ジュンク堂でおはようのキス 信じてる 水だけで生き延びる物語(初谷むい)

ジュンク堂でおはようのキス 信じてる 水だけで生き延びる物語
初谷むい「おはよ、ジュンク堂でキス、キスだよ。」(『ぬばたま 創刊号』、2017年)

 朝、ジュンク堂で待ち合わせてキスと読んでもいいんだけど、「おはようのキス」は寝起きにするイメージがある。ということは、ジュンク堂で寝て、ジュンク堂で目を覚ましたのだろうか。怖くなるほどたくさん収められている、今後も大半を読まないであろう本に囲まれながら、なかば寝惚けつつ口付けをする。恍惚にシュールな奇妙さがブレンドされた、とてもよいシチュエーションだと思う。

 もしも、本当にこんな朝を迎えられるのならば、水だけで生き延びることが可能であってしかるべきだ。食べるのは面倒だし汚い。水だけで生き延びるほうが手軽だしかわいい。信じてる、というのはそういう考えを背景にした宣言であるように聞こえる。水だけで生き延びることだって、信じていれば……。ちょっともの悲しい感じがするのはなぜだろう。

 こと音楽性にすぐれているという点で、この下句「水だけで生き延びる物語」ほどの珠玉にはなかなか出会えない。もちろん意味だけを受け取っても酩酊度数の高い詩情だと思うけど、その響きの気持ちよさはちょっと抜きんでている。みずだけでいきのびるものがたり、と何度でも口に出して言ってみたくなる。みずだけでいきのびるものがたり。

 別に音楽性にすぐれていると言っても、いわゆるミュージック的なものを想起する必要はない。(声に出して読み上げるか否かにかかわらず)発話そのものが音であり、音の組み合わせには気持ちいいものとそうでないものがある、というだけで十分だ。短歌は韻文であって、曲ではないのだから。
 と言いつつ「水だけで生き延びる物語」のよさを説明するにあたっては音の並びを可視化したほうが理解しやすそうなので、このような楽譜を作ってみました。これは各語のピッチを、無理やり近い音階に当てはめてみたもの。もちろん音階が実際の発話と完全一致するはずもないが、「みずだけでいきのびるものがたり」と唱えながら楽譜を眺めてもらえれば、リズムと高低の運び自体はそこまで遠くないことがわかると思う。

※楽譜についてよく知らないので、書き方につっこみどころがあっても温かく見守ってください。

さて、このフレーズが音楽的に美しい理由は、
① リズムの線対称 ② 音階の周期性 ③ 音階の順次下降
の3点に分けられると思う。

① リズムの線対称
 意味の区切れ上「水だけで」「生き延びる」「物語」と5・5・5(さらに細かくは(2・3)×3)で分かれているこのフレーズには、短歌の下句であるという理由で7・7の重力がはたらく(ちなみに、この重力こそが短歌の正体だとわたしは思う)。この重力は、5・5・5と均質に並んだリズムに対し、「生き延びる」の「延(の)」を中心とした線対称を付与することとなる。リズムは鏡合わせに前半と後半に分かたれ、ある種の抑揚が効きはじめる。「延(の)」は、短歌の7・7にとっては余分な1音なんだけど、だからこそのグルーヴ感があって楽しい。

② 音階の周期性
 日本語の高低アクセントは短歌に、メロディーと言うことも時には可能なピッチの流れをもたらしている。もちろん短歌においてそこまで整っている例は稀だし、あえて整えようとすれば今度は意味が崩れ落ちるのが目に見えていよう。しかし、この歌の下句は驚くべきことに、ここまで意味上の詩が確立されていながら、各5音のピッチの並びがほぼ一致している。楽譜を見てもわかる通り、おおよそ _---_ (低・高・高・高・低)の構造が3回連続しているのである。この周期性は体感的な心地よさとして、無意識のうちに読者をこの歌の詩情へ誘導しているものと思う。

③ 音階の順次下降
 無理やり音階に当てはめた楽譜の、各5音の頭の音に注目するとわかりやすい。「み」→「い」→「も」の音がG(ソ)→F(ファ)→E(ミ)と一音ずつ下がっている。もはやコード進行みたいだ(もちろん和音はないんだけど)。下がっていく理由は音声学の専門家に聞いてみたいところだが、ともかくこの下降は、より意味文脈に近い位置から読みに影響を与えているように思う。そう、一音ずつ下がっていくゆえの盛り下がりは、「水だけで生き延びる」ことが「物語」、すなわち現実には起こりえない……ということを、意味ではなく音のチャンネルから示唆していないだろうか。この下降は上句にも照り返して、「信じてる」という宣言に不信の影を落としている、まで言っていいかもしれない。このあたりが、はじめに感じたもの悲しさの種だったのだろうか。

※「歌会たかまがはら2019年9月号」で話した内容のリバイスです。
 当日の放送について、アーカイブが閲覧できますのでぜひチェックしてください。

 いただいた質問の全量に文章で回答したものがこちらです。


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