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鴨さんのコミュニケーションの学校

鴨頭嘉人さんをご存知ですか?
ひょんなことから知ってしまったハゲのおじさん。この人、風貌が少々怪しいもので、その風貌からの固定観念でコワイヒト。と思いきや、いろんな意味でとんでもないおじさんでした。

身もふたもない話
一見矛盾したように聞こえる話
たくさんの色んな指標がグイグイ自分に刺さる。

既成概念で、憶測で、モノを判断しがちだということに気づいた私は、いろんなご縁のおかげでコミュニケーションの学校東京校第1期で入学。この日が第5講で、学びのクライマックスでもありました。

今きちんと話せたから自分では相手に「伝えられている」と思ってしまうのが「会話」です。けれど、相手との関係性や今までの歴史の差で、同じ言葉であっても違う「概念」をイメージしていくことで印象が変わる、その先の話の受け取り方はそれぞれ変わっていきます。

だからこそ、自分の「伝えたい」をどう表現したり、自分の立ち位置をどれだけ認識して話を進めていくかということの大切さを、じんじん感じ続ける超有意義な時間を過ごすことができました。

コミュニケーションって、当たり前のことすぎてなーんにも考えずに過ごしがちですが、実は日々、相手と自分の知らない世界や情報を共有したり、知らない世界や知識を埋めていくこと。これって、どんだけ高レベルなことか。

大切なことは、実は自分のなかにあって、それに気づくことだと思っていたけれど、コミュニケーションというツールを使って、私以外の誰かとのやり取りのお陰で、自分の知らない「自分」に気づけるということでもある、ということに私はようやく気づいた。

仕事場の殺伐とした関係性に心底嫌気がさしていた頃

前職で技術系の仕事をしていた。技術を極めたいとも思っていた。それでも、人との関係性はとてつもなく大切で、技術系は比較的話のしづらい典型的「偏屈な」男性陣が多い場所でもある。(特に日本というハイコンテクスト文化の中では)

英国マンチェスターにも僅かにそれらしき人間はいたが、日本の比率と比べるとまだ可愛いものだ。海外では人種差別か女性差別か分別もつけづらいレベルの、話しかけても「完全無視」や「目すら合わせない」という仕打ちを受けたこともあるが、それもまたその人の「選択してきたこと」といまなら思える。

今まで見ようともしていなかった色んな闇、日本企業さながらの男性同士の政治色が外資系なのにも関わらず見え隠れしてきた頃、私は自分の体調にも異変を感じ、いろいろなものを天秤にかけながらシミュレーションを繰り返す生活を続けていた。
結果論としては自分の心臓に無数の矢が刺さって、ひとまず「退却!」と自分にGOを出した。



あの頃の違和感が、今ならわかる。
たくさんの同僚や派遣さんが傷付いてきた。それをみているだけの自分も、共犯者になっている感覚があったし、声を上げても聞いてもらえない現実が心底嫌だった。思いやりや気遣いという言葉とは真逆の光景が広がるなかで、そこに身を置く自分にも違和感を感じて、そうまでして働く理由を問うた。日々技術を磨いて、だけどその後に待つ自分の未来は身体がボロボロになるまで仕事を続けた自分の姿。

それで本当に、私は満足なのか?
幸せなのか?

そう思っている頃に、骨格ボディメイクメソッドに出会った。
出産して身体を壊してから、「美しさ」と「健やかさ」は絶対に相関関係にあるという根拠のない自分の思いを持ち続けて、数年間探し続けてようやく、とも言える。

自分のように血眼になって働き続けて、気づいたら子どもは大きくなっていて、自分の身体はボロボロ。という感覚で生活をする人たちが、もし僅かにでもいるとするなら、私はこんなふうに変わることができたよ。もっと力を抜いて生きても大丈夫だよと、声をかけたい。

身体も家族も、自分が守るしかない

身体に替えは聞くのか?
時計の電池を交換するみたいに、オーバーホールするみたいにすぐに回復できる?
お金で健康が買える?
それなら億万長者で超有名なAppleの創業者は癌で死なずに済んだはずだ。

30代後半から、そんな漫画でいう仙豆みたいなものは存在しないと悟る。
寝ても疲れが取れない。動く旅にどこかが痛む。それは老化だからしょうがない。自分でメンテナンスしてるのになぁ。おかしいけど、他に方法はないでしょ。

それ、本当ですか?
もっと探してみたほうがいい。

私は自分を生かすために、取捨選択した。ボロボロになっても外資系企業でひたすら働き続ける自分を「退却」という方法で抜き出し、
自分のからだを再生させるために、雷が落ちるような衝撃をもたらした、まさにピン!ときた骨格ボディメイクを始めた。

その過程を経たお陰で、コミュニケーションの学校に出会い、今までの環境では出会うことすらなかったような人たちと出会い、また色んな点をつくっては自分の「やりたい」や「好き」の赴くままに生きている。

あーそうか。
こういうことを幸せと言うんだ。
会いたい人に会えて、好きな人に「好き」と伝えられる。大好きな家族というベースがここにあり、そして周りにいるみんなが「健康」で「笑顔」でいるということ。

それに気づくことができた、今までの軌跡に感謝。

そして願わくば
私の「したい」ことが、世界の誰かに必要とされることでありますように。

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