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年の瀬の言い訳

2022年

2022年も今日で終わりである。このnoteを書き始めた時は「2022年もあと半月、あと1週間で誕生日である」などと記していたが、筆が思うように乗らず、ついに大晦日になってしまった。
年の瀬に歳を重ねて、気持ちだけはもう新年ではあるものの、今年の誕生日は生憎の体調不良で家から外出することもできなくて。12月の半ばの気持ちでいたら、早くもあと20時間。

月末に毎月の振り返りをするなんて目標もあったが、今年の三分の一も続かなかった。初めて買ったEDiT手帳も、半年以上開いていない。それでも、1年の最後くらいは、それらしく年を振り返ってにこやかな気持ちになりたいのだ。

項目ごとに振り返りをしても、達成できていない目標の多さに虚しさを覚えるだけなので、時を追って、年を振り返ろうと思う。

冬、記す。

今年1年を大まかに振り返ると、年の頭はすべてを記録して残そうという意思が強かったことが分かる。デイリー手帳、Twitterの食事記録、muute。睡眠時間を記録することを主目的として、スマートバンドを購入したのもこの月であった。

年の頭は実家で迎えた。今年もまた、オタク初めは2日だった。年始にとりわけオタクモチベが高いわけではないが、なんとなく羽振りがよくなることも事実。今年の初めは色々なアイドルにふらりふらりとしていたものの、後半はずっと変わらず推しが大好きであった。オタクと話していると、自分の弱さが気になって、実は同担拒否なことを嫌でも思い出す。気にすることなどないと分かっているはずなのに。

昨年末に所属していたサークルを引退していたものの、交友関係はやはりサークルに片足を突っ込んでいたと言わざるを得ない。飲み会、飲まない会、ドライブ。いつも通りに集まっているのに、場の中心の話題は、サークルの活動内容から、いつしか就職活動の話へと変わっていった。そして今では、将来の話ばかり。とりとめのないことを言ってみては悩んで、悩んでみては口に零す。

写真を撮る友人たちと出かける機会も多かった。ファインダーを覗く側から、レンズの向こうへと立場を変えられるのは、なんだかこそばゆくも嬉しいことだった。同じものを見て、違うように切り取って、カメラ越しに世界の見方に触れられるような気がして、人の撮る写真を見るのが好きだと感じた。

2/5 カメラ持ちドライブ

学部の友人にも、沢山元気をもらった。それぞれ違うステージで、それぞれ違う夢に向かってもがく姿に、励まされ、心のなかで何度も彼らの言葉をなぞった。自分は、相手に愛を伝えられているだろうか。学部の友人と会う多いとは言い難い機会にもらう、沢山の応援と愛は、いつでも私を落ち着けてくれる。

春、迷い。

3月になった途端、カメラロールの進みが鈍くなるのは、将来について考えて、目の前の世界を切り取る余裕すらなかったからだろうか。そんなに一生懸命就職活動に取り組んでいたわけではないから、特に語ることはないものの、何を妥協して、どれは譲れないのか、沢山悩んでいたように思う。

4月は、別れの季節だった。祖父が亡くなった。実家の二階に住んでいて、スキーが得意で、ご近所付き合いがひどくできない人だった。私にその血が流れていることが信じられないほど、自分を強く持っていた。記憶の中の祖父はもうだいぶ弱っていたから、亡くなったと聞いたときもなんだか淡々と日が過ぎていくようだった。お葬式の合間の時間もずっと就活の面接のことを考えていて、変な気持ちになった。

好きだったアイドルグループが立て続けに解散、現体制終了をしたのも、4月だった。コロナが始まったばかりの頃偶然Youtubeで見つけて以降、何度も何度も私を救ってくれた楽曲。古くからの、ともう言ってもいいほどになりつつある人の付き合いで必然のようにであった偶像。好きだったものが、もう二度と手には届かないところに行ってしまうことが寂しかった。

どんなに強く望んでも手に入らなかったものの切なさと、手のひらで確かに掴んだのに消えてしまったものの寂しさとの、どちらが美しいのだろうか、なんてことを考えた。昨日までは確かにそこにあったはずの日常が、もう幻になってしまったことが、いつも一番悲しいのだ。


4/24 Lila Gray前体制ラストライブ

5月には、家族が京都に遊びに来た。ゆっくりと観光に来るのは、1回生のときぶりだった。自分が大切に思っている場所を、同じように楽しんでくれることが嬉しくも誇らしかった。

他の大学の学園祭に行った。ここで言葉にしてしまうには惜しいほどの感情を抱いた。代わり映えしない毎日には、とびっきりのイベントが欠かせない。

何かを選ぶことは、同時に何かを選ばないことで、選ばない何かを選ぶことでもあった。自分の決断が、来春以降のあり方を決めてしまうことが怖くて、最後はなんとなくの思い切りだった。正解の選択肢なんてものは存在していなくて、選んだ択を正解にするためにもがくしかないのだろう。

夏、走る。

就職活動に見切りをつけて、学生のうちにやりそこねたことを見つけてはこなしていく夏が来た。自分の顔の良さを売ること、行ったことのない県にいくこと、3年ぶりに開催された夏のイベントたち。

ずっとアイドルに憧れていたのだと思う。歌もダンスも苦手だから、将来のことを考えたら安泰な方がいいから、年齢が高いから、と言い訳を重ねて諦めてきた「顔の良さで稼ぎたい」という気持ちを叶えるべく、あるいは、「推しという気持ちを理解したい」という願いを満たすべくして、コンカフェでバイトを始めた。金銭を媒介として好意を形にするというのは、自分がオタクをしているときには無自覚であったが、興味深い構造であるなと感じた。

6月と9月に九州に行った。6月、およそ15年ぶりのフェリーに乗って、海から人々の生活の様子を眺めた。光の一粒一粒がみな、人々の生の現れであることが嬉しかった。9月には、人生で初めて一人で飛行機に乗って、保安検査場を克服できた。自分が工場のレーンにいるようで、不良品であることが露呈してしまいそうで怖かったのだ。

9月の九州旅行は、久しぶりの家族旅行でもあった。美味しいご飯を食べて、綺麗な景色を見て、思い通りにならないことで口論を重ねて、こうして大人になるまで育ててもらえたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。次の家族旅行は、弟と私が両親を連れて行く番だと思う。

コロナが流行り始めてから、なんとなく中止され続けてきたイベントが3年ぶりに開かれる夏でもあった。1回生のときは斜に構えて行かなかった祇園祭に行った。屋台が楽しかった。慣れない浴衣を着て、淀川の花火大会を見に行った。友達が数メートル先にいたようで、なんだか笑ってしまった。他の人たちと同じものを見て、なんだか色々なことを思って、嬉しくなったり悲しくなったりするのはとても素敵なことだと思う。

9/17 キャンプ

今年の夏は、ファインダーを覗くことから逃げていた春の反動のようにシャッターを切っていた。切り取られた画像よりももっとずっと尊くて綺麗な世界が存在していて、写真の巧拙とかカメラの性能とかではどうしようもないこと、それでも世界を映して残そうとする試みが愛しくて、笑みが溢れる。

秋、飛ぶ。

夏休みの最後に、北海道にも行った。きちんと観光するのは初めてだった。北海道はあまりにも広くて、嬉しい気持ちになった。一緒に行った大好きな人間を、もっと大好きになった。

北海道から帰ってきた翌日、推しの生誕があった。今年もお誕生日をお祝いできて幸せだった。誰よりも近い位置で歌う君は、世界で一番輝いて見えた。カバー楽曲はいつか聴きたいと思っていた曲で、コラボ楽曲はいつかまた見たいと思っていた振りだった。大好きな人たちに誕生日を祝われている様子が、とても嬉しかった。

10月には内定式があった。同じように夢を抱いて現実を選んだ人たちが、異なる道のりを経て育った人たちが同じシステムで社会化させられることにワクワクした。

秋の終わりに開かれる、大学生活をかけて成し遂げようとして届かなかったおまつり。後輩たちの背中が、思っていたよりもずっとずっと大きく見えて、とても格好良くて、嬉しくて、羨ましくて、悔しかった。自分なりに携わって、自分なりに支えたつもりではあるが、願うように届いていたら嬉しい。


11/22 第64回京都大学11月祭

季節が過ぎることにも気づかないほど駆け抜けて、ふと見上げた空は冬だった。色づいた葉は風に吹かれて地面を染め上げる。年の瀬。なんだかいつもより寒く感じる12月だった。卒業論文や内定先の課題に追われて、ふと息をついたら今年もあと半月となっていた。

学部の友人と集まって、すべてを祝って応援する会をした。彼女たちはまっすぐに優しくて、好きという感情に素直になれる。春からは別々の道に進んで、それぞれの世界で輝くのだろうなと思うと、別れが寂しくないような錯覚に陥るけれど、それはあくまでも錯覚だから、これからも定期的に集まってはしゃげたらいいな。

誕生日を目前として、新型コロナウイルス感染症に罹患した。周囲の人間がかかるのを見てもどこか他人事だったから、私はならないんじゃないかと思っていたから驚いたけれど、1週間自由な時間が生まれたことにほっとする自分がいた。結局、YouTubeを見ていたら終わってしまって、有意義には使えなかったのだけれど、ありがたいことに月に1日予定がない日があればいい方なスケジュールで生きているから、休むことが認められたのは幸いだった。

誕生日は家で一人になってしまったけれど、沢山のお祝いの言葉をもらって、本人不在で祝う会までしてもらって、幸せだと思う。周囲の人間に恵まれていることを強く感じた。

今年もおせちを詰めて仕事納め、30日のライブでオタク納め。よい一年でした。

そして、2023年へ

ぬくぬくと育って、のびのびと生きてきた私が、社会の荒波に投げ出される年になる。毎年恒例になりつつある「優しくて強い人」の定義を改めたり、一年の目標を考えたりするのはし先延ばしにして、残り5時間を切った今年を大切にしようと思う。

今年携わってくれたすべての人に、心からの感謝を込めて。



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