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落ち葉はきで思い出した幼い頃の見立て遊びの記憶

バイト中大量のテーダマツの落ち葉掃きをしていて、保育園でテーダマツの葉を箸に見立てておままごとに使っていたことを思い出した。

私は割と幼い頃の感覚が変わらず残っている方なのだけど、すっぽり抜け落ちていた小さな記憶が蘇ってきてなんだか感動してしまった。

自分の中ですごく感情が動いたとか、衝撃を受けた出来事は覚えてるけど(本物だと思っていた保育園の節分のときの鬼が、被り物の下に髪の毛が見えて先生だと気づいたこと。親子遊戯のときに恥ずかしくて輪の中に入れなかったとき、普段口数の少ない父がおんぶでスキップしてくれたこと。など)

遊びや生活の中の些細な出来事って案外忘れてしまってるんだ、、

閉じたままだった記憶の蓋が突如開いたことにジーンとしてしまった。

思い出したきっかけは、単にテーダマツの葉を目にしたことだけではない気がする。(今までも落ち葉掃きのときには目にしていたし)

今日がとても風が強く冷たかったことが相まって、同じような日に保育園でおままごとをしていたときの感覚を思い出したのかなぁ。なんだか不思議。

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子どもの頃って欲しいと思ったものがすぐに手に入るわけでもないし、代用できる既製品を自分で用意できるほどの力もない。
だからタダで手に入る自然物をなにかに見立てて、よく遊びに使っていた。

それだけ"見立て遊び"が日常のことで、なんでも見立てて使えていたなぁ。今ではゴミとして処分しているような些細な物さえ…

大人になって"見立て"ることが必要なくなって、すっかり抜け落ちていた記憶でした。


あす香

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