イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く(初谷むい)

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く
(初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』書肆侃侃房、2018年)

 最高純度の恋の瞬間を掬い取った、初谷むイズム溢れる一首である。
 初谷むいは、好きな人はえらい前のめりで好きだし、嫌いもしくは興味がない人はとことん嫌いもしくは興味がない、というパクチーとかマーマイト的な歌人だと思う。口に合うか否かはともかく、癖の強い個性を持っていることは衆目の一致するところではないだろうか。
 僕はどっちかと言うと前者に該当する。初谷むいの短歌が持つ、いかにもインターネット世代なエモいポエジーと、三十一文字を促音や呼びかけ語を武器にして自在に乗りこなすフロウは無二だと考えている。標題の一首は特に、恋におけるあの一瞬を写し取るやり方が完璧だ。この人の目に映った光景を時系列順に並べているに過ぎないのに、こんなにも「きみ」への恋心が伝わってくるなんて。カメラワーク的に表されたその視線が、急に「きみ」にギュンと振れるからだろうか。あなたは水族館デートの最中、一緒にイルカショーを見ている。もちろん、あなたの視線はイルカの見事な立ち回りにじっと向けられている。イルカがジャンプして、空中に留まり、そしてイルカが落ちていくまでを食い入るように見つめていたあなたの視線。きれいだなぁ表皮がテカってんなぁとかボーっと思っている。
 その時急にあなたの好きな人が振り向く。何も言ってないのに、なんかこっちが呼びかけた風に空耳したらしい。びっくりした。何も言ってないよと返すと向こうもあぁそうとか言ってまたイルカショーを見始めるんだけど、あなたの方はまだ心臓がバクバクしていて、とてもイルカショーには戻れない。不意打ちで振り向かれるだけで、なんでかわかんないけどやばいほど、たぶんその人のことが好きなのだ。もうイルカショーは遠景でしかない。視線は好きな人の後頭部に注がれ続ける。こういう、恋愛をはじめとして、不純にもなりうるものが何かの作用でまったく純粋となる一瞬こそ是とし、それを短歌の中で余すことなく表すそのアティチュードこそ、初谷むいの歌に貫かれる初谷むイズムなんじゃないかな、と僕は考えている。
 一方で、初谷むイズムが持つ、なんか100%乗っていけない手触りを実感することもある。たとえば、標題と同じくらい初谷むいの歌で人気っぽい気がする歌がこちら。

エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜をおもうよ

 うーん、本当にそれでいいのかよ、という気になる。着想は、機械であるところのエスカレーターが昼夜を問わず、自分が寝ているときも全然遠い場所にいるときも一定速度で動き続けていることへの驚嘆だろう。それこそ上述した純粋性というツボにぴったりハマるモチーフだ。さらにこの驚嘆をよりエモくする仕掛けとして、エスカレーターは「えすか」と名づけられる。すると何だかエスカレーターの人格と、大げさに言えばエスカレーターの人生みたいなものが滲んでくる。
 正直、僕はこの歌に乗っていけない。怖くないのだろうか、と思う。「えすか」は機械だから、その名づけに対して無抵抗でしかあれない。こう書くとあまりに恣意的かもしれないけど、無抵抗な相手に名づけて勝手に叙情するだけで終わる短歌を読むと、その一首の中に「おもう〈われ〉」を否定する手段がなく、こちらも無抵抗でその自己肯定を浴びさせられているような気分になるのだ。そんな風に、語り手を否定したり脅かしたりする一切が排除されてしまったら、もう誰にもそれを覆すことはできないじゃないか。そういう都合のいい世界を、短歌というフォーマットが見事な手際で構築してしまうことに、恐怖はないのだろうか。

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