理量にはある関係式が成立するということだね。」
「はい。」
「この状態方程式を特徴づけるパラメータがあって、状態パラメータと呼ばれる、これは高校の物理では習わないんだけど、w = p /ρで表される量だ。p は圧力、ρは密度。」
「確かに、初めて見ます。」
「ダークエネルギーの持つ圧力がプラスであれば、宇宙を圧縮して縮めていく効果を示す。しかし、実際は逆だ。ダークエネルギーの持つ圧力はマイナスであることがわかっている。したがって、wの値もマイナスになっている。」
「ホントに不思議で、チンプンカンプンです。」
「w = —1.5 の場合、とんでもないことが起こると予想されている。宇宙全体が木っ端微塵になって大爆発を起こす。なんと、原子レベルまで破壊されてしまうんだ。」
「ということは、銀河系統は壊される?」
「ピンポーン!」
「部長、ピンポーンなんて言っている場合じゃないですよ。」
「確かにそうだった。この大爆発がビッグ・リップと呼ばれるシナリオだ。リップはlipじゃなくて、ripの方だ。lipは唇だけど、ripは破壊されるという意味だ。」
「日本人には紛らわしいですね。」
「w = —1.5 のダークエネルギーは特別に「ファントム(幽霊)・エネルギー」と名付けられている。」
「w の値は調べられているんですか?」
「天文学者たちはさまざまな方法で w の値を調べている。今のところ得られている値はw = —1 に近いようだ。だから、ビッグ・リップは起こりそうもない。しかし、油断は禁物。ダークエネルギーがいつまで今の性質をキープするか、わからない。」
「起こるとすれば、いつ頃なんですか?」
「数百億年後とか数千億年後だ。あまりにも遠い未来のことなので、どうでもいいかな。」

真空崩壊

「さて、最後は真空崩壊だ。」
「もう、名前からして怪しいですね。」
「真空と聞くと、空っぽの空間で何もないと思う。だから一種類しかないと思ってしまう。ところが、真空にもエネルギーがあるので、そうは簡単いかない。」
「イメージが湧かないです。」
「まず、「真」の真空がある。これはエネルギーが一番低い状態なので、真空にとっては最終的な安定状態になる。一方、「偽」の真空はそれよりエネルギーが高い状態にある。この宇宙が「偽」の真空の場合,真空崩壊が発生して宇宙は壊れる。それまで存在していた宇宙が、ガラッと姿を変えるような感じだ。」
「それまであった星や銀河は?」
「全部、壊れる。」
「いつ頃起こるんですか?」
「まったく、わからない。そもそもこの宇宙が「偽」の真空なのかもわかっていない。でも、その確率は高いだろうね。」

「余りに重苦しい重力の法則から この銀河系統を解き放て」 これができるのは?

「さて、賢治の願いをもう一度見ておこう。
余りに重苦しい重力の法則から この銀河系統を解き放て
銀河は重い。天の川銀河の質量はダークマター込みで太陽の質量の1兆倍もある。」
「それを解き放つわけですか。大変ですね。」
「重力の法則から解き放つという意味で可能性があるのはビッグ・リップと真空崩壊の二つだ。」
「でもダークエネルギーの状態パラメータは w = —1.5 ではなく、w = —1なんですね。」
「現状ではビッグ・リップは起こりそうもない。」
「ということは真空崩壊が最有力候補として残るんですね。こんなこと、賢治さんは知っていたんでしょうか?」
「今日話したことは21世紀の科学の成果だ。さすがの賢治さんも知らないだろう。賢治さんは生徒に言いたかったんじゃないかな。重力の法則を打ち破る方法を考えてごらんと。」
「夢を持て! そういうことですね。」
「まあ、言われる生徒さんたちは大変だけど・・・。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?