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ニュートリノ:素粒子の標準理論に修正を迫るニュートリノ振動と宇宙背景ニュートリノ

ニュートリノは,私たちの身の回りに数多く存在している素粒子のひとつです.たとえば,私たちの人体からもニュートリノは放射されています.私たちが口にしている食品にも微量ながら放射性物質が含まれていて,それらが放射性崩壊を起こす際にニュートリノが発生するためです.その数は放射性物質の摂取量によって異なりますが,1秒間におよそ3000個ものニュートリノが発生していると考えられています.

地球の内部からもニュートリノは放射されています.地球の内部にはウランやトリウムといった放射性物質が大量に存在しているためです.実は地熱のおよそ半分はそれらの放射性崩壊によるエネルギーによって生じていると考えられています.地球内部での放射性崩壊で生じるニュートリノの数は,地表面で1平方センチメートルあたり毎秒20万個を超えています.

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さらに上空からも大量のニュートリノが降り注いでいて,最も多いのは太陽からのニュートリノです.太陽の中心部では水素の核融合反応によってヘリウムがつくられていますが,その反応の過程でニュートリノが生じています.太陽から放射されているニュートリノの数は桁違いに多く,地球上に届く数は1平方センチメートルあたり毎秒660億個にも及びます.

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そうしたありふれた存在のニュートリノですが,電荷を帯びておらず他の粒子とほとんど相互作用しないため,発見されたのは1950年代に入ってからでした.さらにさまざまな観測から示されたニュートリノ振動という現象は,素粒子の標準理論の枠組みを超えたものであり,物理学に大きなインパクトを与えた結果でした.またニュートリノは,宇宙の極初期を観測する上でも有用であると考えられています.今回はこの世界を理解する上で重要な存在とされるニュートリノについて紹介していきます.


ニュートリノの予言と発見

ニュートリノの存在は,1930年にスイスの物理学者ヴォルフガング・パウリによって予言されました.当時,放射性崩壊の一種であるベータ崩壊において,奇妙な現象が起きることが知られていました.ベータ崩壊は,原子核で中性子が陽子に変化して電子が放出される現象です.ベータ崩壊前後での質量差から,質量とエネルギーの等価性すなわち$${E=mc^2}$$をもとにすると,電子が運動エネルギーとして持ち去るエネルギーが計算できます.しかし,そうして計算されたエネルギーに比べて,なぜか実際に電子が持ち去っているエネルギーは小さかったのです.エネルギー保存則が破れている可能性すら議論されたほどでした.

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そんな中パウリは,ベータ崩壊において放出されるのは電子だけではなく,何らかの電気的に中性な粒子も一緒に放出されているという仮説を発表しました.この仮説は1934年,イタリア出身の物理学者エンリコ・フェルミによって再構築され,その際この中性粒子は「中性の小さな粒子」という意味を持つニュートリノと名付けられました.

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ニュートリノは中性で質量もきわめて小さいため,検出には困難を極めました.初めて検出に成功したのはアメリカの物理学者フレデリック・ライネスらによる実験でした.ライネスらはアメリカで最初の商業用原子力発電所に着目しました.原子炉でエネルギーを発生させる仕組みは核分裂ですから,その近くにニュートリノの検出器を置けばニュートリノを捕まえられると考えたのです.そこで1953年から1959年にかけて実験を実施し,見事にニュートリノの存在を証明しました.

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太陽ニュートリノの欠損問題

1970年代には,アメリカの物理学者レイモンド・デイビスが,太陽からのニュートリノを観測するための実験を系統的に実施しました.ニュートリノは他の物質とほとんど相互作用しないため,太陽中心部の核融合反応で生じたニュートリノは,太陽内部をほぼそのまま通過して地球へと届きます.そのため,ニュートリノ観測によって,太陽中心部で起きている核融合反応をほぼリアルタイムに調べることができます.

https://www.bnl.gov/newsroom/news.php?a=110496

デイビスの結果は驚くべきものでした.太陽からのニュートリノの量は,理論的な予想と比べて3分の1程度しかなかったのです.ニュートリノの数が少ないことは,太陽内部で何らかの異変が起きている可能性がありました.ただ,デイビスの行なった実験は非常に難しいものだったこともあり,この「太陽ニュートリノ問題」は,当該分野のコミュニティからは当時それほど信用されませんでした.

Cleveland et al. (1998) Figure 15

そこで独立な検証を行うため,日本の物理学者小柴昌俊は,カミオカンデによる太陽ニュートリノ観測を始めることを提案しました.カミオカンデは当初,陽子崩壊と呼ばれる現象の検出のために建設されました.当時,電弱力と強い力を統一しようとする理論研究によって,陽子の寿命は10の30乗年と予想されていました.この寿命は宇宙年齢と比べても途方もなく長いものですが,あくまでも平均寿命です.崩壊は確率的に起こりますから,たくさんの陽子を集めれば十分に短い期間での実験で崩壊を検出できる可能性があります.

https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/sk/pdecay-e.html

そこでカミオカンデでは,巨大な水槽に3000トンもの純水を溜めて実験を行いました.10の32乗個もの陽子を含むこの純水の周囲に光電子増倍管を設置して,陽子崩壊の後に生じるチェレンコフ光を検出しようという実験です.当初,理論予想が正しければ,この実験を三年ほど実施することでたくさんの陽子崩壊が検出されると考えられていました.しかし実際は陽子崩壊はまったく検出されず,理論に修正を迫る結果が得られることになりました.

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陽子崩壊に対して意味のある結果が得られた中で,次なるターゲットとなったのが太陽ニュートリノでした.ただ,陽子崩壊と比べると,太陽ニュートリノによって実験装置で発生するエネルギーはわずか1%程度しかなく,発生するチェレンコフ光も弱いため,太陽ニュートリノを検出するためには装置の感度を十分に上げるとともに,バックグラウンドノイズを十分に下げる必要がありました.さまざまな試行錯誤の末,なんとか太陽ニュートリノの観測を始められる態勢になったのは1987年1月でした.そこからわずか1ヶ月後,歴史的な天体現象が発生します.

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https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/physics/solarnu.html


超新星1987Aと太陽ニュートリノ欠損の検証

1987年2月23日,約16万光年彼方にある銀河,大マゼラン雲で超新星爆発が観測されました.超新星1987Aと呼ばれます.超新星爆発は,恒星の進化の末に起こる現象です.恒星の質量が十分に重い場合,中心部で核融合反応の燃料がなくなるなどすると自身の重力のために収縮していき,やがて重力崩壊を起こすと考えられています.電子は陽子に結合されていって中性子となり,その際にニュートリノが放出されます.中性子過剰となった中心部は原始中性子星となり,さらに落下してきた物質を跳ね返して衝撃波を生じさせることで外層で爆発を起こすと考えられています.

http://www.hyper-k.org/physics/phys-neutrino.html

超新星1987Aによって,カミオカンデでは11個のニュートリノが検出されました.他にもアメリカやロシアの観測施設でもニュートリノが検出され,人類が初めて超新星爆発からのニュートリノを直接観測した事例となりました.そして解析の結果,重力崩壊から超新星爆発に至る理論的なシナリオが正しいことが裏付けられました.電磁波ではないニュートリノによって遠く離れた天体現象を調べることに成功したことで,「ニュートリノ天文学」という研究分野が大きく注目されることになりました.

http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/Astro/sn87a.html

超新星1987Aという突発天体によってニュートリノの検出性能が世界中に認められた中,カミオカンデでは太陽ニュートリノの観測が進められていきました.そしてその結果,検出された太陽ニュートリノの数は,理論から予想されている数の半分程度しかないことがわかりました.その後,欧米諸国による実験も実施され,同様に太陽ニュートリノの欠損が確認されました.

太陽ニュートリノの欠損は,太陽内部で何らかの異変が起きている可能性,あるいはニュートリノに何らかの未知なる性質がある可能性を示唆しています.これらのうち,太陽内部については,太陽表面の振動を観測することで間接的に調べることができます.日震学と呼ばれます.ただ,日震学にもとづいた解析からは,太陽内部での大きな異変は特に見当たりませんでした.

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ニュートリノ振動

同じ頃,カミオカンデではニュートリノに関してもう一つ別の問題にも直面していました.大気ニュートリノに関する問題です.宇宙線として地球に降ってきた陽子やヘリウム原子核は,大気中の原子と反応することでさまざまな反応を起こし,結果として電子ニュートリノとミューニュートリノを生じます.カミオカンデではそれらも検出することができますが,電子ニュートリノが理論予測とよく合っているのに対して,ミューニュートリノは理論予測の半分程度しか検出されていませんでした.

興味深いことに,ミューニュートリノの量は,発生した場所からカミオカンデまでの距離が長いものほど,理論予測より少なくなっていることがわかりました.この結果を説明できる仮説がニュートリノ振動です.ニュートリノは電子,ミューオン,タウ粒子のいずれかのフレーバーを持ちますが,ニュートリノが伝わっていく過程でその存在確率が周期的に変化するという考え方です.ただしこの現象はニュートリノが質量を持つことによって起きるものであるため,ニュートリノの質量をゼロとしている素粒子の標準理論では説明できない現象です.

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太陽ニュートリノや大気ニュートリノでの欠損問題の解明に早く近付くため,カミオカンデをアップグレードさせた新たな実験設備であるスーパーカミオカンデが1996年に建設されました.スーパーカミオカンデによる観測の結果,大気からのミューニュートリノの異常がより精密に明らかにされました.そしてその結果は,ニュートリノ振動の理論から予想されるものとよく一致することがわかり,ニュートリノの質量をゼロとしていた素粒子の標準理論に修正を迫る重要な成果として大きな注目を集めました.さらに,太陽ニュートリノについても,カナダのサドベリー・ニュートリノ観測所による結果と合わせることで,ニュートリノ振動で説明できることが示されました.

https://www.facebook.com/Super-Kamiokande-215989745090381/photos/1297374343618577
https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/sk/neutrino-e.html


宇宙背景ニュートリノ

ニュートリノは他の粒子とほとんど相互作用しないため,太陽内部や超新星爆発の直前の様子,また地球内部についても調べることを可能としてくれますが,原理的には誕生後まもなくの宇宙を観測する上でも有用であると考えられています.ビッグバンから約38万年後,宇宙空間を満たしていた陽子と電子が再結合したことで光がまっすぐ進めるようになった頃の熱放射に相当するのが宇宙マイクロ波背景放射です.ただ,それより前の時代については,光が電子によって散乱されてしまうため,光によって観測することはできません.

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しかしニュートリノであれば,それより前の時代を調べることができると考えられます.ビッグバンから約0.1秒の間は,ニュートリノでさえも活発に他の粒子と相互作用してしまうほど宇宙はきわめて高温高密度の状態にありましたが,0.1秒を過ぎるとニュートリノはまっすぐ進めるようになったとされています.そしてそのとき宇宙を満たしていたニュートリノは,宇宙マイクロ波背景放射と同様に全天からの背景放射として観測されると期待されます.もし宇宙背景ニュートリノを検出できれば,宇宙誕生からわずか0.1秒という極初期の宇宙を調べることが可能となります.

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ただ,宇宙背景ニュートリノのエネルギーはきわめて低いため,その検出は困難であると考えられています.超新星ニュートリノのようにエネルギーの高いものでさえ,近傍宇宙で生じたものでもカミオカンデでわずか11個しか検出できませんでした.宇宙背景ニュートリノのエネルギーは現在10のマイナス4乗電子ボルト程度しかないと考えられています.ニュートリノの検出はエネルギーが下がるほど難しくなりますから,宇宙背景ニュートリノの検出はきわめて困難と言えます.今後の研究により画期的な実験のアイデアが生まれ,そうした極初期の宇宙も観測されるようになることを期待したいです.


参考文献

ニュートリノでわかる宇宙・素粒子の謎
https://amzn.to/3648hPm

ニュートリノとニュートリノ振動 - スーパーカミオカンデ
https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/sk/neutrino.html

ニュートリノとは? - 千葉大学ハドロン宇宙国際研究センター
http://www.icehap.chiba-u.jp/neutrinos/index.html


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