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キャリアを拡げることの意味

さて、前回の投稿では「雇用の流動性が社会にもたらすメリット」について述べましたが、今回は個人にとって雇用の流動性がもたらすメリットと、そこのメリットを活かすためにキャリアを拡げることの意味について述べます。

今の世の中の流れは「会社に雇ってもらう」とか「会社に面倒を見てもらう」という考え方を否定する方向に向かっています。それは、大企業が(理由は様々であっても)軒並み終身雇用を止めつつある流れが端的に示しており、見捨てられる側となる個人は切り捨てられる前に先手を打って自らの淡い期待(「残りの一生会社に面倒見てもらえるのではないか」)を捨てる必要があります。

そうなると、個人ができることは、「職場を能動的に選択すること」や「選択の結果として自ら職場を移ること」となります。「自分に合うように職場を変えていく」労力の効率の悪さと来たら、大きな企業になればなるほど年月もかかるので、この変化のスピードの速い時代においては、自らの貴重なリソースの無駄使いでしかありません。その労力は、自分のためにより前向きに速い変化を起こせる「自ら動く」ことに使うべきだと考えています。
(なお、敢えて職場という表現を使っているのは、転職だけでなく能動的な部署異動も含んでいるためです)

さて、私が「自ら動く」ことを推奨する理由がもうひとつあります。それは、人間の学びの特性として「ラーニングカーブ(学習曲線)」があるからです。
皆さんはこんな経験がありませんか?
ある部署で仕事を新たに始めるとき、最初は知らないこと慣れないことだらけで、やること聞くこと全てが学びとなって「知恵熱出そう」に感じる日々があります。
やがてそこでの仕事に慣れてくると、同じことをやるにもスピードが上がり、同じ時間でたくさんのことをこなせるようになり、新しく来た人に仕事のやり方の説明ができるくらいになります。
ところが、2年近く(長さは人や環境・業務内容に依ります)も同じことをしていると、「流して」その仕事ができるようになります。そうなると時間にも余裕が出てきて快適な時間が過ごせるようになりますが、その時点でもはやその業務からは新たに学ぶことがほとんどなくなってきます。
これがいわゆるラーニンガカーブ(学習曲線)の頭打ちの状況です。

この段階に到達した時点で、学びの少ないことに気づいて危機感を感じた人は、空いた時間で新たな学習を始めたり、他の人に知識を伝達する機会や文書を作ったり、と前向きに次の一歩に向かって動き出します。しかしその時点ですでに激務で疲弊していたりすると「いやーここまできつかったから、今休んでおかないとねー」となって新たな学びのことなど飛んでしまいます(私も実際このケースがありました)。そうすると、強制的な異動でもない限り、新しい学びもなく時間はどんどん過ぎて行ってしまいます。
[もちろん、そのタイミングで昇進したり異動があって新たに学ぶ機会があったり、プライベートでライフイベントがあってかけがえの無い時間を過ごしたり、というケースもあると思います。それは絶対に大事にすべきです。]
私はキャリアはいくつものラーニングカーブの積み重ねと考えているので、ラーニングカーブが頭打ちのままで動かないことは、楽だけれども歩みを止めることに等しい、すなわち所属組織に対して受け身の人生にならざるを得ないこと、になると思っています。その意味でも、「自ら動く」⇒「ラーニングカーブを再び上向きにする」はそのタイミングで意識的にやるべきだと考えます。

ここで雇用の流動性の話に戻ると、社会に雇用の流動性があれば、会社に切り捨てられる前、もしくはラーニングカーブが頭打ちする前に「自ら動く」ことが環境的にしやすくなり、個人が自らの居場所の選択肢をより見つけやすくなるはずです。なお、「環境的に」を強調したのは、社会に雇用の流動性があっても、個人に自ら動く意思が無いとその個人にとってはデメリット(ただのプレッシャー)になるからです。

そこで、「拡げるキャリア」の意義が出てきます。「自ら動く」時に、一つの分野から出るつもりが無い場合は動ける幅が限られてきます。多くの場合、一つの分野の人口ピラミッドは上(熟練度合いを収入や社会的影響力に反映できている層)ほど狭く、下(未熟であるか、熟練度合いを活かしきれていない層)ほど広いわけですから、一つの分野で今の立ち位置から上を目指したり横滑りすることは物理的に余地が狭く、かつその先の可能性をさらに狭くする訳です。(下の図は、各分野の人口ピラミッドのイメージ)

ピラミッド

一方で、「自ら動く」時に思い切って他の分野へ拡げることも視野に入れてみると、動く距離は遠い(現在の分野に近い方が容易)ですが、行先の選択肢の幅はぐっと広がります。もちろん未経験な分だけ少し下方向に下りる可能性は高いですが、2つの分野に増えた分、それぞれの分野での上方向の余地や、2つの分野を組合わせたオリジナリティーがさらに新たな立ち位置を生む可能性が出てきます。
どの大きさのピラミッドに行くか、は個人の選択だと思います。「鶏口となるも牛後となるなかれ」と考える人は小さい(ニッチな)ピラミッドの分野に進めば良いでしょうし、逆であれば頂点は遠くても大きな幅のあるピラミッドの分野に行くでしょう。

いずれの場合にしても、「自ら動いて」「キャリアを拡げる」ことをしないと、そもそも他分野のピラミッドで居場所を見つけることすら無い訳ですから、「人の代わりはいくらでも居る」とあっさり終身雇用を切り捨てる企業に太刀打ちすることが難しくなります。

以上の考察から、「キャリアを拡げる」ことは、一見「攻めの姿勢」だったり「冒険」に見えるかも知れませんが、実は長い目で見れば将来の選択肢を増やし、自らの運命を他人に委ねないためのセーフティネットを作る「究極の守り」(攻撃は最大の防御、とも言える)ではないかと思うのです。

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