見出し画像

かわいそうの深掘り

こんにちは。あすです。
今日はスタエフで話したことを文字起こししています。これを元に適宜修正していく予定…。
声で聞きたい方はこちらから↓





こんにちは。あすです。今日は下書きのままかなり熟成していたことについて話そうかなと思って収録を始めました。
フォローしているtomoさんのスタエフ聞いて、かわいそうについて。


tomoさんはお子さんのことについて話されてたんですけど、 私も我が子たちが小さい頃よく言われてましたね。かわいそう。
反対に褒められることもありました。この子は素敵だねとか、お母さんの声かけがいいんだねと。

ヘルパーでもお母さんと間違えられて褒められることもありました。(その人と7歳しか変わらないんだけど…親子?笑)

この違いってなんだろう?と思って、かわいそうについて深堀りしてみたんです。
かわいそうって2パターンあるかなって私の中では考えました。

1つは、 かわいそうに…の言葉が相手を尊重して寄り添うという感じ。
思い込みとか決め付けをしない、ただただ寄り添うような気持ちのかわいそう。

例えば、 友達が嫌なことがあって落ち込んでいて「そうだね、辛かったね」って 共感するイメージ。
これって、かわいそうに辛かったねっていう思いで、相手に寄り添ってると思うんですよね。私はこれはいいことだと思うんです。
押し付けとかがないからですね。
(とはいえ、かわいそうという言葉に傷つかないわけではない)

で、私は仕事柄、 医療機器を使った方や車椅子を使う方と出かけることがあるんですけど、
すれ違いざまに言われるんですよ。
かわいそうに、って。
わざわざ言葉にして言う必要ある?っていうような、去り際に捨てセリフのように言う感じなんですよ。

これは発言した本人と、障がい持ってる方と比べての発言だったりとか、 何も全く考えずに言ってしまったりだとか、理由はさまざまだと思うんですけど、 共通するのは相手目線に立ってないってことかな。

その発言は、思い込みと決めつけによるものですよね。かわいそうって発言する自分を前面に置いて、 同情してる私…と思い込むことで自己満足して、
フォーカスが相手じゃなくて自分になってるんじゃないかなって思うんです。

だからって、そのために人を使うってどうなん?と私は思いますね。

これまた仕事の話だけど…
仕事で出かけると舌打ちされたこともあるし、かわいそうって言われたこともある。
体当たりされて押されたこともあるんです。

反対に助けてくれる人もたくさんいます。
ここは強調したいです。
あと、街で会った子供たちは純粋にこれなにー?って聞いてきます。

酸素を流す機械とか、呼吸器って呼吸を楽にする機械を指さして聞いてくるんですよ。
でも、かわいそうという同情はないんです。
大変なのかな?っていう疑問はあったとしても、 誰かを蔑む気持ちはないんじゃないかな。

時々ふと思うんですけど、
私たちが接してる障がいを持った人はかわいそうなのかなって。

障がいは個性とか神様からのプレゼントですと言う方もいて、それを別に否定しようとかいうわけじゃないんですけど、 私は障がいは個性でもプレゼントではないと思ってて。

だからといってかわいそうではない。
なんなんだ?の答えはまだ出ていません。

障がいや病気とか、まだ知られてない世界っていうのかな。介護の世界も。
だからもっと声を上げて街に出ていくことが、私たちの使命なのかなと思います。

無理して外に行く必要はないです。
ただ世の中的には少数派だからね。
少数じゃないんだぞっていうところを言いたいけど、そこまで伝える時間をかけられないとか、ありますもんね。

相手を卑下したり、かわいそうがなくなるように、今日も私は戦おうと思っています。


今日はこの辺でさよなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?