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【コラム】「帝京の呪縛」とうる星やつら

ここがすごい!帝京平成大学!
健康・医療・スポーツ・経営学など幅広い学問を学べるんだぞ!(ドン!)

テイキョウ・ヘイセィ・ダイガク 

もはや覚えてしまった。何も見ないで書いたので、まちがってたらこっそり教えてください。

おい、満足しろよ。アストロです。

満足神Ccapac Apuコカパクアプ

1981年にフジテレビ系列で放送された人気SFラブコメアニメ、「うる星やつら」が同フジテレビの深夜アニメ枠であるノイタミナでリメイクされたのもまだ記憶に新しい今日この頃、ニコニコ動画やYouTubeで大流行した動画がある。それが「テイキョウ・ヘイセィ・ダイガク」だ。

これは「帝京平成大学」という実在の大学の、ファミリーマート店内での広告を主な素材とし、リメイク版のうる星やつらのedである「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」を改変したMAD動画だ。

この記事では、この流行の原因、そして見出しにあるような「呪い」と称すに至った経緯も併せて、コラムという形式で満足していこうと思う。デュエル!

「テイキョウ・ヘイセィ・ダイガク」のここがすごい!

知名度

帝京平成大学のそのCMの担当声優は、大人気アニメであるONE PIECEのキャラクターを務めている人がほとんどだ。そのために、まるで大学と無縁であるにもかかわらず大学を宣伝するONE PIECEキャラという構図が作り出せてしまう。つまりこの時はまだ帝京平成大学とONE PIECEのMADであり、帝京平成大学自体というよりは、それを紹介するONE PIECEのキャラクターが面白がられていた。

また、ONE PIECEとうる星やつらの視聴者層、ジャンルの解離も大きい。ONE PIECEが好きでそのMADを見ている人にとってこのMADの曲は真新しいものであり、同曲の曲としての良さも相まって流行の原因となった。うる星やつらの、現代人からの知名度の低さと、ONE PIECEの知名度の高さが相乗効果を生んだのだ。

MADとしての完成度の高さ

このMADは、そもそもMAD作品としての完成度が高い。本編を見てまず最初に思うのが、原曲のリズムの複雑さ、曲調の変化をしっかりと捉え、それでいてしっかり崩さずにキャラのセリフを落とし込む技術力の高さは、動画編集やMAD作成を挫折したものとしては素直に尊敬できる。

ギャグセンスの高さ

サビを除いたうえで、動画中で人気の高いシーンがBメロだ。ワンピース本編にも存在する、「チョッパーの仲間入り」のシーンの改変になっており、人気の高いセリフである「うるせェ!いこう!」をうるせいやつらとかけ、「うる星ェ!いこう!」とした部分は、そこがちょうどサビに入る部分だったこともあり視聴者の印象に残る。

サビの中でもそのセンスはもちろん健在であり、おなじワンピース内でのネタで人気の高い「シャンクスの目覚ましじゃんけん」がなんの脈絡もなく盛り込まれており、しかし良いテンポにより違和感なく笑いどころとして機能している。

ここまでで、このMAD作品の完成度の高さは再確認できたであろう。

帝京の「呪い」とは何か?

侵食されたコメント欄

人気MAD作品について回る問題、そして一部の人に嫌われる原因がコメント欄問題だ。

侵食されたコメント欄①(名前は隠してあります。)
侵食されたコメント欄②

なにが、面白いのだろうか。

やってることは荒らしである。

MADからこの曲を知った人が大勢いるのは仕方のないことだ。うる星やつら、ひいてはトウキョウシャンディランデヴの知名度と、ワンピースという作品の知名度、そして帝京平成大学というネタの人気さの乖離は、MADの人気爆発の原因の一つではあった。しかし、その場合ついて回るのがこの問題。

原曲は「花譜」さんが歌っており、歌手からこの曲を知った人も多い。また、edとして起用されたアニメの完成度の高さから、アニメで知った人も多い。

共通点は、「それらは帝京平成大学もワンピースも知らない」ということだ。帝京平成大学の広告はもともとネタにされてはいたが、それもTwitterや掲示板サイトなどの、それもワンピース界隈の人の間で流行していたネタである。

重要なのは、花譜氏はバーチャルシンガーソングライターとして活動している人物であり、ワンピースやましてや帝京平成大学との接点が一切ないことである。

うる星やつらに関しても、深夜アニメであり、これも両方に接点が全くない。

ネタが、通じないのである。

いや、通じるわけがない。

画像②の中に記載があるが、「あの動画」とはその後の文からして「おとわっか」であろう。この時は僕自身コネクトという楽曲をおとわっかから知った身。だが、今回は逆の立場になった。それで分かったことがある。

何にも面白くない。

コメント欄がMAD関連のものばかりになると、曲の良さについて語りたい人からすれば邪魔以外の何物でもない。コメント欄で、純粋に曲を褒めるコメントにいいねして共感し、満足したいのだ。

それが、疎外されてしまうのだ。僕は思った。「自分のコミュニティに帰れ」と。ここだけは、曲のコメント欄だけは侵食されてほしくなかった。どこを見てもMADだらけ。それこそTwitterで呟けばたちまち帝京になってしまうだろう。それは、Twitterという場が非常にオープンで、誰からでも見れるからであり、しょうがない。

だが、動画のコメント欄は、その動画を見に来た人だけのものなのだ。ともすれば、そんなコメント欄に別の動画のことを持ち込むべきではないのではないか。僕はそう思う。

これが、帝京平成大学のみならず、おとわっかなどのMAD作品を、「呪い」と呼ぶわけである。

引き継がれる「帝京の呪い」

一度聞けばもう鳴りやまないあの音楽。MAD界隈とも親和性が高く、被害を受ける人が0に近しいあの音楽。

Unwelcome schoolである。

きっと、いまこのパラグラフを読んでいるすべての人の脳内に流れていることだろう。
そして、肩を、首を、足を、無意識に揺らしているのだろう。

「ノリノリ○○」シリーズ。同曲の帝京平成大学MADである。

もともとこの曲はブルーアーカイブというゲームの曲であるが、同ゲームがすでにアングラ向けな側面が強く、MAD民と掲示板サイトの大半を占める「陰キャ」に人気のゲームであったために、そもそもニコニコ動画を中心に拡散されるMAD動画との親和性が高く、被害者が出ず楽しめる人が多い。

もともとヤンクミMADとかいう帝京と比べ物にならない大きな呪いを背負っていたのも大きい

これから流行るMADも、被害者の少ないMADであってほしいものだ。


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