【天才になれなかったすべての人へ。】
※今回はSakurakoの秋の読書感想文です。
はじめに
漫画を人に薦めるって、割とハードルが高い。自分の人生観とか、性格とか、過去のトラウマとか、いろんなものが混ざり合って心に刺さった作品を誰かに「ねぇ、これマジ刺さるから読んで!」なんて言うのは「私のことを知って!」と言ってるのになんか近い感じがするのだ。かなり自意識過剰なのだろうけど。
そんでもって、ここ最近「お薦め教えて」と言われて提案するのは『左ききのエレン』だった。
『左ききのエレン』あらすじ
凡人ながらも何者かになりたい一人の少年の朝倉光一と、繊細すぎるが故に前に踏み出せない天才少女の山岸エレンの出会いから始まる、広告業界とアート業界を舞台にしたクリエイター群像劇。
光一とエレンが高校生だった1998年と、光一が駆け出しのデザイナーとして仕事に苦悩する2008年の、二つの時間軸が交錯しながら進行する。-漫画ぺディアより
芸術の道を志した先、広告業界を選んだ光一と、画家以外になれなかったエレン。この2人を軸に物語は進む。
単行本は全24巻。
自らの才能に悩み、足掻く人間描写
なにが面白いって、「天才vs凡人」みたいなコントラストも分かりやすくありつつ、結局はみんな自分の才能と闘っていて、そこには凡人も天才もなく、等しく葛藤しているとこ。
左ききって、「天才」って意味もあるけど、フランス語で「左」というと、不器用な、歪んだっていう意味にもなる。
天才ほど無難な生き方ができない。常に才能が原因で苦しんでるのかもしれないね。
そして「いちばんになれなかった」人たちは、出来ることをあれこれ捻り出して天才たちに食らいつこうとする。
絵のスキル、広告デザイン、モデル、人間社会の中で生きているとあらゆる場面に「敗北」が転がってる。だけどこの漫画の主人公たちは、誰ひとり自分の状況を「自分は凡才だからしょうがない」なんて言わない。
そう、妥協しないのだ。
泥臭い努力と葛藤が、生々しく描かれてる。
ジェネラリストは、スペシャリストを経てなるもの
作者かっぴーさんの境遇が大きく影響された作品で、全作品読んだあとにインタビューを読むとさらに面白い。
負け続けた人生、それでも何者かになりたくて考えて、もがいて、自分だけの道を探したかっぴーさん。
スペシャリストになれないなら、ジェネラリストに、と。
でも結局彼が言うのは、
『何もない状態からジェネラリストになっても大きな影響力を持てない』
ということ。
そうなんだよね、、、「毎日コツコツと努力しましょう」って、イチローが言うのとそこらの一般人が言うのとでは響き方がぜんぜん違うのよね、、、
自分は飛び抜けた天才ダンサーたちを見て
「ああ、この境地には行けない」と今まさに分かりかけているところ。
3歳から器械体操をやってて、「あ、この子には一生勝てない」と何度も思ったことがある。あの感覚。
それじゃあ、どうするのか。
勝てないから踊るのを止めるのか。
そうじゃない。
先生として人気を集めるのか。
それもちょっと違う。
踊りたい。
天才ではないけれど、踊っていたい。
どこかの槇原敬之が「ナンバーワンでなくてオンリーワン」みたいなこと言ってて、
小学校のころは「何じゃそりゃ」と思ってたけど
今はひしひしと実感する。
ナンバーワンになれないからオンリーワン、でなくて。
ナンバーワンになるための過程と思考がオンリーワンを生むんだろうなと。
『左ききのエレン』は、人生イージーモードに生きていけない不器用な人たちに読んでほしいシリーズ
結局、どんな業界にいたって、「こいつには敵わない」って思える人はごまんといてて、
そんな中で自分は自分、他人は他人と切り離して考えられるのはほんとに強い。
周りから「お前も頑張れよ」
なんて心無い優しさをもらった日には悔しくて寝られない。
「くっそーなんであの人は上手くなったのに自分は、、、」
そう思うことは、しょうがない。
だけどそんなときに光一のように
「考え悩み学ぶーそれが天才になれなかった人間の持ち得る唯一の武器」と考えて目の前のことを続けられるかどうか。
それが大切だな、と。
左ききのエレンは読んでいると、圧倒的な相手を前にボコボコに殴られても立ち上がるボクサーを見ているような心境になる。
勝つか負けるか、それよりも「今」立ち上がれるのかどうか。
その心理描写がバツグンに上手いので、登場人物への共感度も高くなる。
あ、でもタンゴが『左ききのエレン』の世界と違って唯一救い(あるいは難点?笑)なのは
「2人」で踊るものだということ。
お互いが高いスキルを持っていることはもちろん大切。
だけど、1人で戦うものじゃない。
2人で高い壁に立ち向かう。
努力は孤独だけど、2人で戦うもの。
わたしも頑張るから、お前も足引っ張るなよ、頑張ろうぜって言い合えるライバルのような、恋人のような。
1人だけど、2人でもある。
天才同士の踊りにため息することもあれば、60年ペアを組んできたおじいちゃんおばあちゃんの踊りに涙することもできる。
天才は天才、凡才は凡才とはっきり分かれた世界ではない。
まぁそれでも、やっぱりすごい人はすごいんだけどね。笑
わたしは天才ではなかったけれど、諦めきれなかったから。
足掻き続ける凡人でありたい。
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