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シンプルに生きる

ずっと調子が悪かったバーミックス
(ハンドミキサー)がとうとう動かなくなった。
もともと思春期になる娘達が生まれたときに、
「離乳食で活躍するはずだから。」と
母から請求書付きで送られてきたモノだった。

私の母はそうやって
時々私に微妙に考えるモノを送ってくる。
(請求書も同封)
圧力鍋、電子ピアノ、レンジで使う耐熱容器、
たくさんのタッパー。
もちろん、今でも活用しているモノもあるし、
持っていて良かったなと思うモノもあるけど、
私は私のタイミングで
自分の目で見てモノは手に入れたいのだ。

そして母の愛はいつも量が多い。
留守の時でも、大量の食料を傘子地蔵のように
玄関先に置いていってくれる。
忙しい夕方に来ては
「コーヒー飲みたいな。
 私のご飯はある?」と自由。

まあね。
本来ならこちらから訪ねていって、
元気かどうか確認するのが
子どもの務めなのかもしれない。
それなのに来ていただいて、
たくさん食料もいただいて。

ありがたい。ありがたいのだが、
できれば「ごんぎつね」くらいに
してくれると、もっと嬉しい。
ささやかなくらいで、
もうちょっと欲しかったなくらいで。
ダメになってしまった野菜達を
ゴミ袋に入れながら思うのだ。
「母よ、うちにはそれほど食べない
女三人しかいないのだ。
もうそろそろ分かってくれ。」

さてこの度のバーミックス。
いつも使う訳では無い。
それでもたまーに作るポタージュや
お菓子を作るときに活用はしていた。
無くてもそんなに困らないけど、
なければ作らなくなるメニューもある。
そのくらいの頻度。
何かの拍子で壊れたことを知った母から
「知り合いから安く購入できるので、
プレゼントしようか?」
と言ってくれた。珍しい。プレゼント?
最近塩対応していたのが、伝わったか?
少し考えたが、ただ今緊縮財政につき、
そのありがたい申し出を受け取ることにした。

次女がインフルエンザによる
学年閉鎖で自宅にいたときに、
突然嵐のように母が来ていた。
最近は父ヘの告げ口が効いて、
「ごんぎつね」化がいい感じで進んでいたのに、
また傘子地蔵になっていた。

その中に一際大きな段ボール。
「barmix」の文字。
でかい。
片手で小脇に抱えることはできない大きさ。
溜息が出た。
今週はルーティンこなすのにやっとだ。
週末も予定が入っている。
この箱を開けてあれこれする
時間もパワーも無い。
2週間おいてやっとその箱を渋々開けた。

ずらり。あらゆる付属品が勢揃い。
本体はもちろん、今までより部品?が増えて
さらに「できることがたくさん」で
「便利」になっている。

でも見た瞬間出た言葉は「勘弁して。」
「わー。すごい。」でも、
「素敵。何を作ろうかな?」でもない。
でも、せっかく買ってくれたんだから。と、
一つ一つナイロン袋に入っているモノを
取り出しては並べる。
肉をミンチにできるもの。
大根おろしを作れるもの。
泡立て機能のあるもの。
いつでも使えるように立てておけるもの。
具材を掻き出しやすいように形作られた
シリコンスプーン。
複雑な形でも洗いやすいブラシ。

全部並べた後、しばらく眺めて、力が抜けた。
無理。私には使いこなせない。
よし。あっても多分使わないな、
と思うモノを元の場所にしまってみよう。
一つずつ手に取って、しまっていく。
残ったのは本体と
ポタージュを作るときの
アタッチメントだけだった。

(注)バーミックス側が悪いのではありません


結局、私がバーミックスを使ってしたいことは、
なめらかなポタージュ
(ジャガイモ等のマッシュ)を作る。
それだけだった。
(以上これらをバーミックス事件と呼ぶ)

バーミックス事件と同じ頃、
稲垣えみ子さんの「家事か地獄か」を読んだ。
信頼する先輩方が
「ちょっと極端ではあるけど、
感じることがあるよ。」
と言われて、気になっていた本だった。

清々しい本だった。
最後まで幸せに生きるために、
自分で自分の面倒を見る。
モノを減らし、家事を減らし、
身の丈に合った暮らしをする。
お金も特別な能力もいらない。
自分の力で自分の幸せを作り出す。
そのやり方が書いてあった。

確かに潔い。
が、家族がいる私には簡単にはまねできない。
それでも、自分の人生を自分で
複雑にしているのでは無いかと
薄々感じていた自分には
十分突き刺さる本であった。

私は「自分の手に負えない家事をしている」
自覚がある。
何で自分はみんながやっているみたいに、
毎日美味しいご飯が作れないのか。
何で自分はみんながやっているみたいに、
きちんと分別して洗濯できないのか。
何で自分は・・・

だけど、その家事を
みんなみたいにできるようにするために、
色々な機械を導入することが、
自分を楽にするとはどうしても思えなかった。

「シンプルに生きたい」
「すっきり暮らしたい」
本当はこうしたい。
私が目指す生き方にしていきたい。
最近真に思うことだ。

そもそも人生は有限で、時間も限りがある。
考えなくていいことは考えない。
そもそもやりたいことが多い私は、
やりたいことをやり尽くしても
時間が足りないのだ。

新しく手に入れたバーミキュラライスポットで
甘酒を作り、バーミックスでなめらかにした。
なかなかおいしい。

これでいい。私が欲しい機能はこれだけである。
もったいなくない。私の時間は私のものだ。
私が思うように使って良いのだ。

母よ。
忙しくしている娘の役に立ちたいとか、
孫に美味しいものを食べさせたいとか
きっと考えてくれてくれてるんだと思う。
ありがとう。
でも、さみしそうに溜息をつかれても、
私は私のやり方で生きるね。
傘子地蔵はもういらない。
「ごんぎつね」で見守ってください。

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