ばらばら葬送

 カッ、カッと無機質な軍靴の音が、宮殿の廊下に響く。ヴェルサイユが如き宮殿を魂都の軍服を着た男が抜刀したまま歩く様は何ともミスマッチなものだった。
 廊下の窓からスポットライトが差し込み、男を照らす。すわ見つかったかと思い窓の外の飛行船を見上げる。男は嘲った。
 見よ。魂都軍警の無様を。男が放った僅か三機の魂魄仕掛け絡繰り鴉たるヤタガラスを未だ始末しきれずにいる。飛行船に備え付けられた機関銃が明後日の方向を向いて撃たれたと思いきや、次の瞬間には魂臣たる人々が住む地上へと乱射する。これを無様と言わずして何と言う?
 魂都軍警は、よほど質の悪い防衛人形を搭載させたと見える。あるいは、性能を引き出しきれない程、籠められた魂魄をすり減らしたのか。
 これ以上時間をかければあの警部が部下を引き連れて宮殿内に突入しかねない。男は足を速める。

 協力者の情報から、目標である男は恐らく、隠された地下にある工房に逃げ込んだであろうことは予想が付いていた。
 協力者曰く、ここらの地域で、最近浮浪児の数が減っているという。特に、まだ幼き少女ばかりが。
 一昔前なら、女衒が連れて行ったか、人手が足りない商いなどが救済と称して連れて行ったと言えるやもしれない。
 だが昨今、低級(低級とは家畜などの動物から抽出したモノを指す)魂魄を詰め込まれ、単純労働に従事する魂動人形により丁稚奉公が滅び、女衒すらも性従事人形なんてものにより廃業した者が多い。
 そのような時代で浮浪児の数が目に見えて減ったということは、二つに一つだ。
 死んだか、此岸しがんに縛り付けられ無限地獄か。

 館の奥、男の書斎の本棚の裏に隠された階段を降りる。
 一歩、また一歩と歩を進めるたびに男の眉間に深く皺が刻まれて行く。階段の奥から澱みが、不浄が噴き出している。地獄下りという言葉が脳裏を過る。
 そして、階段を下り切り、古めかしいドアを目にした男は、それを全力で蹴り飛ばした。

 ドアを蹴り飛ばした先、そこには果たして、西洋の大聖堂があった。
 ステンドグラスから光が差し込んでいるが、それは人工的な光。信者が腰かけ説教を聞く長椅子もなく、あるのは祭壇だけ。その祭壇にガウンを着た初老の男が腰かけ、少女の人形を背中から掻き抱いていた。
「貴様が、侵入者か」
 ガウンの男は、瘴気を孕んだ吐息を吐き出しながら軍服の男を睨みつける。その間にも人形を弄る手を止めない。
「然様、然様。貴様の様な下衆に天誅を下すために馳せ参じたわけだ」
 軍服の男は歩を進める。
「天誅だと?ほざけ。見よ!この工房を。見よ!精気に満ちた私の姿を。神の前で幼子をいくら穢そうとも、私には一切罰はない。そしてお前のその刃が私に届くこともない」
 ガウンの男がパチンと指を鳴らした。

 死の予兆を、軍服の男は捉えた。このまま歩き続けたら、自身は死ぬと。
 タタンと靴を鳴らして後方に退いた瞬間、軍服の男が先ほどまでいた場所を、巨体が押しつぶした。

 絡新婦、あるいは希臘ギリシャ神話に伝わるアラクネか。それを見た男はそう考えた。
 牛数頭はあろう蜘蛛の胴に、少女が生えている。その両の手は二本の身の丈に合わぬ鎌。
 「見るがいい!私の最高傑作の『みどり』を!独逸式の魂動人形と伍一式軍用多脚人形を組み合わせた最高の性玩具!」
 みどりと呼ばれた怪物は、その姿から似つかわぬ速度で軍服に切りかかる。

 男は試しに軍刀にて切り結ばんとするが、鎌と刀が鍔迫り合いかけた瞬間、刀を鎌の動きに合わせ、更に後退した。男は、目の前の最高傑作とやらがハッタリか否か確かめたが、人間用、特に軍の末端の兵が護身用程度に持たされる数打ちの刀では、折られるのが容易く理解した。

 下がった男の耳に、ぎちゃっと何かを踏みしめた音が響く。足の下には蜘蛛の糸。目の前のみどりが張ったのだろうか?しかし、尻をこちらに向けたそぶりも、最初に工房に入った時に張られた音も男は聞いてはいなかった。
 みどりが足首を目掛け鎌を振るう。男は蜘蛛の巣を目掛けて刀を振るい、無理やり切り落としてその場で跳躍し回避。もう片方の振るわれた鎌を刀で受け止めた瞬間、工房の壁に叩きつけられた。

「ガッ…!」
 男は血を吐き、地に膝を着く。刀を杖にし、立たんとするがその時、上空からいくつか蜘蛛の糸が射出されていた。前転、前転、前転。糸が途切れた。
「カカカッ!無様。あまりにも無様よ。これが本当に巷を騒がせた殺人鬼なのか?」
 ガウンの男の嘲り笑う声を遠くに聞きながら、軍服は頭上を、天井を見上げた。そこには、いくつもの目があった。
 目の前のみどりに込められた魂は一人だけ、そして今ガウンの男に弄られている人形に込められた魂も一人だけ。だが、協力者から聞いた犠牲者の数はもっと、それこそ桁がもう一つは足りない。
 戦闘に巻き込まれ成仏されない様に退避でもさせたかと思ったが、違った。
 天井には、何匹もの蜘蛛がいた。頭部だけが少女の人形の蜘蛛。あれらが、蜘蛛の糸を吐いていたのだろう。吐き終えた蜘蛛たちは天井に空いた穴へ戻ったと思った瞬間、別の蜘蛛が穴から出る。糸の補充か。

 軍服の男の目の前に、みどりが立ち、男を見下ろす。男はみどりを見上げ、その目を見た。声帯機能を搭載されてないのだろう。目が、男に必死に訴えていた。
 殺してと。
 みどりだけではない。天井にいた蜘蛛たち。ガウンの男に汚されている少女。その全てが男に目で殺して欲しいと訴えていた。
 そして、こうも訴えていた。もう、生まれ変わりたくないと。輪廻転生を経ても、この痛みは消えないのだと。
 男は、眼を閉じ涙を流した。この少女らは、どれだけの地獄を味わったのだろうと。

 男は刀を、鞘に収める。鞘を撫で、呟いた。
「終わらせろ、无。出し惜しみはもう無しだ」
 書斎に続く階段から、神気が漏れ出していた。あの警部が時間稼ぎの仕掛けを潰して強行突入を行ったのだろう。たどり着けば、全てが台無しになる。少女らの悲しみも何もかも踏みつぶされる。そうなる前に、ケリをつける。
「仕留めろ!みどり!」
 ガウンの男の命令と共に、軍服をから竹割りにせんと両の鎌を振るう。
 だが、それよりも前に男が刀を抜き放った。

「…みどり?なぜ止めた?」
 みどりと呼ばれた人形は、動きを止めた。ガウンの男が何度、命令を叫ぼうとも動くことはなかった。
「なら!」
 天井の子らに動きを止めさせようと命じようとした瞬間、軍服は天井に向けて刀を振るう。蜘蛛たちは次々に天井から落ち、落下の衝撃で破壊されていった。

「何が起きている?」
 ガウンの男は軍服を、その手に握られた刀を見やる。刀身が、少しずつボロボロと崩れてゆく。異様な刀身が、ガウンの男に向けられた。軍服の男は走り出す。
「ああ、これは困った」
 ガウンの男は、まるで出かけるときに雨に降られたかのような調子で、自身に迫る凶器を見つめた。
 軍服の男は、一閃してガウンの男に汚されていた人形を切り捨てる。そのまま切り捨てられるのかと思ったガウンの男は、護身用の拳銃を手に取らんと振り向く。
 その背を、軍服が胸元から取り出した短刀が貫いた。
「無駄なことを」
 骨の合間を縫って、心臓を貫かれたというのに、痛がるそぶりも見せず、ガウンの男は首を後ろに、自身を殺さんと無駄な足掻きをする滑稽な男を見んとする。

 軍服は、ガウンの男の耳元に口を寄せる。
「魂都生命保険裏保険、極楽保険及び、黄泉返り保険」
「…ほう?」
 まさかそこまで調べているのかと、ガウンの男は驚いた。
「ならば、これが無駄だとわかっているだろう?私は何度か蘇られるし、黄泉返り保険が切れても、極楽にいくのだ」
 それが、ガウンの男の余裕の正体だった。死んでも蘇生された体で黄泉返り、最悪死んだとしても現世の罪は見過ごされ極楽に行くことが出来る。
 だから、何をしても無駄なのだと。
「…その保険、もう切れてるぞ」
「……は?」
「正確には、我が協力者が保険会社に潜入し、契約書類を破棄した。と、言ったほうが正しいか」
 ガウンの男の頬を、冷たい汗が流れた。

「……ハッタリだ!」
 ガウンの男の余裕が崩れた。軍服の男の言っていることは、到底信じられないことだった。
 件の保険会社の警備は異常が過ぎる。それこそ、神仏ですら干渉が不可能なまでだったというのに。それらを躱して?契約を破棄した?
 どう考えても嘘だ。だが、それを今どうやって確かめる?恐らく、あと数分もせずに死ぬこの体で?

「ハッタリか否か…死んで確かめてみろ!」
 軍服の男は短刀を抜き取り、もう一度別のヶ所に突き立てんとする。

「喝-----ッ!」
 軍服の背後で、男の声が響いた。途端、軍服とガウンの男目掛けて極光が押し寄せる。
 軍服は無理やり横に転がり回避したが、瀕死の軽傷を負っていたガウンの男は回避が出来なかった。
 極光に呑まれ、後に残ったのは灰になったガウンの男だったものだけだった。軍服は舌打ちした。地獄に落ちるべき男の魂が、強制的に浄土に送り付けられたのだから。
 軍服は聖堂の入口に立つ男を見た。 

亜巳騨アミダ警部…」
 そこに立つのは、軍服が最も会いたくない人物だった。
「ようやく見つけたぞ!連続殺人鬼め!」
「聞け。今お前が強制的に成仏させた男は」
「うるさーい!殺人鬼の話になど耳を貸さんぞ!」
 亜巳騨警部は手に拳銃の様な形の木銃を構え、軍服を狙う。
 追いついた警部の部下たちも、拳銃を軍服に向ける。

 阿弥陀の当て字の現人神崩れめ、まるで話を聞きやしない。
 さて、いつもの事だが、どうやって逃げたものか?