金のかからない信仰-家でお経よむ⑥、懺悔文の活用
久しぶりの投稿です。タイトルのみ変えました(9/7)。
その後、どっぷり仏教にはまっていました。
手持ちの本、図書館、ブックオフ、書店、kindleの本、Youtube、webのソースを手当たり次第読んでいました。
その辺のことは別に書くとして、最近思いついたお経活用法を書きます。
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懴悔文
我昔より造る所の諸々の悪業は
皆無始の貪瞋癡に由る、
身語意従り生ずる所なり。
一切我今皆懺悔したてまつる。
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以前の記事では、自分、貪瞋癡しまくり。反省!なんて書いていました。
読経の度に日々を懺悔することは勿論ですが(毎日ではありませんが)、
ふとしたことから、過去の失敗、よからぬ行い、非礼、頭悪すぎな発言、浅はかな判断など、
自分の至らぬふるまいに自己嫌悪に陥った時には、
懺悔文を唱えることにしました。
やり直す、詫びを入れればよいのですが、過ぎたことはどうにもなりません。
はまるといやーな気分になり、落ち込み、堂々巡りをするのが常です。
傷口に塩を塗るかのごとく、けっこうつらくなります。
そこで!懺悔文。
ぐだぐだ考えずに唱える。
罪悪感と自己嫌悪は、仏様の力によって虚空に散ります。(たぶん)
唱えているうちになんだったか忘れたり、どうでもよくなったり。
仏様抜きでも、ようはメタ認知ですので、一旦は堂々巡り思考から離れることができます。
罪悪感と自己嫌悪をどこかに追いやったのちに、今後はそういう行いはしないよう気を付ける。
以上、終わり。です。
私はお経の唱えすぎで、思い出して悔やむ⇒ああ、悪業、貪瞋痴、懺悔と連想するので、わざわざメタ認知を意識する必要がないので簡単です。
というように、仏教思想やお経をインプットしておくといいことあります。
思いついたら書いていきます。
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