あたらよりぐ

日記代わりだったり、思ったことを綴れたらいいな〜と思っている。

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最近の記事

ボトルメール

5月7日。今日は私の肉体が生まれた日になる。 「私」と「わたし」の話をしよう。 金額は500円。それは、わたしにとって大事な話だからだ。 あまり有料記事を出したくないんだけどこればかりは伏せないとな、というか有料記事にするときは踏み込んだ人しか見てほしくない、と思っている。 別に買うのが正しいとは思わないので個人の判断で買ったり買わなかったりしてください。 わたしの出生の話です。

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    • 売る本

      本を読み終わったときではなく、読み終わって本棚に本をしまうそのとき、「本が自分のものになった」という気持ちになって好きだ。 内容の理解を本が自分のものになる、というのならまだまだ先かもしれないし、体験を通し後から内容を理解する気持ちになることはたくさんあるだろうから本を読み終わった後本が自分の血肉にすぐなるか、と言われたら違うのだけれど、(というか違うとわたしが定義している) それは神社の二礼二拍手一礼のような、通過儀礼が終わった気持ちよさでもあるのかもしれない。本をしまうこ

      • 人魚の末路

        魔法をかけられた人魚は足を引きずってぼろぼろになりながら、激痛を感じながら歩くのだ。 そういう気持ちで新しい生活を生きている。 実際人魚なんていいもの、いきものでは自分はないけれど、まあ、そういう気持ちだ。 ことばって難しいよね、と思う。ことばを知っていても、普段使うかと言われれば微妙なことばばかり知っている気がする。 それは知っていて、それを普段使いできる人たちの前からすれば、何も知らないに等しくて。自分の泳いでいた海ではない世界で立つのは難しい。 上に上がる、と言った

        • わたしと音楽と言葉の世界の話

          言葉が好きだ。言葉遊びが好きだ。日本語ラップが好きだ。そんなわたしに2024年3月に飛び込んできた大ニュースが『小林賢太郎が脚本を務めるKREVAの舞台』だった。 わたしは小林賢太郎の作品が大好きだし、小林賢太郎が日本語ラップのレジェンド存在と言っても過言ではない存在、KREVAとタッグを組むのだ。こんなものは脳が溶けるに決まっている。 それはそれとして、現地に行けないので円盤になって欲しいなぁ、と思っているオタクが、それでも、良すぎるんだ、と語っている文章なので「そのス

        ボトルメール

          死んだふりと生きたふりをするひとたち

          ※この文章には、書き手の体にある傷の話があり、傷が苦手な人、リアルに想像してしまう人、傷に関しての限局性恐怖症がある方の気分を害してしまう恐れがあり、そういう方は読まないことを推奨しています。 新しい生活のために、わたしが生きていくために、新しい生活、職場での生活が始まろうとしている。所謂わたしが生きていくための実弾を手にするための新生活。 わたしの自我が生まれて数十年、恵まれていてそれでも、だからこそ歪んだ家から出るための新生活。 新しい仕事を始めることにもなった。大き

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          死んだふりと生きたふりをするひとたち

          観てよかったな〜映画(1月〜3月)

          1月から3月まででよかったな〜と思った映画をnoteにも書いていこうかなと思ったので書く。 配信で観たりしているので昔の映画とかも全然ある。 映画館編市子(2023) 結婚する直前にいなくなってしまった恋人「市子」を追う物語。市子と関わった人たちと市子の過去を探すに連れて市子が昔は違う名前を名乗っていたことがわかりーー? 市子に関わったことがある人たちそれぞれの、市子の話を観る構成。 元々は予告を観て、吉野朔実先生の『透明人間の失踪』っぽくて気になるなあ、と思って観に行っ

          観てよかったな〜映画(1月〜3月)

          昆倫茶

          お茶が結構好きだ。最初は母の趣味に付き合っているだけだったのだが、いつしか楽しみ方を覚えた。お茶を飲む時間は感情表現が苦手だが感情的な母との「無言の共通言語の時間」となっていた。 ということで最近のお茶に関する話とか、それに関して思ったことを綴る。 最近、年末に友人から貰ったお茶を飲んだ。京都寂光院の紅茶舗治郎兵衛というところで買える紅茶で、名前を「春夢(SHUNMU)」と言った。 パッケージ裏の説明書きには、『平家物語の雅な貴族の世界をイメージした香り。ダージリンにジャ

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          馬鹿な僕らでいようぜ

          曲を聴くのが好きだ。歌詞がないのも、歌詞があるのも好きだ。特に好きなのはHIPHOP、日本語ラップのジャンルで、これは「言葉遊び」の一つの極地だと思っているからだと思う。 彼らは見事にリズムに乗りながら、言葉と遊んでいる。言葉は自由自在ではなく、生き物なのに、そいつらと真摯に向き合ってときにつつき合い、ときに乗りこなし、ときに踊り合い、ときに捕まえる。なんと格好いいんだろう。そしてそこに至るまで本当に苦しい過程があるだろうと想像するのだが、それを何度も越えて言葉を放つラッパー

          馬鹿な僕らでいようぜ

          人は神を見出し、そして神から人を見出す。

          2021年末だったと思う。「うみねこのなく頃に咲」のシナリオ、「Last Note」をプレイして心に残ったシーンのひとつにこちらがある。 そうしてそれから半年後あたり、2022年夏、Fate/Grand Orderの夏のイベント「アークティック・サマーワールド! ~カルデア真夏の魔園観光~」でこの様なテキストに出会う。 人でないものが人のかたちを取ること、について触れられているテキストで、心がぎゅうとなった。この考えは大事にしようと思った。 アミニズム的(あくまでそのも

          人は神を見出し、そして神から人を見出す。

          楽園に近い場所とサンタクロースの話

          病院に通っていて、最低でも月1くらいで通院している。 病院の待合室は驚くほどしずかで、やさしい空間でできている。というか、なんだろう。気持ちいいか悪いかわからない、ちょっと冷めたぬるま湯くらいの空間がそこにあり、独特の空気感だ。 ナースは優しく医者の場所へと我々を招く。さながら神の御使いのように。 そうしてしずかでちょっとぬくい空間から病院の外に出てびっくりする。真横でクレーン車2台が音を立ててひっきりなしに工事をしているからだ。ここは本当にさっきいた場所の隣なのだろうか

          楽園に近い場所とサンタクロースの話

          愛しいなと思うものの話

          人がそれぞれ持っている辞書や文脈がある。 それはその人が今まで何に出会って、何を愛して、何を知って、何を思って、受け取ったかによって、また環境によって、その人だけの意味が含まれる単語になるしその人だけの文脈になる。 簡潔に言えば、その人が使う言葉というのは、その人がその人生を歩まなければ手に入れられない言葉と、その意味たちなのだ。 人間の中にはそんな単語が一つ一つ並んだ辞書がある。辞書の形はしてないかもしれない。スーパーマーケットみたいな形のものもあれば、仕立物屋だった

          愛しいなと思うものの話